IT技術(information technology)には、人格がない。そこにはI , you, he, sheという人格(person)は存在しない。ITはitだ。
デイヴ・ペルザーの「ITと呼ばれた子(A Child Called “It”)は衝撃作です。私は最後まで読み進めることができず、いまだ読み切っていません。児童虐待を自らが受けた著書が明かした、壮絶な日々の記録です。相当な誇張や歪曲が入っているとも言われますが、問うていることは、子供を人間扱いせずに「それ」・「あれ」と呼ぶ人格否定です。
技術は進歩します。10年前には考えられもしなかったような技術が次から次へと現れます。大きなテープレコーダーやレコードが過カセットに、MDやCDになり、ICレコーダーになりました。写真機や8ミリフィルムが、姿を変え、担ぎ上げていたものが、ポケットに入るようになりました。どこにいても電話が通じ、世界の裏側までテレビ電話で話せるようになりました。人のコミュニケーションが育てらたり、新しい世界が開けるように盛んに宣伝されますが、大きな錯覚です。
人格は触れ合うことでしか成長しません。「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる」(箴言27:17)のであり、「わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない」(箴言1:8)とあるように、とりわけ、最も近い関係、家族の中での魂の触れ合いによって人は成長するからです。
父の日、母の日を覚える時、それは互いの役割をもう一度確認し、改めて自らの献身と互いに感謝と尊敬を表す時にしたいものです。父であるあなたはどうでしょうか。あなたの家の父に対してどうでしょうか。人格は名付けた名前に込めた思いから始まるように思います。それを思い起こし、神の恵みによって与えられた家族を喜びましょう。