コラム:過去のすべての投稿

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献金の心得

 新しい年度が始まり、それぞれに主の御前にどのように歩むのかを再構築していることでしょう。  私たちにとって何を大事にしているのかを表すものは、時間とお金の使い方です。礼拝を献げるということが一つの指標であり、献金を献げ Continue Reading →

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「働く」こと、回復と喜び

 先主日は清水先生に講壇のご用をしていただきました。70歳を境に牧師を退き、新しい地で新しい仕事をしていると伺いました。人にとって「働く」ということは大きなことです。社会的には職業・無職という境があり、何によって生計を立 Continue Reading →

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初めの志を大切に

 この春は新入学する子どもたち、就職して社会人としてはじめる若い兄姉にフレッシュな息吹を感じます。誰もがそのように新しい春に胸躍らせて、期待をもってスタートしたときがあったはずです。ところがいつの間にか日常の中に流されて Continue Reading →

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不信を乗り越える確かな希望

 「復活」ということばは希望に溢れています。もうダメだと思っていたこと、死して終わったものが再びいのちを取り戻す喜びだからです。しかし、人の死というものだけはどうにもならない。それが人の限りであることを誰しもが知っていま Continue Reading →

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神は近くにおられる

 イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。(ヘブル2:18)  この世界には理不尽なこと、不条理なことが溢れています。「正直者が馬鹿を見る」ということわざあり、徒花( Continue Reading →

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鳥羽季義(すえよし)師とウイクリフ

 ウイクリフ聖書翻訳協会によると世界では2022年の統計で7,388の言語が使用されています。そのうち聖書全巻が724、新約1,617、部分訳1,248、合計3,589の言語に聖書は翻訳されました。ヨーロッパではラテン語 Continue Reading →

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3.11、十年一昔に祈ること

 3.11、東日本大震災から明日で丸13年が経ちます。これだけの年数が経過すると、復興事業も終わり、もう被災地とは呼ばれることもなくなり、人の記憶も薄れていきます。未だ解決には膨大な時間がかかる原発を除けば、かつて大きな Continue Reading →

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暮らし方それぞれ

 総会での選挙開票の合間、掃除機の話題を話ました。コードレス掃除機があったら奉仕がしやすいという声があって、すでに購入を依頼していたのですが、皆さんにもちょっと聞いてみようということでした。ちょっとの話題のつもりが、出る Continue Reading →

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割り切れないことと謙遜

 今週はうるう年の2月29日があります。地球が太陽の回りを一周するのには約365.24219日かかるそうです。私たちが使っているのは1582年にローマ教皇グレゴリウス13世が導入したグレゴリオ暦です。それまで使われていた Continue Reading →

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「悲しみと喜び、愛と赦し」第二コリント1:23-2:11

 パウロの伝道によって始まった異邦人中心のコリント教会に彼は少なくとも4通の手紙を書きました。最初の手紙の後、第一の手紙。そこでは様々な教会の問題を教え、13章の愛の章を書きました。それでも問題を抱えた教会にパウロはきび Continue Reading →

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痛みを知る者だけが

 ドラッグストアのレジで、前で会計をしている女性と店員さんが、共感して慰め合っていました。二人とも同じように左手の指を怪我して包帯巻いているのです。何かに挟んで怪我をしたらしいのですが、「やっぱり左?」「そうそう、右手で Continue Reading →

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H先生の思い出

 先生には、先輩牧師として、多くの配慮と祈りをもってのお交わりを感謝しています。私が指の怪我をして入院したときに、こんな時に読む本こそ読む本だからと持って来てくださったのは長谷川町子傑作集でした。初期のサザエさんの漫画で Continue Reading →

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役員の奉仕と支え合う恵み

 何事でも人を選ぶということは大変なことです。私たちの周りでは自治会にしろPTAにしろ、誰かがやらなければならない役ですが、多くの人が面倒がり、役を押しつけあって、なかなか決まらなかったりします。自分から献げて人のために Continue Reading →

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前を向いて進もう

 「リバイバル」、それが与えられるならば教会が100年かけてなすことを主は1日で成し遂げられる。それが教会の歴史の中で主がなさってこられたみわざです。生きておられる主は聖書の時代から今に至るまで働いておられるのです。一方 Continue Reading →

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どこにでも起こることなのだが

 震度7!いまだ聞いたことのない揺れが、新年早々能登半島を襲いました。正月に家族が集まっていたところにケイタイのアラームが鳴り響き、千年に一度とも言われる大地震。最大西へ1m、そして4mも隆起したというのですから、その揺 Continue Reading →

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喜び、祈り、感謝をもって

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ5:16-18)  喜びとはギリシャ語のカイロー、挨 Continue Reading →

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神が人となってくださった愛

 毎年クリスマスには、イエス様の降誕のストーリーを繰り返し繰り返し読み返します。そして、それはページェントとして演じられたり、子どもに絵本で読み聞かせたり。若いマリヤとヨセフとそれをとりまくザカリヤやエリサベツ、羊飼いや Continue Reading →

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アルタバン、もう1人の博士

 子どもの頃に聞いて心に残っているクリスマスのストーリーに『もう一人の博士』という話があります。19世紀のヘンリ・ヴァン・ダイクという人の作で、3人の博士の他にもう一人の博士がいたというフィクションです。  アルタバンは Continue Reading →

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喜びの知らせ〜アドベント〜

 毎年アドベントがやってきます。二千年の長きにわたって代々のキリスト者たちは救い主の現れを待ち望んできました。それはベツレヘムでの誕生であり、また、再臨の希望です。救いの完成を待ちわびているのです。  最初の知らせは野番 Continue Reading →

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こどもクリスマス会

はじめての方もぜひ、おいでください!お待ちしています!

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間違えて覚える暦

 先週はアドベントを一週間違えてアナウンスしてしまい大変申し訳ありませんでした。教会歴の多くは「移動祝日」で、毎年変わります。暦を意識することはあまりありませんが、間違いを機に、ちゃんと覚えておきたいと思います。  一番 Continue Reading →

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時代の変遷と伝道(6)

 1995年はIT(Information Technology、情報技術)・デジタルの世界にとって大変革の年となりました。この年、Windows95が発売され、同時にインターネットサービスが使えるようになりました。それ Continue Reading →

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こどもの成長を喜ぶ

 こどもは遊びの天才です。大人が「おぜんだて」したことなど、まったく意に介さず、思いついたことをそのまましちゃいます。後先を考えることもなければ、周りの目を気にすることもありません。夢中になっているときには時も忘れ、いや Continue Reading →

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時代の変遷と伝道(5)

 日本の教会の成長は1995年頃を境に鈍化から減少に転じます。それは日本社会の衰退とも深く関わっています。1990年代はじめからの「失われた30年」とも言われる時代背景を考えたみたいのです。その中でも宗教界に大きな影響を Continue Reading →

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イスラエルと終末

 今、イスラエルとハマスの戦争状態が続き連日ニュースを賑わしています。ウクライナ戦争も止まぬ中、背後にあるイランやサウジアラビアという中東の諸国とイスラエルを支援する米国、そのさらに背後にうごめくロシアや中国など世界大の Continue Reading →

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時代の変遷と伝道(4)

 1960年代から1980年代、それは日本のみならず、大衆伝道という働きがされた時代でもありました。米国のビリー・グラハムを招いての国際大会は日本では1956年、1967年、1980年、1994年の4回にわたって開催され Continue Reading →

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時代の変遷と伝道(3)

 1970年代、福音派の教会は宣教師たちの活躍によって大きく前進しました。ここ甲府でも3組、4組の宣教師たちが入れ替わり立ち替わり活動した時代がありました。1ドル360円の固定為替制が変動為替制に移行したのは1973年の Continue Reading →

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時代の変遷と伝道(2)

 戦後のキリスト教ブームに続く1950-1960年代、それは日本の都市化、東京への一極集中と重なります。田舎から都会へと人は流れました。日本人の中には家(イエ)文化が深く根付いているように思います。ですから、イエを守り、 Continue Reading →

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時代の変遷と伝道(1)

 アフター・コロナと言ってもまだ終わっていないのですが、教会の営みは前とは違っています。そして、教会員も教会外の人たちもキリスト教や教会についての意識が変わってきています。その中でどのように伝道の使命を果たせるのかと考え Continue Reading →

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旧約聖書を学ぶということ

 6月の終わりから旧約聖書のあらすじを学んでいます。コロナからの回復と捕囚からの回復を重ね合わせて、散らされた者が集められることをともに学ぼうと導かれたからです。それにに先立って旧約聖書の出来事を学んでいます。何ゆえに捕 Continue Reading →

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89歳のテーラー

 「えっ、この人89歳?」若々しい顔つやにとてもそんな歳とは思えない。テレビを見て驚いたのは安積登利夫さん。現役テーラー(紳士服仕立屋)として働いておられる。しかも、後進の育成のために6年前に「東京洋服アカデミー」を開い Continue Reading →

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性加害とねじ曲がった支配欲

 セクハラを告発する「Me too」運動が世界中に広がり、日本でも性暴力事件の告発が後を絶ちません。そして、ジャニーズ事務所という芸能プロダクション、人に夢を売る場、そして被害者たちが男性であることに世間は大きな関心が集 Continue Reading →

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特別に愛されている者

 祈祷会で学んでいるダニエル書の9章と10章に「特別に愛されている者(人)」という表現がダニエルについて書かれています。前の訳では、「神に愛されている人」と言う訳でした。他の訳を調べてみると英語の訳では、highly e Continue Reading →

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身の周りをスッキリ、前へ

 身の周りをきれいに保つことと生きる心の向きというのは結びついているように思います。物をポンポンと捨てられる人がいます。いつまでも捨てられない人がいます。次から次へと物を買い換える人がいます。一つのものを大切に使う人もい Continue Reading →

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地球沸騰化の時代のチリツモ

 私は暑さが苦手です。もっとも、得意な人などどこにもいないと思いますが。寒さは着込んだり、暖房を使ったりすればどうにかなりますが暑さだけは逃れようがありません。せめて暑いさなか日中は動かないでいるしかありません。  その Continue Reading →

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ヨベルと回復と平和

 私たちはこの8月、終戦を覚え平和を祈ります。先人たちが二度と戦争をしてはならないと心に誓い、平和憲法を新たに戦後の歩みを始めたことを忘れてはなりません。一方で今に至るまで、世界では戦争・紛争は止むことなく続き、冷戦から Continue Reading →

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主の御前に誠実に働く

 連日、ビックモーターの不正がニュースを賑わしています。「日本一!」という謳い文句とは裏腹に日本一の不正を働いていたことが次から次へと明るみに出てきました。クルマの中身というのは、プロでなければわからないこともあって、「 Continue Reading →

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バベルは決して続かない

 ノアの洪水後の世界、権力を手に、覇権を求める世界、その絶頂の一つがバベルの塔です。人・モノ・カネを集中させてヒエラルキー・階層社会を造ります。神はそれを止めるために言葉の混乱をもって散らされたました。世界に権力は分散さ Continue Reading →

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時間、空間、関係

 私たちは、みな時間と空間の中で日々を営んでいます。礼拝をささげるのは安息日であり、主の日です。安息日、それは「止める」ことを意味します。日常の時間を「止めて」造り主なる神を覚えるのです。それが復活の主を覚えて週の初めの Continue Reading →

