「光の子どもになる」エペソ5:8-15

 「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。」このみことばは、教会学校で今年掲げているみことばです。
 闇の中では何も見えません。見えないだけで「ない」訳ではありません。あるものが隠されて見えないのが「闇」の正体です。そのように私たちには隠したい、見せたくない、自分でも認めない自らの姿があります。
 私たちの心の中には獣が住み着いています。ここのところ、私たちは連日、熊のニュースを見ています。熊にはことばが通じません。言い聞かせることも、理解することも、鎮めることもできません。そのように、私たちの内には自分でもコントロールできない獣が住みついています。思うがまま振る舞う。それで急ぎ、いばり、そうもいかないといじける。それが闇の姿です。
 それを「明るみに出しなさい」というのです。私たちは赦され、受けいられるという安心のないところでは心を開けません。非難され、拒絶され、屈辱を味わい、孤独になることを恐れる心があるからです。5:1では「愛されている子どもらしく」ということばがでてきます。そうです。私たちは主イエス様が十字架でいのちを捨てるほどに愛され、赦された者たちです。ですから安心してキリストに照らされて、隠された心の奥を照らしていただくのです。そして、悔い改めて赦され、光の子どもとして生きるのです。
 光の子どもとして歩む者は、「何が主に喜ばれることなのか」が生きる基準です。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。」(1テサ5:16-18)影や闇に隠す必要はありません。私たちの心は顔に表れます。自分の顔に喜びがあるでしょうか。祈りと感謝があるでしょうか。子どもたちと共に、光の子どもとして歩もうではありませんか。