教会の器を整えることは、目に見えて結果がはっきりと見えます。一方、教会の内側を整えることは簡単なことではありません。教会の歴史で誰もが初めての経験だったからです。また、一人一人が主にあって信仰が交わりを聖霊に明け渡して「変えられなければならないもの」を持っています。また、キリストのからだとして一つに生きるために心得るべきことを学ばなければなりません。
教会規則を定めたときに、総会の定員数を『現住陪餐会員の三分の二」としましたが、1982年11月の臨時総会が定数に満たずに不成立となりました。長期欠席者から委任状がとれないことが原因でした。それまで長期欠席者の回復を願って名簿から除くことをしてこなかったのですが、この年、12名を別帳会員にしました。
このような痛みを教会は覚えます。それは教会が生きていることの印でもあります。理想だけではない、神の家族として、生きた生身のからだは傷つくのです。それを超えて働かれるキリストこそが教会のかしらであるこをと確認し続けなければなりません。また、新会堂建設、学生センター購入の話し合い、大きなことをともに話し合うことを通して、いくつかの課題が明らかになりました。牧師、役員会、信徒、お互いの意思疎通、教会の一致のこと、牧師の働きや任期のこと、昭和町開拓伝道のことなどです。
この時から「月報」を発行して教会の動きや信徒会の様子が見えるようにしました。話し合いでの発言はすべて記録し、実名入りで文書に残して配布しました。すると、無責任な発言はできなくなりました。皆が自分の発言には責任が伴うことを学びました。やがてそれはイニシャルに変り、意見の要約に変わって今に至っています。
様々な問題や痛みを通して教会は訓練され、主にふさわしくと願う祈りに導かれ、主にある一致へと導かれていくのです。