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 八紘一宇(はっこういちう)とは、『日本書記』に由来し、元来、「天下を一つの家のようにすること」、「全世界を一つの家にすること」を意味する。これが、第二次世界大戦中、日本の中国・東南アジアへの侵略を正当化するスローガンとして用いられていった歴史があることばです。

 八紘一宇(はっこういちう)とは、『日本書記』に由来し、元来、「天下を一つの家のようにすること」、「全世界を一つの家にすること」を意味する。これが、第二次世界大戦中、日本の中国・東南アジアへの侵略を正当化するスローガンと Continue Reading →

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クリスマスの習慣と祝う心

 クリスマスを祝う飾りにはリースやツリーなど様々なものが使われます。リースは材料にモミや月桂樹、イチイなどの常緑樹が使われます。冬も枯れない、永遠のいのちを表すものです。ヒイラギを拝するのはモーセ召命の時の燃えた柴のシン Continue Reading →

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バラが咲いた、バラが咲いた

 教会の庭に、真っ赤なバラが咲きました。草木の葉も散る晩秋にひときわ映えて見えます。口を突いて出てくるのはマイク眞木さんが歌ったバラが咲いたです。  バラが咲いた バラが咲いた まっかなバラが  淋しかった僕の庭に バラ Continue Reading →

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こどもが宝となるために

 来春、こども家庭庁が創設されます。その是非や効果は別として、背景には少子高齢化する社会を国としてどうにかしなければならないという意識の表れでしょう。少子化の指標には合計特殊出生率など難しい用語も多いのですが、わかりやす Continue Reading →

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ハロウィンとお盆と死生観

 ハロウィンのお祭りが近年と言ってもここ10年位でしょうか、あちこちで仮装のお祭りとして見聞きするようになりました。今年はとりわけ韓国のソウルで150人を超える人たちが圧死するという痛ましい事故が起こりました。お祭りとい Continue Reading →

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御前に出るにふさわしく整える

 ここのところ、立て続けに数台のスマホのバッテリーを交換したり修理をしたりしました。一番先に気がついたのは、老眼が進んだこと(笑)。スマホは機械式の腕時計と並んで世界で最も小さなネジが使われています。時計職人はルーペを使 Continue Reading →

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きよく汚れのない宗教

 安部元首相の銃撃事件後から旧統一教会問題がメディアを賑わしています。長らく触れてこなかった問題が急浮上したのは、政治との結びつきです。票田としての宗教団体、その団体が何やら怪しい。関係はどうだというところから始まって今 Continue Reading →

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乗り物と自由のはなし

 遡ること30数年前、神学生だった私に奉仕先のリーズナー宣教師が私に聞きました。「松村さん、クルマは好きですか?」 好きとか嫌いとか、そんなものは超えて、すべて献げたつもりであった私は苦し紛れに「きらいではありません」と Continue Reading →

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エレベーターに困った話ですが…

 先日、T教会で会議がありました。茨城県にある教会ですが、元の名をS教会。東日本大震災では屋根が落ちて穴が空く大きな被害がありました。屋根が落ちるほど建物が古く傷んでいたのです。まとまった額の震災支援献金、少しずつ献げて Continue Reading →

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文化大命令と私

 二つの台風とともにようやく秋らしい季節になってきました。今年は6月に異常な暑さがやってきて、4ヶ月近く、「夏」の暑さ厳しい日が続きました。わが家の庭では、例年8月にミョウガが採れるのですが、今年は一か月ほど遅く、今が旬 Continue Reading →

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教皇フランシスコの言葉、その広さ

 私たちがこの3年ほど苦慮してきたコロナをどのように考えたらいいのか学んでいます。その一つが、「教皇フランシスコ、コロナの世界を生きる」という本です。私たちプロテスタント教会は、カトリックの神学やあり方についてどこか一歩 Continue Reading →

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教皇フランシスコの言葉、その広さ

 私たちがこの3年ほど苦慮してきたコロナをどのように考えたらいいのか学んでいます。その一つが、「教皇フランシスコ、コロナの世界を生きる」という本です。私たちプロテスタント教会は、カトリックの神学やあり方についてどこか一歩 Continue Reading →

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老いと死は自分で選べない

 私家族が両親と暮らすようになってちょうど3年が経とうとしています。母に認知症の様々な症状や行動が現れて、二人で暮らすのはもう限界だと感じるようになって呼んだのです。馴染みのある土地や家を離れることは認知症にはあまりよく Continue Reading →

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オンライン礼拝初出席

 先主日の礼拝は家族にコロナ感染があってオンライン礼拝初出席となりました。会議などは何度もどころかオンラインを多用してきましたが、礼拝は初めてです。場所を整え、身なりを整え、時間前にyoutubeに接続して出席してみまし Continue Reading →

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水のはなし

 最近、水ってスゴイなぁとよく思います。私たちは水を飲みます。それで潤い、からだを保っています。料理をするにも水、水分のない食事は喉を通りません。煮炊きをして料理することでしか食べられないものも少なくありません。体を動か Continue Reading →

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エネルギーの憂いと原発と平和と

 電気が高い!ガスが高い!ガソリンも高い!何もかも高い!とため息をつくこの頃ですが、コロナ禍で産油国の生産調整によって価格が上がっていたのが、ウクライナ戦争によって拍車をかける事態になっています。また、電力逼迫という状況 Continue Reading →

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平和を願う声

 先週の説教の中でお話ししたことですが、文字として記憶に留めていただきたいことばがあります。戦争直後の1945年11月に幣原喜重郎内閣により設置され、幣原自らが総裁を務めた大東亜戦争調査会での発言です。この調査会はGHQ Continue Reading →

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戦争犯罪?戦争自体は?

 ウクライナの戦争が長引く中、戦争犯罪と呼ばれることばが流れてくるようになりました。戦争犯罪とは捕虜の虐待を禁じた「ジュネーブ条約」や非人道的兵器の使用を禁じた「ハーグ陸戦条約」から始まり、国際条約として降伏者の殺傷、禁 Continue Reading →

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時代の変化の中、慰めの場に

 安部元首相の銃撃事件から宗教とカルト、そして政治との結びつきが連日報道されています。オウム真理教の一連の事件後、宗教は危険という意識が刷り込まれました。そして今、宗教と政治、その影響力やカネの流れなどが話題になっていま Continue Reading →

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時代の流れと宣教師の労苦

 TEAM宣教団の年会に招かれてご挨拶をしてきました。何か皆さんを笑わせてくださいと言われ、こんな話をしました。  小学生のある日「センタッキー美味かったぜ」と話題になりました。「なんだおまえ洗濯機なんて食えないよ」。だ Continue Reading →

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教会が教会であるために

コロナ感染もようやく静まってきて、徐々に教会堂に集まれるようになってくるかと思っていた矢先、わずか一週間ほどで急激な感染者の増加ととも第七波となっています。すでに感染者の累計は1000万人を越え、国民の10人に1人。世代 Continue Reading →

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JECA30年と新たな祈り

 私たちの教会が所属する日本福音キリスト教会連合(JECA)が1992年に発足して今年はちょうど30年になります。それまで私たちの教会は日本新約教団に属していました。戦後、極東福音十字軍(現センド宣教団)の宣教師たちによ Continue Reading →

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カラダの不思議と神のご配慮

 怪我をして久しぶりに整形外科を受診しました。大きなものを運ぼうとして、バランスを崩し、ものが倒れないように抑えようとして右手の親指の付け根をへんな体勢で手をついたのです。角にぶつけたようで、すごく痛み、腫れてきました。 Continue Reading →

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ともに奮闘する励まし

 JEA(日本福音同盟、Japan Evangelircal Association)は、聖書信仰に立つ福音的諸教会の交流・協力機関です。私たちのJECA、同盟基督教団、福音自由協議会、保守バプテスト同盟、聖契教団、聖約 Continue Reading →

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共に神の御前に立つ日を待ち望む

 コロナも2年半近く、何の恐れもなく皆で集まっていた日がすでに遠く感じられます。最初はしばらくの間のことだろう、そして、これほど長引くとは誰も思っていませんでした。一時のことならばこの時だけだからと思えますが、こうも長引 Continue Reading →

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神の息、聖霊の力

 ペンテコステ、過越の祭から50日目の五旬節の祭の時、聖霊降臨日と言われます。イエスさまは人となって世に来られ、弟子たちとともに過ごされました。十字架と復活の後に昇天され、聖霊なる神さまが来てくださることをお約束くださっ Continue Reading →

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哀歌に聞く慰めのことば

 毎週祈祷会では、旧約聖書を1章ずつ読み学んでいます。今、エレミヤ書を読み終えて哀歌です。エレミヤ書はユダの末期、バビロンに攻めとられて都エルサレムが陥落し、王は捕らえられ、民は捕囚にされたところ。哀歌はその嘆きの歌、ヘ Continue Reading →

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エステル、エズラ、ネヘミヤ

 今、みことばの光の聖書日課であるこれらの書の背景にあるのは捕囚とその解放という出来事です。ちょうど先週学んだアブラハム契約。その中心は彼とその子孫を神の選びの民とすることでした。シナイ契約を通して選びの民が歩むべき道を Continue Reading →

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おうちに帰りたい

 先週の母の日、カーネーションをお母さん方にプレゼントしました。会堂にいらっしゃれなかった姉妹方を午後から訪問しました。廻り切れなかった方々には申し訳ありませんでした。それぞれお宅にお伺いしますと、皆さん教会にいらっしゃ Continue Reading →

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母の願いはピース、小さな幸せ

 世のお母さんたち、ただ一つ願うことは子どもの幸せ。それはお腹にいるときからはじまります。そして、生まれてきてからも与えて与えて、与え続けます。赤ちゃんが返せることはニコッという笑顔とごきげんな様子や仕草だけ。それですべ Continue Reading →

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少子高齢化を実感、よい模範を!

 ここのところ、牧師の訃報を多く聞くようになりました。先日教会連合の牧師たちのうち70歳以上が3割という数字も聞きました。高齢の牧師が召されたり、病気になったりで教会が立ちゆかなくなるようなところも出てきました。数えてみ Continue Reading →

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小さなことに感謝を

 今日は2021年度を終えて、教会総会を行います。通常でしたら様々な会や活動の報告をそれぞれお伺いし、活動を導いてくださった主に感謝を献げ、そのために労してくださった兄姉に感謝をするのですが、それぞれの活動もごく小さなも Continue Reading →

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救いの希望、復活!

 人は必ず死にます。穏やかな死もあれば、顔を歪めるような死がある。長い間の苦しみの末の死もあれば、突然の死もある。長寿を全うして迎える死もあれば、幼くして取り去られるいのちもある。自らいのちを絶たなければならないほど追い Continue Reading →

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愛ゆえの受難、そして勝利!

