私たち人には、「いやだなぁ」と思う「心のつかえ」のようなものがあると、それは重く心を支配します。老牧師から、いい言葉を聞きました。それは「和解せよ」です。「自分の生まれた街が嫌いだった。その街と和解した」と言うのです。その街が嫌いというのは、過去の様々な記憶と結びついています。
「遠くで汽笛を聞きながら」というアリスの谷村新司の唄があります。それがよく言い表しています。
悩み続けた日々が まるでうそのように
忘れられるときが 来るまで心を閉じたまま
暮らしてゆこう 遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことが なかったこの街で
俺を見捨てた人を 恨んで生きるより
幼い心に秘めた むなしい涙の捨て場所を
探してみたい 遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことが なかったこの街で
私たちの心は時と場所と関わる人と大きく関わっています。ひとたび忘れていたことも、その場所に行くと思い出される。あの人に会うと思い出してしまう。だから、それを避けている。そういうことが少なくありません。再び傷が掘り返されると傷つくからです。
真に必要なのは「和解」です。それは3つの場で必要です。第一に神との和解。どうして、こんなことを許されたのか。どうして、こんな目に遭わせたのか。しかし、ひとり子イエスをして私たちを赦し、神の子どもとしてくださった。第二に自分自身との和解。現在、過去、未来の自分を受け入れられない。だからいつも不満を抱えている。神に受けれられた「愛する子」と呼んでくださる。第三に他者との和解。自分にされたこと、赦せぬ思いや憎しみ、復讐心。イエス様の愛をいただいた私も赦す。そこには、すべてのものから解放された真の自由があるのです。