ヨシヤは「心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。」と呼ばれる王でした。「それにもかかわらず、マナセが引き起こした主のすべての怒りのゆえに、主はユダに向けて燃やした激しい怒りを収めようとはされなかった。」とあるように、転げ落ちるように王国は滅びに向かっていきます。
ヒゼキヤの時代、すでにアッシリヤがユダに圧迫を加えていましたが、ヨシヤの時代になると新興バビロニヤが圧倒的な勢力を拡げてきました。劣勢のアッシリヤに加勢するためにエジプトが北上します。親バビロニヤであったヨシヤはこれを阻止しようとメギドで戦い、打たれて死にます。ここで、ユダはエジプトの支配下に置かれるようになり、エホアハズを廃し、エホヤキムがユダの王として立てられます。バビロニヤはエジプトを追い返したばかりではなく、ユダを含むパレスチナを侵攻し、エルサレムは包囲され、王は降伏して、国の財宝、中枢が捕囚とされてしまいます。
北王国が偶像礼拝というヤロブアムの道、バアル礼拝というアハブの道に向かったように、ユダはマナセの罪、それはありとあらゆる偶像や卜占、まじないなどに頼る歩みに向かいました。それと同時に神への愛がなくなったところ、隣人への愛も冷えるのです。エレミヤ22章にそれに対する主の叱責がでてきます。
ユダは神に愛され、預言者を通して道を教えられ、導かれてきた民です、そんな者たちですら転げ落ちるほどに、人は罪に傾く傾向を持っています。そして、「戒めを守るなら祝福される」という旧い契約を守れる者は1人もいないのです。一方で、私たちに与えられた救い主イエス様が罪を贖い、聖霊によって新しい歩みをするように私たちを招いてくださっている。ここに私たちの救いと希望があるのだということを心に刻みたいのです。