イエスが十字架に架けられ十二時になったとき、全地が暗くなって午後三時まで続きました。そして、その暗闇の終わりに、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれてイエスは息を引き取りました。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という叫びです。
今、私たちは戦争の暗い闇を見ています。「わが神、わが神、どうしてお見捨てになったのですか」と叫びを発せずにはいられないような闇です。人間の罪深さ、欲のもたらす闇、権力と武力のもたらす闇、心が麻痺した残虐さやエスカレートする暴力、憎しみと報復、そのようなものが浮き彫りにされています。人と時代は変わっても、同じ闇を人は繰り返します。どんなに平和を願って努力を重ねても、どこかしらから不平不満が起こり、暴力へ訴え出るのです。結果はいつも暗い闇と深い傷。そして、あれだけの闇を見ると、果たして人は赦せるのだろうか、赦し合えるのだろうかと思います。
イエス様の受難はそれと正反対のものでした。「のしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。」(1ペテロ2:23)のです。それはすべてを身代わりに負ってくださったのは愛ゆえ。そして、よみがえりの希望として勝利したのです。「頑張ったけど、やっぱりだめだった」ではありません。「死は勝利に飲まれ」、愛が勝利したのです。
世が救われる唯一の道は、イエス様の十字架と復活しかありません。この受難週、私たちはともに祈りたいと思います。イエス様の十字架と復活の信仰を信じる者たちを奮い立たせてください。まず私から。そして、ともに信じる者たちが愛されたように愛し、赦されたように赦すことによって、平和が神から与えられるように。そして、死に打ち勝たれた希望が世を覆うように!