 イエスが十字架に架けられ十二時になったとき、全地が暗くなって午後三時まで続きました。そして、その暗闇の終わりに、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれてイエスは息を引き取りました。「わが神、わが神、どうしてわた Continue Reading →

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友達百人できるかな

 春を迎えました。桜は満開、木々が芽吹いて萌え始め、日差しが心地よい、いのちの恵みあふれています。それだけでなんだかいつもより気分がいい。そしてまた、春は新しいことが始まる期待あふれる季節です。その中でも、「一年生になっ Continue Reading →

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会うことでいただく元気が…

 コロナ下での生活が2年を数えるようになりました。礼拝堂に集まらない主日を迎え、これも一時のことと思っていたのですが、いまだ視界不良。先行きが見えません。教会の周りでも普段なら春に行き交う多くの大学生たち、もう、新3年生 Continue Reading →

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初めの思いを大切に

 昨日はK兄姉となった二人の結婚式でした。これから新しく始めるというのは、まっさらな白いキャンバスに絵を描いていくようなフレッシュな清々しいスタートです。何もかもが初めてで、驚きと喜びが待ち受けていることでしょう。ともに Continue Reading →

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国も民族も過去も超えて

 ウクライナの戦闘が止むことなく、ますます激しさを増し、多くの死者がでています。町が破壊され、家を失い、電気や水と食べ物などのライフラインを寸断され、ここに留まるもままならず、故郷を捨てて逃げ惑う人たちの姿にどうすること Continue Reading →

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戦争、疫病、震災をして祈る

 ロシアのウクライナ侵攻のニュースが連日報道されています。また、SNSを通じてナマの声を聞き、もし自分がその場にいたらどうするだろうかと問われます。安全というものは信頼によってのみ成り立つものです。どんなに厳重に鍵をして Continue Reading →

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思惑働く世界に祈ること

 ロシアによるウクライナの侵攻が始まりました。軍事施設を破壊して無力化し、チェルノブイリ原発を占拠して安全の鍵を握り、主都キエフを攻撃して政権を奪取しようとしていると報道されています。なぜ今ウクライナなのか。ロシアと欧州 Continue Reading →

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本当に必要なこと

 コロナ下での教会の営みが丸2年になります。この2年の間、教会員の中には、ずっと会堂に集うことを控えておられる兄姉もおられます。週日、週報を取りに寄ってくださったり、小さな会や掃除の奉仕などに立ち寄ってくださる度に私はお Continue Reading →

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雪のように白く〜恵みへの信仰

 久しぶりに本格的な雪が降りました。幸い大雪というほどのことはなく、ホッとしています。白銀や銀世界、雪化粧ということばがあります。すべてが白く覆われ輝く美しい様を表すことばです。純白ということばもあります。汚れ一つなく清 Continue Reading →

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庭木を手入れして考えた

 教会の北側の生け垣と植木の整理をしています。生け垣は抜きました。20年近く前、歯抜けになってみすぼらしかった山茶花の生け垣を植え替えたものです。年に数度、剪定などの手入れをしてきましたが、根張りが混み合ってきて株元に何 Continue Reading →

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ひとりの死への後悔

 山が好きな私ですがここのところもっぱら自分では登らず、ネットの記録を読んで楽しませていただいています。ここ数年でフォローしていた方が3名お亡くなりになりました。登山のリスクというのは登山技術、それは悪条件を見極める知識 Continue Reading →

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コロナの中での役員選挙

 コロナの感染急拡大が止まりません。ちょうど2年前の今頃は、コロナが騒がれ始めましたが、こんな状況になるとは誰も思っていませんでした。役員選挙や総会も暫定的な対応をせざるを得ませんでしたが、続く状況に教会員がみな揃って納 Continue Reading →

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ただ待つしかないとき

 私たちの人生にはただ待つしかない時があります。自分でどうにかできることなら、どんなことだってするのに、今はただ待つしかない。そういう時があります。便利な世の中になりました。24時間コンビニに行けば必要なものは手に入りま Continue Reading →

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今、手の中にあるものを喜ぼう

 年末年始をはさんで人流が多くなり、飲食や会合が増えた後、しかも、しばらく小康状態を保っていたので、気の緩みというわけではありませんが、警戒が薄らいでいたところにコロナの感染、おそらくオミクロン株だと思われるものが急拡大 Continue Reading →

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毎日をまっさらに

 「砂漠の知恵」(ヘンリ・ナウエン監修)という本があります。4~5世紀のキリスト教の隠遁者たちが砂漠(荒野)で祈りと断食の修道生活する中で語られたことばをまとめたもので、その言行録は修道院の中で語り継がれてきました。世間 Continue Reading →

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新しい心で新年を迎えよう!

 クリスマスが終わると、あっという間に年末が来て、新年を迎えます。どうしてか年末にことは集中して、あれもこれも終えておきたいという気持ちになります。けれど時間に限りはあるので、そのすべてを終えることはできません。一方で「 Continue Reading →

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何を献げようか

 私の喜びであるイエスさま、今、宝の箱を開き、私の持っている最高のものをあなたに献げます。一つ、二つ、そして、三つ。 1.金。それはあなたが私たちを治める王であることのしるしです。金。それは私の富、財産、この世における所 Continue Reading →

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キリストの平和を心に

 「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。」(コロサイ3:15)のみことばをともに学んでから、ずっと心に響き続けています。一方、それに抵抗を覚えているのが、「我が思い」です。パウロが語る古い人が新しい Continue Reading →

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年中行事と教会歴

 今年は教会からがアドベント、待降節と呼ばれるイエス様の御降誕を喜び迎える時を過ごします。プロテスタント教会では聖書のみ、信仰のみと言って、暦などを歴史的に重要とは扱ってきませんでした。祝うのは主にクリスマスとイースター Continue Reading →

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聖書に親しむために(5)

<使徒の働き3>  最初の教会はエルサレムで始まり、ユダヤ全土、サマリヤ、そして異邦人へと拡がります。そこで大きな壁となっていた壁が取り払われます。それはユダヤ人と異邦人の壁です。  ユダヤ人は自分たちこそが選びの民、そ Continue Reading →

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聖書に親しむために(5)

<使徒の働き3>  最初の教会はエルサレムで始まり、ユダヤ全土、サマリヤ、そして異邦人へと拡がります。そこで大きな壁となっていた壁が取り払われます。それはユダヤ人と異邦人の壁です。  ユダヤ人は自分たちこそが選びの民、そ Continue Reading →

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違いがあってもいい

 コロナの感染が劇的に抑えられ、感謝なことにここ2週間ほど県内の感染者ゼロです。これが一時的なもので第6波がくるのかこないのか、様子見の状態がこれからしばらく続くでしょう。こうなると一人一人が様々な対応と思いを感じるよう Continue Reading →

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SDGsとキリスト者

 ガソリンが高い!ちょっと前まで120円台だったガソリンが今や170円台。そして、まだ上がり切ってはいません。直接目に見えるのはガソリンや灯油ですが、電気料金もそして物流が価格に反映される食品も日用品も順に値が上がってい Continue Reading →

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寄り添う支えのありがたさ

 今週、健康診断を受けてきました。前回、胃カメラは数度「うっ」と苦しかった記憶があるのですが、今回は何度も何度も繰り返し苦しかったのです。ありがたかったのは看護師さんが背中をさすってくださって「だいじょうぶですよ」と言っ Continue Reading →

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神が立てる権威と私たちの務め

 私たちの国では今、国政選挙が行われようとしています。この世の政治に対して聖書はどう教えているでしょうか。  人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられてい Continue Reading →

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教会堂建築〜神の教会の恵みを手渡す

 教会にとって、教会堂は大切です。礼拝場所を借りて礼拝をしている教会があります。主日になると礼拝のための会場を整え、再び撤収します。教会の活動は礼拝だけではありませんから、物品をしまう場所を確保し、また、日頃の活動のため Continue Reading →

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感染者が減ってはきたものの

 8月には2万5千人という一日の新規感染者数を記録したときにはこの後どうなるのかと思うような事態でしたが、ここ数日、千人を切るようになってきました。それは、やっぱりオリンピックの緩みだったのかとか、その後、ワクチン接種が Continue Reading →

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聖書に親しむために(4)

<使徒の働き2>  使徒の働きのキーワードは1:8「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」です。この約 Continue Reading →

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あきらめと受容と寄り添うこと

 長年連れ添ってきた奥様を亡くされた先輩牧師二人の様子が気になってお電話を差し上げました。一人は昨年、一人は一昨年、それぞれ奥様を病で天に送りました。気になるのは食事です。「ちゃんと食べてる?」、「それが10kg、体重減 Continue Reading →

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誰かのために生かされている

 先日、「なんだか意欲が湧かない」という話をしました。コロナ禍の中、人と会う機会がぐっと減りました。それと深く関わりがあると思うのです。それは私たちが日頃、当たり前のようにしていたこと、誰かと会い、分かち合っていたこと、 Continue Reading →

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あなたの若い日に

 自分がそうなるまで気がつかないのが時の流れと歳の取り方、老いです。若い時というのは無限に先があるように感じます。時間だけではありません。何かことをしようとするとき、すべてが新鮮で好奇心や期待にワクワクすることにあふれて Continue Reading →

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デジタルの光と闇

 県のコロナワクチン大規模接種に行ってきました。時間帯も関係していたのでしょうが来ていた7割方が20代後半から30代の方々でした。20歳前後の方々はワクチン接種の意識が低調、中高年には予約のハードルが高かったということで Continue Reading →

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まさか、病院にかかれないなんて

 コロナの第5波、これまでの波をはるかに越える勢いで感染者が増加し、医療態勢の逼迫が続いています。通常であれば、救急車で運ばれて救急対応できた患者が病院にかかれない。そして、それはコロナの患者だけではなく、他の病気であっ Continue Reading →

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聖書に親しむために(3)

<使徒の働き1>  使徒の働き使徒行伝とも呼ばれ、イエス様の復活後、聖霊降臨とともに始まった初代教会と福音宣教の記録です。この後にある手紙はこの使徒の働きの背景抜きには理解できません。そして、その福音の前進はまだ閉じては Continue Reading →

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暴力は暴力で解決せず

 今日は終戦記念日です。先立つ記憶は空襲であり原爆、そして命を落とした多くの人たちとその苦しみです。戦争は二度と繰り返してはならないのです。「戦争を知らずに僕らはは生まれた。戦争を知らずに僕らは育った」という歌も1970 Continue Reading →

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生きる喜びか競う喜びか

 もうしばらくの間、登っていない。記録を見たらもう4年登っていない。でも、いまだにクライマーだと思っている私は、オリンピックを見て葛藤を覚えます。30数年前、クライマーは自然の岩場に行くしか登る術がありませんでした。初め Continue Reading →

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オリンピックの憂いとバベル

 オリンピックが始まりました。次々と行われる競技を複雑な思いで見ています。このために若いいのちの時間をかけてきた。心と体と技とすべてのものが整ってこそ表せるものは純粋に素晴らしい!体操も素晴らしかった!サーフィンやスケー Continue Reading →

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オリンピックの曇りと主にある望み

 まもなくかなたの流れのそばで   楽しく会いましょう また友だちと  神様のそばのきれいなきれいな川で   みんなで集まる日の ああなつかしや (新聖歌475)  私がまだ小学生だった頃、毎年、名栗川バイブルキャンプ場 Continue Reading →

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聖書に親しむために(2)

<福音書>  新約聖書は福音書、使徒の働き、手紙、黙示録という構成になっています。旧約とは旧い契約、律法と幕屋での礼拝による贖い。そして、それはユダヤ人に委ねられた恵みでした。新約とは新しい契約。それは、主イエス・キリス Continue Reading →

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何事にも時がある

 早春から、I姉が教会の庭にバラの苗を植えてくださいました。それではと春の草が生え始める時期から花壇を整え、樹を剪定し、草むしりに精を出し、芝生の手入れをしてきました。その甲斐あってとてもきれいです。  今、園芸も含めて Continue Reading →

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キャンプ場の今と必要

 キャンプ場は日本の宣教において長く多くの実を残してきました。私たちと関わりのあるのは奥多摩バイブルシャレーと奥多摩福音の家です。他に、同盟教団の松原湖バイブルキャンプや軽井沢恵みシャレーも利用されてきました。子どもたち Continue Reading →

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聖書に親しむために(1)

 「聖書は、旧新約六十六巻からなり、すべて神によって霊感された、誤りのない神のことばである。聖書は、神が救いについて刑事しようとされたすべてを含み、信仰と生活との唯一絶対の規範である。」これは、私たちの信仰告白の第一条で Continue Reading →

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我慢比べは好きですか?

