私たちの教会も、そして、周りの教会も、会堂のことでは色々苦労をしてきました。初代教会の礼拝は神殿に集まり、家々でパン裂き=聖餐式をしたところから始まります。教会ということばはエクレシア、群れや集まりを指すことばです。本来的に教会というのは建物ではなくて「人の集まりが教会である」ということは、私たちが覚えておきたい大切なことです。そして、その器としての会堂は必要に応じて様々な建物が使われてきました。旧約聖書では幕屋、それがやがて神殿へと移ります。それは神のご臨在、その御前にいけにえを献げて贖いをし、きよい神とともに歩む場ですが、そこでも求められたのは信仰です。
日本の宣教は大きく3つの波がありました。キリシタンの時代、開国とともにプロテスタント宣教師が入ってきた明治期、そして戦後のっキリスト教ブームです。どの時代に共通してるのは、国の歴史が大きく動いて、人の心が新しいものに動かされる時代です。一方、1995年頃を境に斜陽の時代が今です。それと同時に、イスラム圏を除く自由に宣教できる国の中で、最も福音の伝わらない国が日本です。
その中で、心に留めたいことばが、このことばです。「朝にあなたの種を蒔け。夕方にも手を休めてはいけない。」その結果を知らないから、「やってみなさい」という主の励ましの言葉です。そして、そのために私たちも、周りの教会もみな労苦を繰り返して来ました。
時代の変化、特に若い人たちの行動パターンが変わりました。見えるものや場所は問題でなくなり、「関係と関心」で行動します。一方、私たちの考え方は古いままで追いついていないことしばしです。大切なのは、私たちの生き方、教会の向きが、それでも、前向きに「やってみよう」と進むこと。手にある種を蒔き続けること。今、委ねられてできることをおささげしたいと思うのです。それをともに励まし合っていきましょう。