A姉は48才で脳出血をし、半身マヒと言語障害が残りました。介護が必要になったご主人と一緒にできたばかりの尚古園に入り、尚古園で信仰に導かれたN姉も一緒に3人で毎週送迎されて礼拝に集っていました。ご主人が召され、N姉が召され、ご自身も次第次第に弱って、礼拝に来るのが困難になりました。しばらくの間は毎月一回の聖餐式をホームでしました。息子さんの近く、御殿場のホームに移り、私たちが通うことが難しくなりました。そして、先週の金曜、86才の地上の歩みを終え、静かに主のもとに召されました。実に38年間、半生をホームで過ごす生涯でありました。
私たちは、
何かをすることに価値を見いだすが、
彼女は、
生きていることに価値を見いだした。
私たちは、ことばにすることで
意志を伝えるが、
彼女は、ことばにならない思いを
ほほえむことで表した。
私たちは、どれだけのことをしたかに
満足を見いだすが、
彼女は、すべてに感謝することを
喜びとした。
そんな歩みであったと私は思うのです。神の前に、礼拝の席に、そのような姉がいたこと、また、そのような一人一人が私たちの教会の宝であると思います。交わりにともにいる一人一人が、誰もが同じように、尊い教会の宝です。何よりも主が私たちを宝だと言ってくださったからです。
一人一人、私たちは天に送り出します。順にいのちの恵みを受け継いでいきたいと願うのです。