先週の教会連合の全国総会で新たな仕事が一つ増えて、その時間をどう捻出しようかと頭を悩めています。50歳を過ぎてから、体力的に無理がきかなくなりました。40代のうちは、まだやれる。鍛え直せば若いときと同じにできる。そんな気持ちが残っていましたが、それも追いつかなくなってきました。
誰にでも神様から与えられた一日は24時間です。そこに差はありません。寝る時間を削って何かをすれば、その分、どこかにムリのしわ寄せがやってきます
そんな折、M先生の言葉を思い出しました。M先生、44歳のときにご主人を天に送りました。まだ、育ち盛りの子どもたち、大学で教鞭をとりながら、家のことも、仕事のことも、あれもこれも、これもあれもすべて自分でしなければならない。わずかな隙間の時間をムダにしないで、細切れだけれど、その時間を使ってちょっとちょっとのことをなさった。でも、それを集めてみれば、多くのことができる。そのようにお伺いしました。
そのような生き方が、多くの働きの実を結んでこられたのだなぁと改めて教えられました。東京女子大の学長として、そして、86歳の今も、広島女学院大学の学長として教育に力を注いでおられます。
類い稀な生き方の原点には、空襲を受けて防空壕で生き埋めになりながらも入口付近にいて助け出されたという体験があります。意味あって命与えられた。今も、与えられた命の限り、同じ歩みをなさっておられる。そのように先を歩む姿に励まされながら、死ぬべきからだが、十字架によって贖われたのならそれにふさわしく行きたいと願うのです。
自分のあわれみによって、・・・私たちを救ってくださいました。神を信じるようになった人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。テトス3:5-8