私が家を離れ、一人暮らしを始めてから、母は会う度、電話で話す度に「あんた、ちゃんと食べてる?今日は何食べた?」と必ず食べることを訊かれた。それは結婚するまで続き、結婚した瞬間、ピタリと止んだ。
そもそも、私の母は食べることを大切にする人である。どこへ行くにも弁当を作り、持たせてくれた。たくさん食べる人は元気がよいと大好きである。偏食せずに何でも食べることは、人付き合いや人生の幅と比例すると言ってはばからない。そんな母に育てられた私だが、食の細いガリガリな子どもだった。食べなさいと言われても口をむんずと結び、食べようとしなかった記憶がかすかに残っている。幼稚園の出席ノートを見ると、休みのない月などない。だから余計にからだの弱い息子を心配して、それを言い続けてきたのだろう。
一方で、他に何かをさせられたとか強制されたという記憶はほとんどない。いつも自分で選ぶことを尊重してくれた。母曰く「霊の父はあなたの魂を導く。肉の母は肉のことを心配するのよ」である。
母であることは一生続く。もちろん、子どもは離れていく。母子一体であったのはお腹にいたときのこと。この世に生まれ出た日から、離れる方向に向かう一方だ。それに逆らうなら健全な成長は期待できない。すべてを与えることから見守ることにそのスタンスは変わっていく。それが母なのだ。何かをすることなど何もできなくなったとしても、母は母なのだ。そして、ほとんどの場合は、先にこの世を去る。
神が与えられた母の務めはこの世の限り。永遠の父にすべてを委ねつつも、肉のことに心を配る母。そのために働いた手はなんと尊いことだろうか。せめてもの感謝を表すことをさせていただきたい。