 先日、JEAの総会でグループディスカッションがありました。8名が割り振られて、顔を合わせると、みんな一様に口を開きません。私が、「こういう時って、最初に言い出しっぺをした人がリードしなければならなくなるんだよねぇ」と言 Continue Reading →

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当事者でなければわからないこと

 福音主義神学会のオンライン研究会がありました。LGBTQの問題を中心に、藤本満師が講演をしてくださり、レスポンスと質疑応答が行われました。この問題は世間でもホットなイシューです。ところが、聖書的にどう取り扱ったらいいの Continue Reading →

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話が通じないもどかしさ

 母の様子が「おかしい」と初めて感じたのがちょうど5年前の5月のことでした。会議の帰り道、電話が鳴りました。「お父さんがおかしいん。」様子を訊くと脳出血の症状です。その時には、とにかくそれをどうにかしなければと実家に向か Continue Reading →

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たまたま、運よく、ラッキー

 先日、改めて考えさせられたことがあります。私たちは何気なく、「たまたま」という言葉を使うことがあります。一方で、「神さまが導いてくださって」ということばも使います。タイミングというのは不思議なもので、私たちの意思や考え Continue Reading →

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私たちの視野は狭いけど

 このコロナ禍、改めて覚えさせられているのは、私たちの視野がどこにまで向いているのかということです。私たちの日常生活は、通常ごく限られた範囲で暮らしています。特にこのコロナの中、1日に会話を交わす人の数は一桁くらいの人が Continue Reading →

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母の日の思い出と感謝を

・「子どもが幼稚園の頃、母の日に『肩たたき券』をくれたのだが、いざ使おうとすると『今日は使えない日』とか『期限切れ』とか言い出して悪徳チケット業者にひっかかった気分に」(52才・専業主婦) ・「母の日に旦那と子どもたちで Continue Reading →

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手入れを怠らずに気持ちよく!

 昨年から教会に来るようになったI姉が教会の花壇にバラを植えてくださいました。せっかくなので、それに続く桜の木の周りとそれに続く場所をきれいに整えて花壇を作りました。元々植わっていた草花、植えてくださった草花が、今キレイ Continue Reading →

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笑い、楽しみ、ワクワクすること

 「遊び」ということを考えさせられています。コロナになって、一緒に「遊ぶ」という機会がほとんどなくなりました。最小限の人との接触。礼拝も一緒におささげしたらほどなく散会です。これまで、おしゃべりをしたり、愛餐をともにした Continue Reading →

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礼拝を聖別すること

 「仕事をする場所と食事をする場所は分けた方がいい」という話を聞きました。この場所は仕事の場所、この場所は休む場所と物理的に場所を分けることで、心の切り替えをすることができるからという理由です。一人でお昼を食べる私は、毎 Continue Reading →

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「でも」と言いたくなる私たちですが…

 「1分の1という命の重み」という話を少し前にしました。毎日報道に上るコロナの感染者数。そこには顔も名前もありません。私たちも連日の報道に「多かった」とか、「少し減ったか」とか、一年もコロナ禍が続くと、コロナ慣れというか Continue Reading →

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悲しみの中にも望みを

 人は愛する者の死に悼み悲しみます。内村鑑三は、愛妻・加寿子の死の後に「キリスト信徒のなぐさめ」を著し、その中にこう書きます。  「医師、余の容態を見て興奮剤と睡眠薬とをすすむ。しかれども何者か傷める心を治せんや。友人は Continue Reading →

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イエスの叫びは私の叫び

 イエスが十字架に架けられ十二時になったとき、全地が暗くなって午後三時まで続きました。福音書はこの闇をごく簡単にしか記していません。そして、その暗闇の終わりに、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれてイエスは息を Continue Reading →

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イエスの涙と嘆き

 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。 ルカ19:41  イ Continue Reading →

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震災10年、さらなる祈り

 震災10年という節目を迎えました。私たちの生活は日々の待ったなしです。この10年で多くを失った人たちも新しい生活を定着せざるを得ませんでした。再建、再興、復興、創出と様々なことばが使われますが、それぞれのことばに探られ Continue Reading →

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あの日から10年!

 今週、東日本大震災からちょうど10年を迎えます。1年、3年は記憶もよみがえり、心も揺さぶられましたが、10年という年月は出来事を消化し、平時に戻っています。  10年の間、何度か三陸を訪れました。陸前高田では津波にのみ Continue Reading →

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コロナ下での総会

 昨年の総会はまだコロナをさほど意識せずにいたギリギリの時期でした。描いていた計画はできず、礼拝生活を保つこと以上には進めなかった一年でした。7月に信徒会をしたときには、どのようにして会議をしたら意思疎通を図れるのか。慣 Continue Reading →

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「集まること」の意味

 「集まること」の定義がずいぶんと変わりました。コロナの状況下で、今まで通りに集まることのリスクを避けるために、インターネットを使うようになりました。それは教会だけではなく、人が集まるところどこででもです。フィジカル・デ Continue Reading →

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役員を選ぶ、選ばれる

 初代教会最初の役員は次のように選ばれました。「兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。使徒6:3」ここに、選ばれる人には3つの条件があります。御霊に満ちたとは神との関係です Continue Reading →

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私たちの経験に無駄なし

 聖書の人物像というのは様々です。気性の激しいペテロのような人もいれば、若くて少々気の弱そうなテモテもいる。雄弁なアポロもいれば、筆は立っても見た目は弱々しく見えると言われるパウロ~そうだろうかとも思いますが~もいる。そ Continue Reading →

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教会のかしらはキリスト

 先週の信徒会では、意見が割れました。実際に割れたわけではなく、強い賛成の兄姉と強い反対の兄姉がいたわけです。2-6-2の法則をご存じでしょうか。人が集まるところ、物事を進めようとするときに、不思議とその割合になるという Continue Reading →

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手の中に宝を持っている

 新年度の計画を立てる時期になりました。ところがコロナの見通しもまだ立たない中、どのように計画を立てたらいいのか、悩ましく思います。それは社会全体がそうです。昨年の今頃まで、教会連合の会議で代々木のオリンピックセンターを Continue Reading →

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「なんというタイミング」創世記37:12-35

 なんというタイミングでしょうか。彼らにイシュマエル人の隊商が通りかかるタイミングは不思議です。シェケムで兄たちを見つけていたら、こうはなりません。ドタンにいるという話を聞かなければ、別の場所に探しに行くか、あるいは父の Continue Reading →

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1分の1という命の重み

 コロナの感染の拡大が続き、病院の受け入れ体勢が逼迫しています。すでに救急車の搬送先が見つからない。本来、入院するべきところを待機し、自宅で亡くなる方が出てきている。そういう話も聞きます。そして、しばらくの間、そのような Continue Reading →

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「良くも兄弟、悪くも兄弟」創世記37:1-11

 私たちに起こる出来事、それは偶然の積み重ねなのか、それとも神の摂理の中にあることなのか。それによってものの捉え方、生き方が変わります。神が御手をもって導いておられる。それを「摂理」と呼びますが、そうだとしたら、一つ一つ Continue Reading →

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その時にならないと

 わかっていたはずでした。今週は、コロナの新規感染者が5千人、6千人、7千人と急激に増えて、金曜日には7千8百人と8千人に迫る勢いです。驚くことではありません。気温が下がり乾燥する冬は毎年季節性インフルエンザが流行ります Continue Reading →

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「すべてのことが益とされる」ローマ8:26-37

 「あしあと」という詩はよく知られ、多くの人の励ましとなってきました。「わたしは、あなたを決して捨てたりはしない。まして苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」人生の困難は必 Continue Reading →

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イエスの恵みは注がれている

 子どもたちに誘われて、精進湖に日の出を見に行きました。真っ暗な甲府を出て湖に着くと、すでに日の出を待つ人たちが大勢カメラを構えていました。徐々に白んでいく空、そして、山際がオレンジ色になり始めると、富士山の頂上から順に Continue Reading →

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「栄光を待ち望む」ローマ8:18-25

 新しい年を迎えて、みことばを掲げて前進したいと願っています。この箇所の直前に、すでに「神の子どもとされた」こと、一方で、「子とされること、からだの贖い」を待ち望むと書かれています。確かに今、神の子とされていますが、救い Continue Reading →

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新しい年を迎える備え

 クリスマスを終え、年の瀬を迎えると、 身の周りを整えてさっぱり、また、やり残したことをキレイに片付けて新しい年を迎える気持ちになります。そして、どうしても間に合わないことには一つの区切りをつけます。時の節目というのは大 Continue Reading →

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「重荷を下ろして」マタイ11:28-30

 今年は、あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。(1コリ12:27)のみことばを掲げて歩みを始めました。教会の交わりが愛と一致に建て上げられることを願ってです。ところが、コロナのために集まること Continue Reading →

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「王の誕生、迎える喜び」マタイ2:1-12

 今年はコロナ一色の一年でした。そして、国のトップの言動に注目が集まり、また一人一人の内なる思いを探られました。裸の王様というアンデルセンの童話がありますが、見えないウイルスを巡って、人の目を気にして恐れる心、人のプライ Continue Reading →

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一歩進んで二歩下がる?

