先週のある朝、鉄道員のおじさんと立ち話。「今、鉄道にはゆとりがない!だから、非常時、緊急時に対応できないんだ。」そして、「若いもんを育てなかったつけが回ってきた」と言います。
国鉄はJRへの民営化・合理化から新規採用を控えました。それから25年ほど経った今、幹部が足りません。駅の窓口は派遣社員。窓口から車掌、車掌から運転手と鉄道というものを学んでいった。ところが今、駅にしろ運転にしろ、保線業務まで経験値が下がっている。鉄道全体をマクロに見ることができる人材がいない。だから事故時・非常時の復旧に手間取るという実感だそうです。
そして事故が起これば誰もやりたくない仕事を誰かがしなければならない。ゆとりと経験と使命感、どれかがないと「おまえやれ、俺やだよ。俺だってやだよ。ムリ」という話しになります。
言われてみるとなるほどと思ったのと同時に、どこの世界でもそうだなぁと感じます。大学の隣りにいて、学生にゆとりがないと感じます。今の時代、「代返」なんてできません。「ピッ、ピッ」とやって出欠とっているのですから。決して「代返」がいいなんていうつもりではありませんが、管理されて遊びやゆとりがないと感じるのです。
「ムリ」ということばがよく聞かれます。有無を言わさず、そこですべてを切ってしまうゆとりのなさではないでしょうか。あるいは失敗を許さず管理によって押さえつけてきたことに対する自己防衛でしょうか。「ムリかもしんないけど、まぁ、なんとかやってみるかぁ!」とというものはどこから生まれるでしょうか。真のゆとりとは、時間的な問題ではなく、失敗を大らかに包み込む懐の大きさと、成長を期待して見守る暖かなまなざしではないでしょうか。