戦争に勝ち負けなし

 戦後80年を迎えた先週、報道の記事を読むと、そこには被害の記事に偏っていることに気づきます。とりわけ、広島・長崎という唯一の戦争被爆国として、あるいは、都市の無差別爆撃という悲しい記憶、ひもじい経験、そういうものは強く残ります。一方、アジアの国々で日本が冒してきた侵略戦争というもの、それは大きな加害であり過ちです。
 私には忘れられない証言があります。教会の隣の故N氏です。「牧師さん、知ってる?日本が何をしてきたか。なかったことにしたい人たちはいるけど、私はこの目で見たんだよ。敗戦になったとき、私が命じられてしたことは、膨大な書類を焼いたこと。3日間、ずっと焼き続けたからね。」満州(中国)での証拠隠滅です。戦責を問われ、戦犯とされることを恐れたのです。いまだその傷は癒えてはいません。
 戦争は被害者にもなり、加害者にもなります。戦争が殺し合いだからです。どれだけダメージを与えて屈服させるかが戦争。そこに流されるのは血であり命です。そして、どちらかが勝つまで停戦はあっても終わりません。喧嘩両成敗とはよく言われることばで、喧嘩すること自体が悪く、どちらも処罰されることを指す言葉ですが、戦争ではどちらも互いに被害者になり、加害者になります。そういう意味では勝ち負けなどないのです。
 そこに唯一希望があるとすれば、「赦し」だけです。時間が経ち、世代が代わり、わだかまりや怨念、復讐心というものは次第に薄れていくことでしょう。でも、それは根本的な解決ではありません。赦しと和解だけが唯一の道です。しかし、赦しには大きな犠牲が伴います。ですから表向きの和解はしても、人は生来、罪ゆえに赦せないのです。ただ、主イエス様の十字架の贖いという大きな犠牲を伴った愛だけが赦しの力なのです。そして、赦されたように赦す。それが世を覆うように祈りましょう。