松本平の伝道と新しい試み

 松本平はかつて「宣教師の墓場」と呼ばれた時代があったそうです。何人もの宣教師が働きに労しましたが、みな続かなかったのです。そこで長年働きを続けてきたのが、C.F.ジャンカー師です。松本中央教会(現同盟教団)開拓伝道の後、松本聖書福音教会の開拓伝道をしました。町の中心近いところの宣教師宅の家庭集会から始まった教会はやがて広い会堂の必要に迫られて郊外に教会堂を建てました。
 同時に、北にある豊科(現安曇野市)、池田町、信州新町での働きも始め、日曜は朝、午後、夜と礼拝を掛け持ちしながら開拓伝道をし、さらに豊かな命教会も始めました。非常に精力的な働きを続けました。一人の働きには限りがあり、またその働きはいつか終わりがやってきます。息子のジャン・ジャンカー師が働きに加わった時、豊科の教会の「再開拓」だったと言います。
 彼は自分の父親のような「第一世代の宣教師たちは福音を伝え、次の世代は教会を建て上げる」と言います。「宣教師の墓場」と呼ばれる松本は保守的なところです。甲府でも盆地の東は外部の人と出入りの少ない保守的なところです。一方、西側は工業団地などがあって、人の出入りがあります。松本は甲府よりもさらに内陸にあって、人の出入りが少ないということも影響しているのでしょう。 
 そこで、「続く教会」を建て上げるために彼が取り組んだのは二つ。一人に依存せず、チームで建て上げる教会。牧師だけではなく信徒が活躍する教会です。今、どの教会にも牧師はいません。宣教師を含めたチームがリーダーシップを持ち、信徒も学び、説教も順番でします。日本のこれまでの教会のあり方とは違う教会形成を試みています。
 どこか閉塞感のある状況を乗り越えるためには「固定観念」を拭って新しい試みにチャレンジすることが私たちにも必要であると教えられます。