豊かな命の条件は?と振り返る

 かれこれ30年以上も前になるでしょうか。教会で「友よ歌おう」という歌集がよく使われました。時はフォークソングの時代。ギター片手に若者が集まると必ずと言っていいほど歌われたものです。その中に「豊かな命の条件は?」という歌があり、も特によく歌われた歌の一つです。

 豊かな命の条件は、聖書の中に

 歴史のはじまる以前から、

 啓示されています。

 真の神を敬い、罪を悔い改め、

 まごころ尽くしてキリストに

 従うことです。

 当時の若いクリスチャンはみんなこの歌を歌ったものです。それから30数年。当時若者だった人たちは初老という年齢に達しています。子どもだった私も、中年という年齢になりました。

 この歌がよく歌われたとき、「まごころ尽くしてキリストに従う」ことをみな祈り歌ったのですが、その通りを生きてきただろうかということを今更ながら問いかけられる思いがします。もう一つ思うことは、30数年という年月は若い頃には想像もできない時間ですが、過ぎてしまうと決して長くはないということです。私たちの命には限りがあるのだということをしみじみと感じます。そして、命をを豊かなものにする鍵はやっぱりこの一点に尽きると問われます。

 さて、「まごころ尽くしてキリストに従う」とは、具体的に何を指すことでしょう。

心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。使徒2:46,47

 礼拝と交わり、賛美と愛の歩みを日々なしていくことです。主の元に帰るその日まで、ともにそう歩もうではありませんか。