「霊に燃え、主に仕える」ローマ12:4-12

 このみことばの中心にあることは「主に仕える」ことです。そして「勤勉で怠らず」ということばは「熱心」とも訳されます。私たちがそのようにするときは目標がハッキリしているときです。そのためにはいのちの目的を確信して握りしめているときです。私たちのいのちの目的は、自らの栄光のために生きてきた者が、神の愛に応え、この愛に導かれて、神の栄光を表すことに導かれました。

 主に仕えることは、隣人に仕えることと同じです。「これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)とあるように、あるいは「人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく…人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。」(エペソ6:6-7)と教えられている通りです。

 「霊に燃え」ということばが出てきます。私たちはときに霊に燃えて献身を新たにした、新しい歩みを始めます。しかし、次第に足取り乱れ、疲れを覚え、進めないということが起こります。わかっているのですが、霊の火が弱くなるときがあるのです。それを乗り越えるために、何が必要なのでしょうか。

 それこそが、この12節のことばです。私たちの望み、それは天の故郷を望む信仰です。だからこそ患難も耐えるのです。新しい一年の中にも病や事故、怪我や死、何かを失うという経験、落胆する出来事、悲しみに暮れるようなことも起こることでしょう。地上にあって私たちには限りがあるのです。だからこそ神と共にある天の望みを覚え、「絶えず」祈るのです。それはどんな時にも主とともに生きることです。どんな小さなことも、どんなささいなことも、主に祈り、主とともに生きようではありませんか。