段取りと片付けと心と

 昨日、婦人方が夏の大掃除をしてくださいました。きれいさっぱり整った台所、礼拝堂のカーテンや椅子のカバーの洗濯など、洗い物が乾きやすい夏の日、ご奉仕下さり、心から感謝しています。教会はそうやって多くの兄姉の奉仕の積み重ねによって保たれていることを改めて覚え、感謝をするところです。

 その前の週、家の中を片付けることって大変なことだねぇと話をしていました。何しろ毎日のこと、その度にきれいに片付けをするのは大変な労力がいります。仕事に段取り八分とはよく言いますが、どんなことでも、一つのことをするのに、段取り3分、仕事が5分、片付け2分くらいが実際のところではないでしょうか。それをエンドレスに繰り返しているのが家事です。

 ところが、多くの場合、やりっぱなしで最後の2分を後回しにしてしまうことが多いように思うのです。料理をするのはいいんだけど、その後の片付けがイヤという人も少なくないでしょうし、とかく男性の料理はそういうことが多く、やってくれるのはありがたいけど、嬉しくないという声もしばしば聞きます。仕事が終わったところでやり終えたと安堵して、それ以上のことまで回らない。

 私は道具をたくさん持っていますが、ときどきどうしても見つからず、やむなく新しいものを買います。そうすると後から出てくるのです。こんなところにあったのか!と。実は、片付けるときが次の準備で、改めてしようと思ったらかえって大変なのです。大工さんの道具箱は常に整理整頓されています。料理人もそうでしょう。道具を丁寧に扱う職人さんほど、いい仕事をします。心がそこに表れるからです。

 と、分かっているんだけど…というのが私たち。大掃除でもう一方、心も整えて、よい奉仕を主にささげたいものです。