牧師がやめるとき、変わるとき

 1月の終わりに香川の教会訪問をしてきましたが、その一番大きな目的は二つの教会の牧師招聘のサポートです。一つは無牧になったところに招聘、もう一つは牧師の交代。188あるJECAの加盟教会では、毎年十数人の牧師の辞任・招聘・異動等があります。ここのところ、そのペースの早いこと!おおよそを把握している私ですら覚えきれません。なぜ、そのような必要があるのでしょうか。

 まず、覚えていただきたいこと、それは完璧な牧師など1人もいないということです。人にはそれぞれ与えられた賜物があり、また年齢や経験も違います。それこそ関東出身、関西出身というその気質や風土によって実についたものから、育った環境、クリスチャン第一世代と二世、三世の違い。理系文系というものの考え方の傾向や学識、家族構成やその状況に至るまでみな違うのです。それと共にわきまえるのは牧師も信徒もみな成長の途上にあるという理解です。

 教会にとっての必要も様々です。開拓伝道から牧師を迎える教会、高齢の牧師が引退する場合、教会の歴史や規模の大小、年齢構成や活動の特徴などによって、そこで求められるものも変わってきます。牧師に求められる働きは多種多様ですが、その中心は「みころばと祈りのご用」です。それ抜きにものを考えると混乱します。

 牧師の働きは用いられる経験と賜物と関係とが変化し、次に委ねるべきだと自ら決める場合もあれば、周りの勧めでそうする場合、残念ながら関係がうまくいかなくなる場合など様々です。短い長いの差はあっても、ある期間、そこでその賜物が用いられる期間限定の働きであること。また、それは教会と教会員が自らのあり方を問い直して新しい皮袋に造り変えていくことです。それをまた、ともに祈りに加えたいと願うのです。あ