危機のときに向かう先

 『もし、さばきの剣、疫病、飢饉などのわざわいが私たちを襲うなら、私たちはこの宮の前、あなたの御前に立ちます。あなたの御名がこの宮にあるからです。そして、私たちは苦難の中からあなたに叫びます。あなたは聞いて、お救いくださいます。』2歴代誌20:9
 この祈りは、ユダの王ヨシャファテの祈りです。それは元々、ソロモンが主の宮の奉献の祈りですが(2歴代誌6:28-31)、危機にあって、彼は祈り叫ぶのです。
 おおよそ、人の歴史の中で恐れられてきたもの、それは戦争、疫病、飢饉(自然災害)です。多くの人が死ぬからです。第二次世界大戦から75年が経ちました。この国に戦争はなくとも、世界中で戦争は絶え間なく起こり、多くの命が失われています。また、災害は東日本大震災以後も、水害、台風、雪害と毎年のように、どこかで続いています。疫病はスペイン風邪(1918-1919年)以来のことですが、古来から、繰り返し起こってきました。
 戦争も災害も直接関係がないと、どこか遠くのできごとのように感じます。また、疫病にしてもエボラ熱、デング熱、SARS, MARSというのは、自分たちと関係ないことのように思ってきました。しかし、今回の新型コロナウイルスはパンデミック(世界流行)です。もはや争っている場合ではありません。誰もが感染する可能性があり、それを広めてしまう可能性があるのです。
 向かうべきは神の前の祈りです。それも、国を超えて、民族を超えて、争いの手を止めて敵対心を鎮め、あらゆる境界を超えてともに祈りに向かうことが求められているのではないでしょうか。そして、無為な争いを重ねていること、差別や格差を生み出す利己的な思いを持っていること、手を取り合って生きることの大切さを、もう一度神の御前に問い直すのです。誰しもが例外なく直面する危機はへりくだって神に向かう時です。そのように命を救う神の前に立とうではありませんか。