70年の歴史2(教会としての整え)

 1962年には会員として17名(内他住会員5名)が数えられました。1963年には「ひかり愛児園」が斉藤(後藤)圭子姉を園長・教師として18名の園児をもって開園された。翌年には50名の園児が与えられ、以後35年にわたって愛児園は教会とともに歩みをします。
 1964年、エングホーム師は宣教団の副理事長の働きのために、働きを横浜に移します。代わって、J・テーラー師が派遣されてきますが、1964年に木村師が諸般の事情によって解任されるという事態が起こりました。それから1966年1月まで約1年と4ヶ月の間、無牧の時代がありました。教会は教団内の他教会牧師、宣教師、神学校教師、神学生などによって講壇が守られ、毎週の聖書研究祈祷会には猿橋在住のレデントン師が指導をくださり、聖霊の導きによって保たれました。この間、女子ばかりの教会に坂本修一兄が初の男性役員として選出され、教団議長であった樋口信平師の助けを得て教会運営や牧師招聴の備えがなされました。
 そして、1966年教会は溝口捷支牧師を招聴しました。新しくスタートを切った教会に、主はよき実を与えてくださいました。1966年には3年ぶりの洗礼式が千代田湖で行われ、3名が受洗しています。翌年は4名の学生、以後、1970年までの間に9名の学生が受洗しました。宣教団は学生伝道のためにクリスチャンセンターを1966年に献堂しました。学生伝道の働き、センターの建設をしてくださったテーラー師は、1967年に休暇で帰国し、代わって鈴木洋吉師が奉仕されました。同時期には学生伝道のためにJ・フジモト師、千塚で西甲府キリスト福音教会の開拓伝道を始めたG・レデン師、福音書房で労されたR・ワンダ師、R・ハンター師などの「ガイジン」が多く、大学生達が多く集う教会であり、そのような中で信仰に導かれる若い魂が起こされたのです。
(50周年記念誌より つづく)