聖餐、それは心で信じていることを確かな告白とするという大切な意味についてお話ししました。それでは何を告白しているのか、その中身について考えてみましょう。聖餐式は「パン裂き」とも呼ばれ、ペンテコステの直後から行われるようになり、初代教会の礼拝で集まるたびにみことばと交わり、そして祈りとともになされていました。そこには3つの意味があります。
第一にそれは「記念として」の意味があります。パンとぶどう酒(液)はキリストの体と血を象徴しています。それがゆえ、十字架の贖いゆえに罪赦されて救われていることを確認します。主は「私を覚えてこれを行いなさい(ルカ22:19)」と言われました。
第二の意味はキリストとの交わりです。1コリント10:16-17では「杯は、キリストの血にあずかることではありませんか…裂くパンはキリストのからだにあずかることではありませんか」と教えています。「あずかる」とは「交わり」です。交わりをいただくということは、罪ある己を吟味し、キリストの恵みに委ねる霊的な結合、キリストが我が内に生きているということを表すものです。
第三の意味は信徒の交わりです。教会がキリストのからだとして一つであることを表すことです。一つのパンを裂き、食べることを通してその体の一部であり、その器官であることを告白するのです。ですから、聖餐式はパン裂きとも呼ばれます。
主は心で信じていればそれでいい。形式や儀式などどうでもいいとはなさらず、聖餐を聖定くださいました。それは、この心とからだと霊をもって生きる私たちが、このすべてをもって贖われて生きるようにとの厳粛な招きです。そして、それは一人ではなし得ないことです。キリストのからだである教会の交わりをして、ともに与るようにと招いてくださったのです。聖餐式の度に、その意味を告白を新たに確信深めていきましょう。