 先日来、「総合的・俯瞰的」ということばが気になりました。朝日新聞の記事に過去に例がないといえるほど「稚拙な言い訳」と政策コンサルタントの室伏謙一さんが書いておられました。元官僚です。言葉に含みを持たせる便利な用語、「概 Continue Reading →

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「神、我らとともにいまし」マタイ1:18-25

 イエスの誕生のストーリー、ヨセフはただ、二つのうちどちらを選ぶかを突きつけられました。目に見えることだけを信じるのか。それとも、目には見えないことだけれど、神がなさったことを信じるのかの二つです。目に見えることは、彼の Continue Reading →

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「罪深い人の中に来られた救い主」マタイ1:1-17

 新約聖書冒頭の系図、それはいわば神の救いのファミリーヒストリー。丁寧にそれを読み解いていくならば、その歴史と救い主キリストが来られたという恵みを気付かされ、勇気をいただくのです。  アブラハムの子孫、それは信仰による始 Continue Reading →

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アドベントと師走と

 キリスト教会は教会暦というものを大切にしてきました。プロテスタント教会は「信仰のみ、聖書のみ」ということを重んじてきましたから、どちらかというと、暦に関係なく生きているようなところがあります。しかし、人はともするとダラ Continue Reading →

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「進んで損をする話」ルツ4:7-12

 ルツの求婚にボアズは即断即決でことを進めます。キーワードは「買い戻しの権利」です。それは、元来、自分のものを代価を払って買い戻すということを意味することばです。何らかの事情で、土地を売り、あるいは身売りして奴隷にならな Continue Reading →

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コロナの第三波とこれから

 これまでで最も感染者数の多く報告されている第三波がやってきました。第一波のときには、検査態勢が整ってはいませんでしたから、実際には検査を受けられず陽性だった人たちがもっとたくさんいたことでしょう。夏の第二波では、検査態 Continue Reading →

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「主があなたを祝福されるように」ルツ3:10-11

 ナオミとルツは大きな喪失体験をして、ユダに戻ってきました。聖書の中で、最も大きな喪失体験をしたのはヨブでしょう。友人たちが慰めに訪れますが、やがて、ヨブを責め立てます。実に人間というもの慰めることも、慰められることも難 Continue Reading →

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「主よ、お話しください」1サムエル3章

 今日はサムエル記から、子どもたちの成長を願って、なすべきこと、心に留めるべきこと、祈り求めるべきことを聞こうと思います。  1,2章にサムエル誕生のいきさつが記されています。子どものいないハンナ、「万軍の主よ。もし、あ Continue Reading →

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テクノロジーとコミュニケーションと

 今年は2020年、ちょうど2000年、その年は世紀をまたぐ年、生まれた子どもはミレニアムベビーと呼ばれました。そして、21世紀の始まりである2001年生まれは新世紀ベビーと呼ばれます。その子どもたちが成人を迎え、世代は Continue Reading →

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秩序と品位

 米大統領選は前回もそうだったのですが、混迷を極めました。選挙方法は決められた手順とルールがあるはずですが、そんなルールはお構いなしに自分が有利になった時点で開票をやめろだとこと、裁判所に提訴するだの私たちの感覚からする Continue Reading →

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「御翼の下に」ルツ2:8-13

 ユダに帰って来たナオミ、一方、ルツにとっては見知らずの地です。そこで落ち穂拾いに出ます。生きる術のない二人にとって、これしか方法がありません。しかも、彼女はナオミより先に「畑に行かせてください…」と自ら行動します。自立 Continue Reading →

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O聖書教会との交わり

 群馬県O町、たとえて言うなら、群馬の昭和町です。クルマのスバルの工場から味の素の工場、パナソニックの工場など工場が立ち並ぶところ、昭和町と同じように税収によって群馬県で最も潤い、また工場労働者として、外国人人口が約2割 Continue Reading →

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「あなたの神は私の神」ルツ1:15-18

 ルツ記のストーリー、それを読むと、それは世界の片隅、しかも飢饉で逃れ、不幸続きの家族の途方に暮れるようなできごとです。しかし、そこに神は目を留めてくださるのです。それは、私たちにとっても大きな励ましです。いったいこの小 Continue Reading →

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次の世代が育つために

 今年の春、私たちの教会の役員はグッと若くなりました。30代二人、40代一人、50代が私を含めて二人。そして、敬老を覚える家族礼拝で、70代以上が21名いることに少々驚きました。そして、次の世代が育って来たことに感謝をし Continue Reading →

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ことを見分ける目

 昨日はN姉とK兄の結婚式でした。N姉はこの教会で育ち、私の結婚式のときのフラワーガールでした。その姉が結婚。感慨深いものがあります。コロナの中の結婚式、どのような形でするのかと招待をいただくと、フルーツパークの芝生広場 Continue Reading →

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「主とともに働く」マルコ16:18-19

 この箇所は主イエス様の昇天です。天は神のおられるところ。そして、地は私たちの住まうところ、それは決して隔てられているのではなく、主は御手を延べておられます。ルターは「主が近くにおられたとき、主は私たちから遠くあられた。 Continue Reading →

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「すべての人に福音を」マルコ16:15-18

 復活の主イエス様が弟子たちに命じたのは「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」(15)という命令でした。それは弟子たちにしてみれば、いままで考えられもしなかったスケールのことです。すべての造られ Continue Reading →

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コロナを巡る温度差

 GO TO トラベル、GO TO イートと次々にコロナ対策の施策が出てきました。感染拡大防止よりも、経済活動の停滞を打破したいという施策です。秋の行楽シーズン、休日にはここ山梨にも大勢の観光客がやってきます。あるいは場 Continue Reading →

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大切ななくしもの、見つかる喜び

 先週、鍵をなくして捜し回り、自宅と教会の間を3往復しました。しょっちゅう捜し物ばかりしている私はいつも身に付けている「財布・鍵・携帯」の3点セットを常に確認しています。それにもかかわらずです。こういうときは、最後に見た Continue Reading →

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「頑なな心の私たち」マルコ16:12-14

 イエス様に出会った二人の弟子たち、これは、よく知られていたエマオへの途上の出来事でしょう。ルカの福音書には詳細が記録されています。彼らはエルサレムへ戻ってイエス様の復活を他の弟子たちに知らせたのですが、「彼らはその話を Continue Reading →

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23.4度のふしぎ

 厳しかった残暑、最近は9月の中下旬まで続きますが、そこから一転、秋がやってきました。そして、短い秋から冬がやってきます。今年の冬はラーニャ現象のために寒い冬になりそうだという予報がでています。そのように季節は変わり、時 Continue Reading →

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「信じがたいよみがえり」マルコ16:8b-11

 ぷっつり切れたマルコの終わり。そこには二つの補追文が残っています。ある写本にはあって、他にないもの、その逆もあり、そして古く有力な写本にはこの補追文がない。それがゆえに、後に加えられたものであろうというのがこの箇所です Continue Reading →

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「神に仕える喜び」ルカ2:36-38

私たち誰にも老いはきます。必ずやってきます。今日は、アンナに目を留め、私たちのいのちの励ましとしたいと思います。 アンナ、その名は「恵み」の意です。84歳という非常な高齢でした。「アシェル族のペヌエルの娘」とあります。ヤ Continue Reading →

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最期に残るものは

 「あなたたくましくなったわねぇ。あのやせチビが」とは、私を見るたび、といっても毎日の日課のように、母は繰り返します。認知症が進んだ母は、直近のことはみな忘れてしまいます。午後になれば、午前中のことは忘れ、夕方になれば、 Continue Reading →

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早さと時間と大切なこと1

 トンネルでもめています。リニアの南アルプストンネル工事を巡ってJR東海と静岡県の調整が付かないまま、2027年のリニア開通予定は延期になる見通しです。水問題をクリアにできないからです。計画中の南アルプストンネルは約25 Continue Reading →

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世は移れど、変わらぬ御国を仰ぎ見る

 このコロナ禍の中、各国のリーダーたちはその政策に苦慮しながらこと動かしてこられました。みな待ったなしの緊急事態。その中での批判や迫り。どんな政策をとってもすべての人が満足できるような答えが見つかる訳ではない。大変な仕事 Continue Reading →

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疲れを覚えていませんか

 コロナ禍の不自由な生活が始まって、半年が過ぎました。酷暑の夏が加わって疲れを覚えていませんか。私たちの疲れ、それは、一筋ではなく、心と体と霊とみな切り離しては考えられません。みな繋がっています。そして、しばしば疲れの原 Continue Reading →

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日本人の心と人権、自立と連帯

 「自警警察」、あるいは「公開処刑」なることばがメディアに度々登場します。コロナの感染に目を光らせ、非難や中傷をする。あるいはネット上で犯人捜しをし、実名や住所、顔写真まで公開する。そして、それが誤った情報で濡れ衣を着せ Continue Reading →

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戦後75年とパンデミックの祈り

 「戦争は絶対にダメです」それは戦争を経験してきた世代の方々のことばです。お墓を通りかけると墓誌を見ることがあります。古いお墓には戦死者の名前がその場とが刻まれています。原爆や空襲の悲惨さという受けた傷、アジアの諸国を初 Continue Reading →

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換気のススメ

 コロナの感染再拡大の中、3密というキーワードが定着しました。教会でできる対策をまとめると5つの対策と改めてまとめ直してみました。手洗い、消毒、マスク、ディスタンス、換気です。はじめの4つは気をつけてきましたが、換気は窓 Continue Reading →

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まだまだ続くコロナ

 この連休、オリンピックが開催されるはずでした。ところが、コロナで延期され、その先の見通しは全く立っていません。来年はやる!などという何の根拠もない楽観論でことは進められないということを今や誰しもが感じているのではないで Continue Reading →

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災害に備える心

 去年の今頃は暑かった!そうです。今年は記録的な雨と日照不足が続いています。各地の豪雨の被害に心傷みます。福岡県久留米という地名がよく出ます。そこにテレビに映るスーパーがあります。久留米教会の渡辺牧師にもしやと思って聞い Continue Reading →

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教会の意味(2)信仰告白

 教会は新約聖書のギリシャ語で「エクレシア」という語が使われています。もともと、集会、集まりを指して使われる言葉です。旧約聖書には教会という語は出てきませんが、イスラエルの会衆を指して集会と用いられる語が、旧約聖書のギリ Continue Reading →

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教会の意味(1)私たちが教会

 聖餐の意味について、何回かにわたって確認をしました。次は教会です。集まることが困難な状況になった私たちです。そして、世界中の教会が同じ状況下にあります。感謝なことに、インターネットが普及して、自宅でもネットを介して礼拝 Continue Reading →

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あえて選ぶ自由

 この数ヶ月間、すべてがコロナに結びつくような生活を私たちはしてきました。今の状況が普段の生活とあまり変わりない人もいます。大きく変わった人もいます。それぞれの普段の行動範囲によってその変化は様々です。普段、私たちの生活 Continue Reading →

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聖餐の意味(3)

 聖餐、それは十字架の贖いを確信もって告白する象徴であること、また、キリストとの交わり、聖徒の交わりに加えられる恵みであることをお話ししました。今度は、聖餐を受ける心得です。  「したがって、もし、ふさわしくない仕方でパ Continue Reading →

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聖餐の意味(2)

 聖餐、それは心で信じていることを確かな告白とするという大切な意味についてお話ししました。それでは何を告白しているのか、その中身について考えてみましょう。聖餐式は「パン裂き」とも呼ばれ、ペンテコステの直後から行われるよう Continue Reading →

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聖餐の意味(1)

 今、私たちは礼拝をオンラインで守っています。そして、再び集まってともに礼拝をおささげする日を祈り待っています。いつもと同じようにとはいかなくなったとき、改めていままでしていたことの意味を問われます。おそらくアフターコロ Continue Reading →

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会堂を考える

 私たちの教会の今の会堂が建てられたのは1983年のこと、それから36年が経ちました。その頃からすると、会堂の使い方もずいぶん変わりました。一番大きな違いは幼稚園のあるなしと高齢化でしょう。私たちはそれ程先のことまでを見 Continue Reading →

