一歩進んで二歩下がる?

 先日来、「総合的・俯瞰的」ということばが気になりました。朝日新聞の記事に過去に例がないといえるほど「稚拙な言い訳」と政策コンサルタントの室伏謙一さんが書いておられました。元官僚です。言葉に含みを持たせる便利な用語、「概ね」、「総合的見地から」とということばを当時よく使ったと言います。含みを持たせる用語としてです。一方、「総合的」と「俯瞰的」を並べるとおかしなことになる。「総合的に判断する」とは言っても、「俯瞰的には見る」もの。正当な根拠がなく、説明ができないからそう言うのではないか、それは政治や行政の世界での説明責任になってはいないというのが論旨でした。
 政治の世界にはこれぞ絶対に正しいと言えるものはありません。今考え得る最善とか、よりベターな選択であろうということを考える訳です。こっちを取ればあっちが立たず、あっちを取ればこっちが立たない。そういう中での「政治的判断」。それを皆が納得するためには、丁寧な説明が必要なのです。ところが、権力を持ったときあたかも自己絶対化するような傲りが入ってきやすいのです。
 コロナ禍の中でもそうです。安全も経済もどっちもというのは大変難しい。それができるなら、とっくに収まっているはずです。1歩進んで2歩下がる。365日のマーチという歌では、3歩進んで2歩下がる。とにかく、前向きに行こう!ということば。さらに言えば、全然進んでいないように思えるけれど、前を向こうというメッセージです。
 どうやってもこれで完璧というようなものはどこにもありません。その中で、試行錯誤を繰り返すことしか私たちにはできないのでしょう。ときに前進していないどころか後退しているようにすら見えるとき、あるいは右往左往してどっちにも定まらないようなときに、私たち人の限りを超えて導きをくださる神に向かうこと、それが私たち信仰者が力とするところです。さぁ、祈りましょう。