ここのところ連日、オリンピックの競技から目が離せません。我が家で最も応援していたのは白井健三選手。なぜって、我が家のケンと名前が一緒。そして、どことなく、顔つきが似ているから。彼が決めたのは、跳馬の新技である「伸身ユルチェンコ3回半ひねり」。彼自身が「跳べたことに驚いている」という会心の演技でメダルを手にしました。彼自身、これまで成功したことがなかったのです。
日本男子体操は1960年のローマ大会から1976年のモントリール大会まで五連覇を果たしました。そのモントリオールではエースの笠松茂が盲腸になり、急遽補欠であった五十嵐久人が出場することなりました。五連覇がかかるその重圧。彼はそこで、鉄棒で世界初の下り技「後方伸身2回宙返り下り」を決めるのです。彼もまた、いままで成功したことがなかった技を決めました。しかも、その後、二度とできなかったというのです。
共通するのは最も若い、そして守るものがないことでしょうか。五輪という大きな場、それも4年に1回、次にこの場に立てる保証などありません。とりわけベテランはそうです。失敗への恐れと闘わなければなりません。期待を背負う重圧も並大抵のことではありません。人は守りに入ったとき、新しいことに進むことが困難になるものです。挑戦することよりも、自分の経験で計れることの中に留まります。
それを越えるのは、前のことに縛られてでもなく、先のことへの恐れでもなく、ただ、今、この一点だけを見つめることではないでしょうか。あの、湖など歩けるはずもないペテロが歩いたのも、ただ、目の前におられる主イエスから目を離さなかったからです。後でも先でもなく、今、主のくださる恵みにこそ目を向けようではありませんか。