長い間、痴呆の進んだ舅の世話をしている姉妹から久しぶりに電話があり、ひとしきり話し込みました。痴呆が進むと、夫や妻のことがわからない。息子や娘のこともわからない。世話をしてくれる人が誰か、それが記憶の片隅にある人に入れ替わったり、あるいは全くわからないということも珍しくありません。そんな会話の中で、生きることは食べることだという言葉がでてきました。
自力で食べることができない人に食べさせるということは一苦労です。喉に詰めないように料理に工夫をし、口まで運び、その人のペースで食べさせ、口を拭い・・・。それは高齢者だけの話ではありません。赤ちゃんや乳幼児に食べさせることだって大仕事です。そればかりではありません。自分で食べられる者であっても、食欲がない。食べる気になれないということはときにあるものです。
よくよく考えてみると、「食べる」ということは必ず何らかの意志を伴います。「飲み下す」ことだけは、どれだけ手助けしてもできません。いやなら吐き出します。口に入れるまでは手助けできても、そこから先は本人以外の誰もできないからです。そして食べることで人はいのちを養います。だから、食べることは生きることなのです。また、食べることで元気を養うのが私たち人間です。
残念ながら、生きる意欲、生きる意志を失うと食べることができなくなります。自ら食べることができなくなった時点で、それは延命ということになるのでしょう。生かされているいのちの間、尊厳をもって生きるということは、私には生きている、生かされているる意味がある。務めがある。たとえ何ができなくとも、私の存在があなたの支えになるのであれば生きていたい。そんないのちを全うしたいものです。