この連休、オリンピックが開催されるはずでした。ところが、コロナで延期され、その先の見通しは全く立っていません。来年はやる!などという何の根拠もない楽観論でことは進められないということを今や誰しもが感じているのではないでしょうか。Go Toキャンペーンが混乱しましたが、それがあろうとなかろうと人は動きます。外へ出てみれば、県外ナンバーのクルマとひっきりなしにすれ違います。
今、感染は再増加し、4月の緊急事態宣言時よりも感染者数は多く、一日の感染者数は一千人に迫り、死者の累計は一千人を超えました。また、これは日本ばかりではなく、世界の感染者も増加の一途、南アジアや中米での感染拡大が続き、累計の感染者数は1500万人を超えました。国内の感染拡大が仮に抑えられたとしても、国レベルの往来が戻れば、再び拡大することは目に見えています。すると、コロナはまだ、ピークにも達していなければ、終息の見通しも付かない段階にあるとの認識を確認しなければならないでしょう。
すると、私たちの日々の生活、教会生活も少なくともまだ1年以上、この状態が続くことを想定しなければなりません。「新しい生活スタイル」ということばが定着しましたが、「新しい教会生活」、集まることで交わりを深めていた私たち教会にとって、やっぱり再び集まる日を心待ちに思います。それはやがて天に集められる日もそうです。「まもなくかなたの流れのそばで楽しく会いましょう、また友達と・・・みんなで集まる日の、あぁなつかしや」(新聖歌475)というのは天での再会を待ち望む讃美です。
今のとき、それを待ち望みつつ、失われたことで与えられていた恵みの豊かさ、交わりの素晴らしさを改めて感謝し待ち望み、一方で自らのあり方を問い直し、歩みを固めていくこと、互いに励まし合うことをしていきたいと願います。