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騒音と静けさと愛と

 引っ越しをしてから、新しい家はどうですかと聞かれることが多くあります。答えは「静かになりました」です。武田通りに面したセンターでは、絶えずクルマの音、通りを行き交う人の話し声が夜遅くまでしていました。それがないだけで静 Continue Reading →

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母の日と花言葉

 母を呼ぶ言葉はたくさんあります。一番多く使われるのは、お母さんと英語由来のママでしょうか。その他に、ちょっと上品な「お母様や母上」、くだけて、「かあさん、おっかさん、おっかー」、「お袋」などなど。それぞれに、特別に意識 Continue Reading →

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天皇の代替わりと偶像

 天皇が代替わりし、平成から令和へ元号が変わりました。一連の即位の礼、そして秋に行われる大嘗祭、そこには政教分離の原則から反対の意見も根強くあって、秋篠宮が皇族の行事として執り行う意見を述べたこともあり、興味深く見守って Continue Reading →

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行間を覚えて

 今日は、年度の決算総会を行います。その総会の各種の報告をみるとき、それが統計の数字であれ、会計の決算であれ、諸報告であれ、表に表れる数字や報告が表すものとともに、その影に隠れて見えない行間にある様々なことに、また感謝を Continue Reading →

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よみがえり、あきらめない

 「もう、ダメだ。もう、終わりだ。」そう思ったことはないでしょうか。十字架を前にして弟子たちは散ってしまいました。その後何をしていたのか福音書には記されていません。あの亜麻布を脱ぎ捨てて逃げた弟子はどこへ行ったのでしょう Continue Reading →

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立ちなさい、さあ、行こう

 「立ちなさい。さあ、行こう」とは、マタイ26:46に出てくる、イエスの言葉です。この直前、イエスはゲッセマネの園で祈りをしていました。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが Continue Reading →

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イチローの引退と人生の引退と

 イチロー選手が45歳で引退したのと時を同じくして妻の義伯父がちょうどその倍の90歳で亡くなり、この世での人生を閉じました。昨日まで誰の世話にもならずに元気に一人で暮らしていたのですが、風呂で心不全で倒れて亡くなっている Continue Reading →

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生まれ、迎え、育まれ、送り出す喜び

 人は一生の間に何度、出会いと別れとを経験するものでしょうか。どのくらいの数の人と出会いを繰り返すのでしょうか。あまりにも多すぎて数え切れません。また、その中でも長くお付き合いが続く人もいれば、短い間ということもあり、あ Continue Reading →

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認知症と家族と教会と

 母を病院に連れて行き、認知症と診断を受けたのが10月の終わりでした。その前から冷蔵庫の片付けができなくなり、それが玄関先までに臭いがするようになり、いよいよ専門的に診断が必要だと決断したのです。一番先に「お母さんおかし Continue Reading →

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震災8年、支援活動の一区切り

 あの3.11から明日、丸8年を迎えます。時の流れとともに、あの時の衝撃も、先の見えない不安と焦りが入り交じったことばに言い表すことのできないような思いも遠ざかっていきます。内側に問われた強い思いもまた日常に埋もれていく Continue Reading →

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球根と花といのちの積み重ね

 植物の種、あんな小さなものから大きな木にまで成長するのも不思議ですが、球根も不思議です。教会の庭では、春一番に咲くのは水仙、そして今、クロッカスが花を咲かせています。球根は季節を知っていて、それぞれの時期がくると毎年花 Continue Reading →

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総会では献身を新たに

 人の集まるところには、それが家族であっても、学校であっても、会社であっても必ず組織が生まれます。どんな組織でも三つの機能があると言われます。まず、仕事機能。目的を成し遂げzることであり、教会にとっては礼拝と交わりと伝道 Continue Reading →

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変えないラクさより新しい心を

 人間、新しいことが好きな人もいますが、多くの人は案外保守的です。それは同じことを続けていることの方がラクだからです。次に何が起こるのかわからないことよりも、同じ繰り返しで、次に起こることがわかってる方が心理的にも安心感 Continue Reading →

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偏見を超える暖かさを

 『ラビング 愛という名前のふたり』という映画を見ました。複数の州で異人種間の結婚が禁じられていた時代のアメリカが舞台です。リチャードとミルドレッドは、それが許されていないバージニア州から隣のワシントンD.C.に行って結 Continue Reading →

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役員を選ぶということ

 第三ヨハネの手紙には教会のとりわけ働き人をどのように扱うべきかについてのことが書かれています。一度目を通してからこの文を読んでいただくとよくわかると思います。  第一に働き人は何かを受けるためにではなく、御名のために献 Continue Reading →

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成人式に祈る願いと模範

 成人の日は小正月、昔の暦の一年の始まりとして15日に祝われてきました。数え年でしたから、この年から大人の仲間入りという式だったわけです。男子なら元服。元は頭、服は着用、つまり頭に冠をつけ、武士ならば烏帽子をつけ、女子の Continue Reading →

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L先生の働きに感謝!

 2014年の3月に甲府に来てくださり、4月から約5年間、尊い奉仕を献げてくださったL先生が、いよいよ離甲します。  私たちの願いであった学生伝道・若者伝道の働き、せっかく梨大の近くにあって、センターもあるのに、私たちだ Continue Reading →

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心の大掃除と思いを新たに

 クリスマスが終わるとあっという間に年の瀬を迎え、一年が過ぎ去ろうとしています。年末になると、なぜか不思議と毎年すっきり清々しく新しい年を迎えたいという思いになり、あちこち掃除をしたり、片付けをしたりし始めます。普段から Continue Reading →

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E教会を見て考えた

 先週は、姉妹教会であるEキリスト教会と講壇交換をして、よき交わりをいただきました。e教会は、会堂建築をして8年、考えさせられることがありました。 1. 会堂はキツキツだが、吹き抜けで開放感がある。100名を超えるくらい Continue Reading →

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「災難」か「福音」か

 救い主の誕生であるクリスマス。その始まりはわずかな人たちに知らされた「福音」でした。ヨセフとマリアという若い夫婦、貧しい羊飼いたち、遠く離れた東方の博士たち、神殿に使える老いたシメオンと老やもめアンナ。彼らは何の力もな Continue Reading →

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クリスマス考

 キリスト誕生の正確な日は誰にもわかりませんが、クリスマスの祝いは四世紀半ばからローマで12月25日に祝われるようになりました。ローマ人たちはこの日を「太陽の誕生日」として祝っていたことに関係しているという説が有力です。 Continue Reading →

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アドベントを迎える心

 アドベント(待降節)とは「到来」という意味で、キリストがこの世に救い主としてお生まれになった初臨と、復活の後、昇天したキリストが再び来られる再臨の両方を指して使われることばです。  私たちは近視眼的で、目の前のことしか Continue Reading →

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2030年、大人になったキミたちへ2

 今は2018年、ちょうど5年前、「2030年、大人になったキミたちへ」という文をここに書きました。5年という年月は10年ほどではないけれど、特に子どもや若い世代には大きな違いです。いや大人だってみんなそうです。教会にも Continue Reading →

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「主人がしてはならぬこと20箇条」

 修養会で紹介いただいた羽仁吉一のことばです。夫人の羽仁もと子は「婦人之友」設立、自由学園設立で知られたキリスト者として知られています。最も身近なしかも具体的愛の表れですね。 1. 朝寝坊してはいけない。 2. 夜更かし Continue Reading →

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礼拝に覚えたいこと

 ここのところ、礼拝について、とりわけ旧約聖書の礼拝について学んできました。少々読みにくく、「話す・聞く」よりも「読む・学ぶ」の方が良かったかと思いました。忍耐深く聞いて下さった兄姉に感謝を申し上げます。それでもまとめと Continue Reading →

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心とカラダ、魂と霊

 先週、ぎっくり腰で二日間まるっきり動けず、おおよそ一週間でほぼ元通りに戻りました。急性で痛めたものは、比較的治りが早いものです。一方慢性になっているものはなかなか完治というわけにはいきません。T姉がつけている十年日記に Continue Reading →

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慣れがもたらすものと欠け

●長年同じ仕事を繰り返している  ↓慣れすぎている ●仕事の内容を良く知っている  ↓記憶に頼って仕事することが多い ●仕事を苦労しないで出来る  ↓気軽に操作してしまう ●いつもの仕事ならスムーズに出来る  ↓突発的な Continue Reading →

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忘れないでいただきたい大切な一致

 私たち教会が、大切なことを決めようとするとき、必ず問われるのが「一致」です。三位一体の神は愛によって三つにして一つのお方です。そして、神の教会は一つとなることを通して御栄えを表すように、主イエス様の尊い贖いによって召さ Continue Reading →

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賀川豊彦、その足跡から

 修養会IIIでは、「神の国」の実践として、その多様な働きによって知られている賀川豊彦の生涯とその働きについて伺いました。牧師として、また特に社会活動家として名は知られていても、その働きについて学んだのは私にとっても初め Continue Reading →

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いのちの受け止め方

 2017年の日本人の平均寿命は女性が87.26歳、男性が81.09歳です。それは平均であと何年生きるかという平均余命の見込みを推計したものです。ですから、私たちが実際肌で感じている寿命とは少し異なります。明治期では女性 Continue Reading →

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愛のジレンマと小さな一歩

 先週、第一コリント13章の愛の章を一緒に読みました。私には、愛を語ることに「ためらい」があります。それは、いつも「語っている自分はどうなんだ」という問いかけを聞くからです。聖書を語って愛を語らずということはあり得ません Continue Reading →

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つまづきの事態

 前回、「アディアフォラ」という言葉を紹介しました。私たちの行動を考える上で大切な概念であることを学びました。しかしながら、二つの点において、アディアフォラはない。その一つが信仰告白の事態。もう一つがつまづきの事態です。 Continue Reading →

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つまづきの事態

 前回、「アディアフォラ」という言葉を紹介しました。私たちの行動を考える上で大切な概念であることを学びました。しかしながら、二つの点において、アディアフォラはない。その一つが信仰告白の事態。もう一つがつまづきの事態です。 Continue Reading →

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アディアフォラとは?

 アディアフォラ?聞き慣れないことばですね。聖書によって明確に命じられても、禁じられてもいないことで、個々の信仰者の良心と判断に委ねられている事柄をそう呼びます。元々は、ストア派の哲学者たちによって形成された概念で、善で Continue Reading →

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ビジョン・パッション・ミッション

 修養会Ⅰで学んだことの復習です。前回は幾分消極的なことをまとめ直しましたが、積極的に考えることはこの3つ。どこか、私たちの視点は目の前のことだけに追われて、神のみこころの全体像をつかめていないことがないでしょうか。改め Continue Reading →

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平和を祈る

 この夏で平成が終わります。30年前の昭和の終わりは、戦争と戦後の復興から高度経済成長という時代の一つの区切りであったように思います。平成の30年、バブルの崩壊とともに勢いのあったこの国は高齢化に向かい、産業の空洞化、か Continue Reading →

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マンホールチルドレン知ってますか

 先日、T先生が新しい会を始められ、そのアッピールのために来てくださいました。極寒の地、冬になるとマイナス30度になるところ、そこでホームレスの人たちが暮らすのがマンホールの中なのです。マンホールの中というか共同溝にはラ Continue Reading →

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日本の宣教、失敗の原因は?

