「あわれみに気づいていますか」第二歴代誌28:1-19

 アハズの治世、彼は「主の目にかなうことを行わず、イスラエルの王たちの道に歩み…バアルの神々のために鋳物の像を造」りました。それゆえ、主はアラムの手に渡し、イスラエルの王の手にも渡されます。ウジヤが整えた兵力は4割が殺され、20万もの民が捕虜としてサマリヤに引いて行かれます。ジリ貧の状態に置かれます。ところが預言者オデデのことばによって、捕虜は帰されるのです。
 主のあわれみのゆえに、イスラエルの心を動かしてくださった。それにこたえて悔い改めて信仰を新たにするかと思いきや、アハズは大国アッシリヤに助けを求めます。アッシリヤは助けになるどころか、ユダを苦しめます。さらにエドムとペリシテに攻められるのですが、それでも悔い改めず、ダマスコの神々を拝み、甚だしく主の信頼を裏切ったのです。
 国々の栄枯盛衰、それは数十年単位で変わります。そして、それはバベルの日から変わりません。「名を上げよう」とするとき、人も国も高ぶるのです。バベルの日以来、散らされた世界に再び「名をあげよう」というものが出てくる。すると再び打たれ散らされます。神は歴史を司り、人の高ぶりを打ち砕くのです。この出来事だけを見るなら、これもまた、国々が争った出来事しか見えません。しかし霊の目、主の視線でことを見るなら、それは人をへり下らせるため、自らのあり方を省み、悔い改め、心変えるようにとの主の促しです。
 それは、時代や国の動きだけではありません。ひとりひとりの歩みにも当てはまります。今まで学んできた諸王たち、みな生涯通して主に従い通すことを妨げ、主から引き離そうとする力は強く働きます。小さな出来事に霊の目をもって主の問いかけを聞き取り、目を開いて主のあわれみ恵みを見て、我が身を振り返り、悔い改め、主にまっすぐに従うことに導いてください。感謝を持って歩みをさせてくださいと祈り進みましょう。