聖霊の働きには「劇的な力の顕れ」があります。ペンテコステの日の出来事や、サマリヤ人の救い、異邦人の救いとともに見えない聖霊が見えるかたちで現れて力づけます。また、特別な賜物と力を与えられる出来事が記録されています。それは、2000年の教会の歴史の中にも、あるいは旧約聖書の中にも特別な聖霊の力の介入という、神の側からの一方的な神の恵みとして与えられる力があります。
もう一つは「御霊に満たされなさい」です。これは私たちが求め、命じられていることに従うことです。それを求め生きる人のゴールは、御霊の実、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」を結ぶことです。ここには「ぶどう酒に酔ってはいけません」とあります。酒は、人を鈍くします。ですから、悲しみ、苦しみ、悩みを緩めて忘れ、人を楽しくさせます。あるいはタガを外して、暴力、暴言を、それによって、いろんなものを壊します。17節には「愚かにならないで」とありますが、与えられている理性を鈍くさせるのです。ですから、「あなた方は酒に酔い、酒浸りのごまかす生き方から、御霊に満たされ、御霊にに浸って、それに導かれて生きる生き方をしていきなさい」と命じられているのです。
それを生きるということは、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、絶えず御霊が求めていることを考え、それに従い、それに導かれて生きていくことです。そこには「詩と讃美と霊の歌を持って互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、いつでも全てのことについて主イエス・キリストの名によって父である神様に感謝する」、そういう喜びを共に分かち合い生きるところに導かれていくのです。
「聖霊の火を心に」宿すためには、ただひたすらに、「御霊に満たされなさい」とあるように生きることです。そのように生きる者たちには、暗く沈んだ時代の中にあっても、神の恵みを豊かに受けるのです。