修養会では水草先生を通して、救いの全体像をもうひとたび確認し、キリストの三職とともに、私たちに委ねられた三職。その務めのそれぞれが大切な務めであることを覚えたことと思います。
その中でもとりわけ、私自身が示唆を与えられたのは、水草先生が主から与えられた預言者職、伝道のスピリットです。小海町は人口4,800人、南佐久郡全体で26,000人のすべてに福音を伝える。福音を聞いたことがないという人がいないように福音を伝える。それが私の使命だと20年にわたりその奉仕を続けて来られたことです。
私の心の中には、どこかで「私のできる範囲でね」という思いがあったのです。「すべての人に」、それは「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます」(1テモテ 2:4)とあるように、主のみこころです。でも、自分の頭で考えた範囲にそれを小さくしてしまっていたように感じるのです。もちろん、わかっています。「でも」という思いがどこかに隠れていたのがよくわかりました。
水草先生の工夫、新聞折り込みで全戸に「小海通信」を配る。これは初対面の人に「読んでいます」と声を掛けられることがあるそうです。先生はものを書く賜物があるので、先生でなければできない方法。そして、伝道者に最も大切なのは「足」。頭だとか、ハートだとではない。「足」だと言うのです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」(ローマ10:15)とあるからだとお話くださいました。
あぁ、神様のみことばを単純に受け止め、自分にできることを献げようと工夫し、それを黙々と、淡々と長く続けること。結果で判断するのではなく、伝えること自体が主の務めだと。多くを教えられたことでした。