私たちがこの3年ほど苦慮してきたコロナをどのように考えたらいいのか学んでいます。その一つが、「教皇フランシスコ、コロナの世界を生きる」という本です。私たちプロテスタント教会は、カトリックの神学やあり方についてどこか一歩引いて見ているようなところがあります。目に見えるところ、聖人、聖像や儀式に対するアレルギーのようなものがあって、少々距離を置いていますが、古典的な宗教改革時代のカトリックと現代カトリックとは大きく違います。学ぶところも大きいなぁと思います。その本の中の一節です。
「他者を責めるのは神を蔑ろにする行為です。一方、自分を責めるのは神に心を開く行為です。神の前では、罪人でない人はいません。しかし、自分の罪を悔い、過ちを恥じている人は誰であれ許されます。そうすれば、私たちは自分の対立する相手を敵とみなさなくなります。自分を責める行為は、孤立した良心というウイルスに対する解毒剤であり、神の前で謙虚になることこそ、友愛と社会の平和を解き放つ鍵なのです。」
政治的権力を持たない教皇ですが、世界に対するメッセージとしての影響力を強く持っています。本を読み進めていくと、その考えている世界の広いことに教えられます。戦争や飢餓、富の偏りから虐げられた小さな人たちに至るまで。そして、最も身近な関係から、世界大までおおよそ人の心の中の思いというものが世界をかたち造っていることを教えられます。
コロナは確かに大問題です。それ以上に問題なのは私たちの心に巣食った罪のウイルス、自分のことだけしか考えず、さも正しいかのように周りを責めるようなウイルスに毒されてはいないか。確かにそれが私たちも自分の心に問いかけなければならないことではないでしょうか。そして、小さな自分が大きな世界では何の影響も与えないのではなく、小さな一歩を生きることを教えられました。