 修養会ではH先生が「宣教の結実のために克服すべき課題」というテーマでお話くださいました。そのいくつかをここに書き留めて参加しなかった兄姉も一緒に覚えていただきたい、あるいは復習としてともに覚えておきたいと思うのです。 Continue Reading →

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むしろ、思いやり、助け合い…

 豪雨や地震、災害がかつてより頻繁に起こるように感じます。果たしてどうなのでしょうか。気象庁の統計によると、Ⅰ時間に50ミリ以上の大雨が降る頻度は1970~80年代に比べて3割程度増加しているといいます。短時間で一気に降 Continue Reading →

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オウム、あれは何だったのか

 オウム真理教事件、あれはいったい何だったのか。奇抜な選挙運動、まさか、あれで当選するとは誰も思いませんでしたが、おかしなのが出てきたなと思ったのはよく覚えています。ネット通販などなかった時代、パソコンを買うのに秋葉原に Continue Reading →

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わずかな時間をかき集めれば

 先週の教会連合の全国総会で新たな仕事が一つ増えて、その時間をどう捻出しようかと頭を悩めています。50歳を過ぎてから、体力的に無理がきかなくなりました。40代のうちは、まだやれる。鍛え直せば若いときと同じにできる。そんな Continue Reading →

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カミングアウト

 先週はダルクの皆さんに招かれて、「依存症セミナー」に参加させていただきました。依存症の経験者がそれぞれお話しをしてくださいました。アルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症、摂食障害、買い物依存症、またその家族。そ Continue Reading →

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依存症回復の12ステップ

 依存症回復の12ステップは1939年にAA(アルコホリック・アノニマス)が出版し、それから様々な依存症回復グループに広まったものです。 ●1.私達は○○に対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認 Continue Reading →

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事故の後始末は終わらない

 Fバプテスト教会を訪ねた後、原発周辺地域を訪ねました。広野火力発電所、福島第二原発、福島第一原発が約10km離れて海沿いに並んでいます。その間にあるに天神岬という高台の岬に立つと、川沿いに巨大な防潮堤が見えます。あぁ、 Continue Reading →

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前に進む以外は考えない

 「あの日から、前に進む以外は考えないと、決めました」とは、Fバプテスト教会のS牧師のことばです。S牧師とは前々から少々のお交わりがあり、常々不思議に思っていたことがわかりました。こういう心構えで生きてこられたのかと。 Continue Reading →

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聖霊変わらず、信仰奮い立たせる

 ペンテコステから始まった初代教会。使徒たちの宣教と力あるわざにエルサレムの指導者たち、長老、学者たちは怒りに燃えて迫害を始めました。ペテロとヨハネは牢に入れられますが、真夜中に主の使いがそこから連れ出します。牢に入れて Continue Reading →

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翼の教会

 先週の月曜日、福島○○教会を訪ねてきました。震災翌年の2012年、県民クリスマスにS牧師を招いてお話しを伺いました。その前から、幾度かお会いする機会があったのですが、その場をいつか尋ねてみたいと思っていたのです。  震 Continue Reading →

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何事にも時期がある

 春から初夏の季節、先週、ようやく菜園を耕しました。記録を見ると、畑をお借りして5年目です。そして、例年、このゴールデンウィークの前には耕し、その前後で夏野菜の植え付けをしています。その前だと、遅霜にやられることがあった Continue Reading →

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なくし物をするって

 最近、なくし物をした人を見るととっても申し訳ないのですが、ちょっと嬉しくなります。ヒドイですね。ホントにゴメンナサイ。あぁ、自分だけじゃないって、スゴク慰められるのです。先日もある姉妹に「なくし物ってする?」と聞いたら Continue Reading →

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献金の心得

 新しい年度が始まり、それぞれに主の御前にどのように生きるかを再構築していることでしょう。  私たちにとって何を大事にしているのかを表すものは、時間とお金の使い方です。礼拝を献げるということが一つの指標であり、献金を献げ Continue Reading →

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イエスの涙と嘆き

 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。 ルカ19:41  イ Continue Reading →

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権力という魔物と億タレ

 人が権力を手にしたとき、初めの思いからかけ離れた傲慢な人間に変わってしまうことは少なくありません。まるで国を世界を自分で動かしているような思いにとらわれてしまうのです。そして、誤りや過ちを詫びるという謙遜な態度をなくし Continue Reading →

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なぜなのかよりもどうするか

 東日本大震災から丸7年となりました。私にはどうしてもぬぐい去れない思いがありあした。それは、「神様はどうしてこのような震災を起こされたのだろうか、許されたのだろうか」という思いです。それは、自然災害が起こる度に思うので Continue Reading →

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春のよろこび

 3月に入ってぐっと春めいてきました。教会の庭で春一番に花を咲かせるのは水仙とクロッカスです。不思議と毎年その時期になると花を咲かせます。早天祈祷会の朝6時も真っ暗だった冬の時期から少し明るくなってきました。先週は春の嵐 Continue Reading →

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体温って36度?37度?

 先日、面白い話がでました。C先生が「日本人は37度になると熱が出た!って言うけれど、私の37度は平熱。A兄も37度は平熱って行ってたょ」と言うのです。その場に居合わせた日本人(笑)は、みな37度は平熱じゃないとみな口を Continue Reading →

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教会の悩みと信仰と

 先日訪問した父の従兄弟から自身の属するO教会の50周年記念誌、80周年記念誌を頂戴しました。送ってくださったのです。ザッと目を通しただけでも、そこには長老・執事として記録に名前がずっと刻まれていることがわかりました。8 Continue Reading →

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ファミリーヒストリー

 私の父には兄弟がなく、10歳の時に疎開先の東仙台で母を亡くしました。祖父は戦後、転勤願いを出して、そこで家族揃ったのですが、父子家庭になって傷心で東京に戻ってきました。それを支えたのは親類たちです。とはいえ、私にとって Continue Reading →

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ファミリーヒストリー

 私の父には兄弟がなく、10歳の時に疎開先の東仙台で母を亡くしました。祖父は戦後、転勤願いを出して、そこで家族揃ったのですが、父子家庭になって傷心で東京に戻ってきました。それを支えたのは親類たちです。とはいえ、私にとって Continue Reading →

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始めるは簡単、続けるは困難、乗り越える祝福

 「始めるは簡単、続けるは困難、乗り越える祝福。」結婚生活を続けているカップルなら、このことばの意味がよくわかると思います。結婚することは簡単です。それこそ婚姻届け一枚で結婚できます。しかし、それを続けることは容易くはあ Continue Reading →

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始めるは簡単、続けるは困難、乗り越える祝福

 「始めるは簡単、続けるは困難、乗り越える祝福。」結婚生活を続けているカップルなら、このことばの意味がよくわかると思います。結婚することは簡単です。それこそ婚姻届け一枚で結婚できます。しかし、それを続けることは容易くはあ Continue Reading →

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公同の教会、主の教会、私の教会

 私たちは普段、「教会」を意識するときには「自分の教会」を無意識のうちに結び着けて考えています。一方で、聖書に出てくる教会とは、「キリストをかしらとするからだ」として語られています。そこには、まだ見たことのない人たち、自 Continue Reading →

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公同の教会、主の教会、私の教会

 私たちは普段、「教会」を意識するときには「自分の教会」を無意識のうちに結び着けて考えています。一方で、聖書に出てくる教会とは、「キリストをかしらとするからだ」として語られています。そこには、まだ見たことのない人たち、自 Continue Reading →

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暗闇を嘆くより、ろうそくを

 「暗闇を嘆くより、ろうそくを灯したほうがいい」ということばを残して、M姉がボリビアに旅立って行きました。世界の惨状、暗闇、今のこの日本で暮らしていると実感に乏しいのが私たちではないでしょうか。そしてそれを見ても、肌で感 Continue Reading →

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おめでとう

 新年の挨拶は「おめでとう」ですが、「めでたい」というのはどのような由来なのでしょう。メデイタシ(愛甚)、メデイタシ(愛痛・感痛)、メデ(芽出)タシ、目ダツラシ、日出タシ・女出(天の岩戸伝説より)などが考えられています。 Continue Reading →

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天に積まれた宝

 年末になって召天の報せが届き、葬儀に参列してきました。長らくHi-ba(高校生聖書伝道協会)で高校生伝道の奉仕をしてくださったY先生、78歳。M先生の神学校の同級生で、ジャガちゃん、しょうちゃんと呼び合う仲だったと聞い Continue Reading →

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イエスを迎える心

 最初にイエスをこの世にお迎えした人たち、それは、マリヤとヨセフの夫婦、野の羊飼いたち、東方の博士たちでした。そして、さらにシメオン、アンナです。  若いマリヤに告げられたのは。「神によって不可能なことは一つもありません Continue Reading →

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惜別、S宣教師

 先週の日曜の午後、L宣教団のS宣教師召天の報せが入りました。インフルエンザ回復中、夕食の席で呼吸困難になり、そのまま召されたとのこと。水曜日に福音の家で葬儀が行われました。52歳私とほぼ同じ歳の先生の召天はとても大きく Continue Reading →

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群れの意思と公同の教会

 教会連合の奉仕に長年携わり、「教会の自立と協力」というテーマについて、長く考えてきました。そして私なりの理解を持つようになりました。それは、どんなに小さな群れであっても、たとえそれが二人、三人という群れであっても、群れ Continue Reading →

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次の世代に恵みを伝える

 昔から地方では、「子どもを優秀に育て過ぎると出ていく」と言われます。地方教会を訪ねると見事に若い人がいなくなって高齢者ばかりの教会がそこかしことあります。残念ながら地方には学校もなく、働き場もなく、都会に出て行ってUタ Continue Reading →

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身の周りに気を遣う

 10月の全国教職者研修会のとき、「牧師の高齢化」という分科会に参加しました。私も発題をしたのですが、それは、高齢化の傾向とそれに対して、若い牧師を生み育てるということについての発題でした。一方、すでに70代の二人の牧師 Continue Reading →

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新宗教と人の心

 新興宗教とも呼ばれる新宗教、それは幕末明治維新による近代以後に起こった比較的新しい宗教を言います。それらは多種多様な宗教を指します。その中でも1970年代以降に発展したのものは、新新宗教とも呼ばれます。  宗教学者の島 Continue Reading →

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洗礼という出発

 今日は洗礼式を執り行います。主がここまで導いてきてくださった恵みをともに感謝しつつ、私たちがいただいている洗礼の意味を今一度確認しておきましょう。  教会には洗礼(バプテスマ)と聖餐の二つ聖礼典がであります。この二つは Continue Reading →

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痛みを覚えるとき

 木曜日の午後、「あれっ」と思ったら傷みで肩が上がらない。物を持つのにも痛く、左腕が使えない。ドアを開けるにも、小さなカバンを持つことすら痛く辛い。一番不便なのは、クルマのシートベルトに手が回せない。痛いのはどうにもなり Continue Reading →

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未伝地を覚えて、祈りによって

 今年の修養会は久しぶりに泊まりがけでの会となりました。兄弟姉妹とゆっくり共に時間を過ごすのもまた楽しいものですし、感謝なことでした。  S先生はOMF日本委員会、日本から送りだす働きの総主事をしておられます。L師はシン Continue Reading →

