手入れがされてる気持ちよさを

 エントロピーの法則を知っているでしょうか。ドイツの物理学者ルドルフ・クラウジウスが熱力学における可逆性と不可逆性を研究するための始めた概念です。たとえば、熱いお茶を放っておくと冷めてしまいます。元には戻りません。熱が周囲に拡散してしまうからです。元に戻すためには再び熱を加えるというエネルギーが必要です。
 そこから転じて、「放っておくと、物事は散らばる一方」、「放っておくと、部屋は散らかり放題」、「社会は放っておくと、どんどん無秩序に乱れていく」などと、他のことにも通じて使われるようにもなりました。そう、私たちの身の周りというのは、放っておくとどんどん散らかって乱雑になります。手入れをしないでいると汚れが溜まり、劣化して傷んでいくのは一方通行で自然に戻ることなどありません。必ず手入れをしなければならないのです。ですから、きれいで気持ちよく使うためには絶えず手を入れ続けなければなりません。ちり一つないようなところ、雑草一つ生えていない庭など、相当な努力なくしてはあり得ないのです。
 教会の建物にしろ庭にしろ、それは手が入れられて皆が気持ちよく使えるものであること、誰でも気持ちよく迎え入れられること、清潔感のある場所であることが基準でしょう。そのためには多くの労力がかかります。気持ちよい空間は誰かが手入れをしなければありません。気にはなっても、また来週、また来週と思っているうちにすぐに時は流れていきます。
 昨日は、兄姉の労によって、会堂がパリッとキレイになりました。よく使い、よく手入れをし、よく献げ、よく働き、礼拝するにふさわしい場所に、神の家族が喜んで交わりのできる場所に、そして、そこに周りの人たちを迎え入れるにふさわしく整えておきたいものです。そして、労してくださった兄姉、普段から奉仕くださっている兄姉に感謝です。