「非常時」、私たちはいままでやってきたようにしかできませんし、やってきたことがはっきりします。隠れいていたもの、わからなかったこと、見えなかったことに向き合わざるを得なくなるからです。自分の努力や願いで進むことが困難になったとき、何を希望を持つのかが問われます。
この箇所は初代教会の指導者たちがみな捕らえられてしまったという非常時です。使徒たちによって多くのしるしが行われました。それは、よみがえりのキリストが今も生きていて、ここにおられるというしるしでした。人々がこぞってやってきては全部がいやされる。そこに妬みが起こります。いままで自分たちが中心だった国の体制が脅かされる勢いがあったからです。妬みの原理は突き詰めていくと、「面白くない」という心の思いです。そこで彼らを捕らえて脅すのです。
主は二つのことをして道を開き。彼らに励ましを与えます。第一は、牢から連れ出してくださったことです。世の権力者たちに囚われの身となって、恐れがないかといえば、彼らとてあったことでしょう。どんなに強い者たちであっても心弱るとき、くじけそうになるときがあるのです。しかし、主が確かについておられるという確信を彼らに与えてくださいました。さらに、主はガマリエルを立ててくださいます。彼が言えば、みなことが収まる誰からも尊敬される人を理解者として備えてくださいました。
主に従うことは、周りと調子を合わせない新しい生き方となるゆえ、誤解や迫害、中傷などを受けることもありましょう。またそればかりではありません。私たちは様々行き詰まる経験をします。しかし、神は人のすべての努力や考えに勝る道を主が開いてくださる。それを信じ、進もうではありませんか。
録音データを聞く