(元旦礼拝)
「師父ポイメンが師父ピオールについて語ったところでは、彼は毎日をまっさらに新しく始めていた。」これは、4-5世紀、荒野で修道生活をする教父のことばの一つです。
ユダヤ暦では、新年10日目が大贖罪日、その5日後が仮庵の祭り、さらにその8目目が律法の祝典をもって新しい年を迎えます。大贖罪日、その日、二頭の山羊を献げます。一頭は屠られ、血を流し、いのちをもって犠牲として贖いをします。もう一頭はアザゼルとして荒野に放たれます。それは「もうあなたの罪は手の届かないところに追いやられて帰っては来ない」ということを意味します。それはキリストをして成就されました。ですから日々まっさら新しく始められるのです。
それは、「石の心を取り除き、肉の心を与えられる」歩みです。かたくなな石の心を取り除くのは簡単なことではありません。山上の説教の冒頭「心の貧しい人は幸いです」という天の御国の入口に立つこと。それは自らの罪と弱さを謙遜に認めることです。それは「狭き門」です。どのようにしてできるでしょうか。「主の祈り」を繰り返すことです。私たちの祈りの向き、心の向きを主のみこころに合わせ直すのです。その時、へりくだって、柔らかに肉の心で神のみこころに向き直ることができるのです。
そのように生きるところは、「あの荒れ果てていた地はエデンの園のようになった」という回復をいただくことができます。「裸であっても恥ずかしくなかった」という交わりの一致が与えられ、「あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる」という呪われた大地と労働ではなく、喜んで仕え、喜んで働くという回復です。
新しい年、日々新しく主の御前を歩み、喜びと感謝を重ねて「まっさらに」新しい心、新しい霊に歩んでいこうではありませんか。