戦後80年を迎えます。証言者が絶えつつあることを実感します。そこをくぐり抜けてきた世代の人たちは誰しもが口を揃えて、「戦争はダメだ。絶対にしてはならない」と言います。自らが体験したつらい記憶は決して消すことができません。
戦争直後の1945年11月、首相になった幣原喜重郎は大東亜戦争調査会を設置し、次のような挨拶をしました。「今日我々は、戦争放棄の宣言を掲ぐる大旗をかざして、国際政局の広漠なる野原を単独に進み行くのでありますけれども、世界は早晩、戦争の惨禍を自覚し、結局、私共と同じ旗をかざして、はるか後方に着いてくる時代が現れるでありましょう。我々は、この際、戦争の原因及び実相を調査いたしまして、その結果を記録に遺し、もって後世国民を反省せしめ、納得せしうるに十分力あるものに致したいと思うのであります。…将来我々の子孫が戦争を考えないとも限らない。その時の参考に今回の資料が非常に役立つような調査をせなばならぬ。」残念ながら、この調査会は打ち切りとなりましたが、彼はの憲法第九条、戦争放棄の発案者ではなかったかと言われます。
残念ながら、世界中で戦争が繰り返され、大戦後、戦争をしなかった国は片手で数えるほどしかありません。
聖書の中にイスラエルの歴史を学ぶと、人は同じ過ちを何度も何度も世代が変わると起こします。預言者のことばは届かず、むなしく流れ去ります。それほどに、人は愚かなのです。私など、中学の歴史では、近現代はすっ飛ばしてほとんど学ばず、高校では歴史は学ぶ機会がありませんでした。学校も国もその大切さを伝えようとはしてはきませんでした。
私たちが変えられるのは今と未来です。過去は変えられません。しかし、過去に学ぶことは、先人たちの過ちや失敗、反省を繰り返さないためです。証言を絶やさずに耳を傾け、その声を聞き届けていきましょう。