私にもとうとうコロナがやってきた

 コロナが始まって4年が過ぎ、一度も罹らぬまま過ごしてきましたが、私もとうとう罹患してしまいました。教会でも、高齢者を除けば、おおよそ8割方の兄姉が罹患したでしょうか。人によって症状は違いますが、私の場合は、急な悪寒とともに高熱が出て、最初の二日ほどは辛かったです。その後の症状は喉の痛みと咳が長引いています。
 いわゆる「流感」はいつの時代にも起こりました。一昔前は、今のようにその原因もつかめず、予防も対処もできませんでした。感染医学が発達した今は、素早く原因が突き止められ、驚くべきスピードでワクチンも開発されました。それでも、隔離や感染予防の様々な工夫と対策をしても、目の粗い網で何かをすくい取るようにすり抜け、時間とともに収束するのを待つしかなかったというのが今です。そして、様々な対策に対する効果がどうであったのかということはほとんど聞きません。膨大な費用をかけたワクチンや対策の成果についても不問です。
 ワクチンが買えない国では、爆発的に感染が拡がり、でも集団免疫により収束も早かった。ワクチンを打った国では、感染が平準化して医療崩壊は避けられたが、結局、感染は拡がったというのが雑駁な印象です。感染医学界では、そういうことが研究されていることでしょうが、国民全体に共有されたらいいのではないかと思います。
 主の御手の中にこれらのことはどうあるのでしょうか。戦争、疫病、飢饉(自然災害)は、聖書の中に出てくる3大危機です。『もし、さばきの剣、疫病、飢饉などのわざわいが私たちを襲うなら…私たちは苦難の中からあなたに叫びます。あなたは聞いて、お救いくださいます。』(2歴代誌20:9)これはヨシャパテの祈りです。すべてのことが御手の中にあって、何かを導こうとしている。教えようとしている。それを祈り、考え続けたいと思わされています。