三陸の今と3,285日

 2011年3月11日から、今週、丸9年を迎えます。私は先週、三陸のぞみキリスト教会の奉仕のために岩手を訪れました。その後、山田町から、陸前高田、宮城の気仙沼から南三陸を抜けて、石巻、女川と沿岸を回ってきました。とは言っても、三陸道がほぼ全通し、海のほとんど見えない山の中、トンネルの連続する道です。
 しばらく前までは大規模な嵩上げや巨大な防潮堤の工事など、どこに行っても土木工事現場ばかりが目につきましたが、それもほとんど終わりました。「低いところは諦めた。嵩上げをしたところでもやっぱり恐い。日々の生活に時間も待てずに高台に移った。そもそも仕事もなくなり、避難を機に内陸に移動した」という印象です。それにしても国の復興予算をして、ハードウエアを整えた印象がします。
 一方で、人の心のあり様はどうなんだろうかと考えさせられます。私たちも、あの大地震、原発の事故もあって、日本全体がどうにかなるのではないだろうか、そのような中でいのち振るわれる経験をしました。本当に大切なことは何かと問われたはずでした。しかし、私自身も、そして、社会全体もそれからよくなったかと言えば、必ずしもそうとばかりは言えません。いや、むしろ再び日常の中に埋没してしまったのではないだろうか、結局何も変わっちゃいないのではないかと反省させられるのです。
 9年という歳月は3,285日です。その問いを問い続けながら一日一日を丁寧に大切に積み重ねてきたならばと反省させられます。残念ながら過去を振り返っても戻ってはきません。それならば、再び思いを新たに前を向いて日々、心新たに歩みを積み重ねさせていただきたいと思います。今、私にとって大切なことは何だろうか。神が今日、私に期待しておられることは何だろうか。主よ。それを選ばせてくださいと祈りつつ。