オウム、あれは何だったのか

 オウム真理教事件、あれはいったい何だったのか。奇抜な選挙運動、まさか、あれで当選するとは誰も思いませんでしたが、おかしなのが出てきたなと思ったのはよく覚えています。ネット通販などなかった時代、パソコンを買うのに秋葉原に行くと、オウムのパソコン屋の異様な呼び込み。そしてメディアに登場するパフォーマンス。そして、地下鉄サリン事件とともに警察が一斉捜査に入ると、そこに明るみに出たのはまるで別の世界を生きているような若者たち。

 ジャーナリストの立花隆さんの「臨死体験」という本がありますが、その中には、霊体離脱というような様々な神秘現象体験がでてきます。そこには、オウムの修行で「見た」というような幻覚や体験がでてきます。それらは人工的に特定の環境下に置いたり、薬物などによって作り出すことができます。それをしていたわけです。しかし、それがリアルな強烈な体験であるがゆえに、他のものが見えなくなってしまう危険を孕んでいますし、事実そうなったわけです。

 あのヘッドギアや修行、そのようなもので現実から遠ざかったのは、ときにバブルの時代です。豊かになった社会の行き詰まった閉塞感を強烈な肉体体験が雪だるま式に駆り立てたのもの。人を戦闘マシーンに仕立てる「しごき」も軍隊ではしばしば行われてきました。そして、それは周りがバカに見えるような高ぶりを生み出します。

 真の神を知らないところでは、人の目を惑わし、狂わせてしまうものが暗躍する。この世のサタンの惑わし、そして、それに囚われるところ、それは一歩間違えば自分もそうであったかもしれない。そのような痛みを覚えておきたいと思います。一方的にさばくのではない。自分はどうかをいつも問いたいと思うのです。