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一つに集まることの意味

 先週は全国教職者研修会が行われました。北は北海道から沖縄まで、約180名の教職者が集まり、ともに交わり、研修を持つことができました。普段はなかなか顔を合わせることのできない先生方にもお会いし、励まし合うことのできたこと Continue Reading →

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牧師の高齢化と課題

 今週、全国教職者研修会があります。そこで、私が依頼された分科会の発題が「牧師の高齢化」です。それは、12年ほど前に、牧師の高齢化や交代に関わることについての論文を私が書いていたからです。JECAの牧師たちの年齢分布、そ Continue Reading →

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聖書信仰とは何か

 先日、西関東地区の役員研修会が行われました。そのテーマは「聖書信仰と役員」。聖書が役員について何と教えているのかということ、また、「聖書信仰」とは何か、それを見分けることの大切さについてともに学びました。  聖書信仰と Continue Reading →

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一人一人が喜んで献げる人に

 先日の休暇中の礼拝は、兵庫県N市にあるS聖書教会の礼拝に出席しました。何の責任もない一礼拝者として主日の礼拝に出席したのはいつのことか、10数年、記憶がありません。それはまた、新鮮な気持ちで礼拝に出席しました。  この Continue Reading →

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時代が変わりつつある

 先々週お伺いしたS聖書教会にはMハウスという施設があります。教会員が建てたアパート一棟をまるごと献げてくださったものです。高齢で行く当てのない教会員や様々な事情で必要を覚えてる兄姉のために用いられるように。主が必要を与 Continue Reading →

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人殺しの言い訳

 先週、NHKで「本土空襲全記録」という番組が放映されました。私の父は3才のとき、東京大空襲のさなかにいました。唯一、覚えていることは母に負ぶわれ、空が真っ赤だったという記憶です。幼児の記憶はほとんどが消えていきます。残 Continue Reading →

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平和への祈り

 8月の記憶は敗戦です。72年という歳月は世代が入れ替わり、すでにその記憶は遠く、立ち消えそうな灯火のようです。どうにかして平和を守りたい。私たちはそう願います。一方でことその視点を世界に移すならば、この72年間というも Continue Reading →

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ともに恵みを受けるために

 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。マルコ16:15  これが、私たちキリスト者に与えられた世界宣教の使命です。シンガポールの短期宣教チームの兄姉がこの Continue Reading →

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聖会の恵み、拡がる交わり

 先週、西関東地区の聖会がもたれました。2会場で合計180名くらいの兄姉が参加されました。聖会での恵みは、講師を通して語られるみことばに向き合うこともさることながら、新しい兄姉との出会いや交わりが与えられることです。   Continue Reading →

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もうここにはいない

 先週、N兄の火葬をしました。前日、ようやく見つかったお兄さんが甲府に来られて警察で手続きをしてくださり、引き取りの手はずが整ったからです。亡くなってからすでに一ヶ月以上が過ぎました。  亡くなった日の当日、病院に駆けつ Continue Reading →

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人生の後半戦

 聖学院大学の藤掛明先生の「人生の後半戦とメンタルヘルス」という本を読みました。私自身、後半戦に入っている。そして、その自覚を感じるこの頃、なるほどとうなずけることが多くありました。  「人生時計」というアイデア。自分の Continue Reading →

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神の恵みをともに喜ぶために

 先週は、L宣教師を送り出してくださっているC教会のW師とT兄が訪問くださり、よき交わりをいただき感謝をしています。改めて思わされたのは、李宣教師がここ甲府、そして私たちの教会で働いてくださっているのは、師の献身はもちろ Continue Reading →

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それでも生きている

 N兄の召天、いまだ葬儀ができずに、今日連絡があるか、今日連絡があるかと落ち着かない日々過ごしています。そして、心は寂しさ、悲しさ入り混じった思いをぬぐい去ることができませんし、自分はこうやって普通に過ごしていていいんだ Continue Reading →

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弱さにこそ現れるやさしさ

 N兄が突然天に召されて、そのショックは大きく、受け入れがたい悲しみと寂しさに覆われていました。時間の経過とともに、兄弟姉妹と分かち合うことを通して、それも少しづつ受け入れられるような思いになってきました。それでも、葬儀 Continue Reading →

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人のいのちの日は

 人のいのちの日は、たとえて言うならば、ローソクのようなものです。その始まりがあれば、必ず燃え尽きるときが来ます。それはみなよく知っています。誰もがそれを受け入れなければなりません。  私たちの目には、大きく、太く、長く Continue Reading →

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N先生の思い出

 先週、N先生が先週、85才で天に帰りました。先生と初めてお会いしたのは、32年前のバイブルシャレー。私はM宣教師と一緒にキャンプが始める前のワークキャンプに参加してキャンプ場の整備をしました。先生と神学生だったI福音教 Continue Reading →

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カラダの不思議と感謝

 「七転八倒」。このことばを使ったことは何度となくありますが、それは「たとえ」の話。あるいは心や思いの話。からだがそうなるとは思いもよりませんでした。右腹に激しい痛みが襲い、横になってもいられない。脂汗が滲み、のたうち回 Continue Reading →

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母の日とカランコエ

 先週のこと、GWに私と家内と両方の両親を訪ねました。昨年は私の父が急な病気で2度の手術と2度の入院。今年は家内の母が手術のために入院しました。長い時間ではありませんでしたが、顔を見せること、一緒に時間を過ごすことは家族 Continue Reading →

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引越しと持ち物と

 今春、昭和町におられたのF先生をはじめとして、親しい牧師たちが何人か新しい地での奉仕を始めた。それぞれに人生お大きな区切りを付けた先生たちがおられる。みな、その引越しに持ち物の整理を迫られた。子どもたちがそれぞれ家を離 Continue Reading →

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走り抜いた生涯とわが身

 OMFの日本フィールド代表であったF宣教師が約1年の闘病を経て、先週25日に天に帰られました。52才の短い生涯でした。私と同世代、4人の子どもたちも同世代、生きた時代や家族が似ていることもあって、人ごとではないそんな思 Continue Reading →

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動物を飼うススメ

 先日、獣医の先生とご一緒する機会がありました。その先生が動物を飼うススメをなさるのです。それは人より寿命が短い動物は必ず看取らなければなず、その死、看取りを通して人の死や自らの死について考えるからだと言います。犬の平均 Continue Reading →

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「贖い」のしるし

 「贖い」ということばは、キリスト教だけで使われるいわば専門用語です。それは、他のどこにもない唯一無比のことだからです。  「贖い」は過越の出来事として覚えられることです。主はエジプト中の初子を殺されましたが、家の門柱と Continue Reading →

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新しい春と人生の四季

 4月の春を迎えました。教会の庭に植えた杏の花が咲き、スモモの花が咲き、桜が咲き始めました。いのちの萌ゆる季節、私たちは季節の移ろいとともに新しい新鮮な思いをもって春を喜んでいます。「あぁ、四季とともに時を刻んでいるのだ Continue Reading →

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アスパラと時を待って

 先週のこと、センターの庭にいただいた野菜の苗を植えるために少し伸び始めた雑草を抜き払い、土を耕して苗を植えました。すると、すでにこぼれ種から芽を出したミツバやパセリに混じって、アスパラガスの芽が出ているのを見つけました Continue Reading →

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震災6年を覚えて

あの日、あの時から6年。 今も、あの揺れ、あの緊迫、忘れられない。 町中が暗く、長い夜を過ごして それでも、朝は明けていく。 日常のあたりまえのことがそうでなくなったとき、 いのちの危機を問われたとき、 何かをしなければ Continue Reading →

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グリーフワークと時間

 スイス生まれの女医であるキュブラー・ロスは200人の末期ガン患者にインタビューを行い、「死ぬ瞬間」という本にまとめ、ベストセラーとなりました。彼女によると、ほんとんどの人が共通する5つの過程を通ると分析しました。第一段 Continue Reading →

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奉仕をささげるとは

 奉仕分担の希望を出していただき、新年度の準備が始まっています。並べてみると目に見えるもの、見えないもの様々な奉仕を兄弟姉妹が負ってくださってはじめて教会というものが成り立っていることを覚えます。いつも私は思うのですが、 Continue Reading →

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いっぽいっぽ進めば

 何年か越しで冬の八ヶ岳、主峰の赤岳に登ってきました。最後の冬山に登ったのはもう、28年も前のことです。実は3年前に登ろうと、錆び付いた登山靴の手入れをし、湯村山を登ってトレーニングをしていたのです。ところがあの豪雪でそ Continue Reading →

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時を待つこと

 一年で最も寒いこの時期、春を待ち遠しく感じます。冬の時期、多くの植物は休眠します。落葉植物は葉を落とし、一年草の草花は種を残して枯死し、芽は生長を止めます。日が短くなり、気温が低くなることでその時期を見分けます。そして Continue Reading →

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「救いは神のもの」1ペテロ3:17-22

 「もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。」それは「いのちよりも大切なことがある。いのちをかける価値がある。」からです。また、キリスト者に与えられている救いが、この Continue Reading →

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地域社会の中で

 11月のこと、東京板橋の教会の牧師夫妻を訪ねました。前々からお訪ねしたいと願っていたところ、会議の晚、時間が空いてお訪ねしたのです。教会の様子をいろいろお伺いしたのですが、「え~、そんなことがあるんですかぁ」という話を Continue Reading →

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エピファニー(顕現日)

 もし、あなたがたが善に熱心であるなら、(1ペテロ3:13)のみことばを学んだ昨年、キリストの花嫁としての「あいうえお」という話をしました。「おっ」と驚く新鮮さを保つ。それは教会暦の様々な祝祭、その度、新たな励ましをいた Continue Reading →

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クリスマスと年末と

 毎年、クリスマスが終わると年末、新年を迎える備えを大急ぎでします。ゆっくりと一年の終わりを味わうことができないのだろうかと思いつつ、それを繰り返しています。    K教会の牧師であったS先生がよく「百姓には百の仕事があ Continue Reading →

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解決よりも大切なもの

 神であられるお方が地上に来てくださったのがクリスマス。イエス様の降誕です。そのイエス様が地上で受けられた最初の誘惑、それは荒野で受けた3つの誘惑でした。断食の後に石をパンになるように命じること。神殿の頂から身を投げてみ Continue Reading →

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牧師が足りない?

 来春、年度を期に牧師の働きを退いたり、一つの区切りをつけて、他教会へ異動したりする準備をしている牧師・教会にとって11月というのは大切な月です。この時期にほぼその方向が定まっていないと次年度への備えができないからです。 Continue Reading →

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米国が変わる?世界が変わる?

 世界の動きはで変わります。第二次世界大戦後の東西冷戦体制もベルリンの壁の崩壊とともにあっという間に崩れました。東欧の諸国の民族紛争、ジェノサイドという言葉に心痛めたのも私たちの記憶に残っています。アパルトヘイトで深い溝 Continue Reading →

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8分に賭けるメッセージ

 先週は、E中学の二年生の朝のチャペルタイムで話をしてきました。年に2回ほどのことなのですが、その時間わずか8分。いつも時間の制約に不完全燃焼を覚えます。ゲストで来る牧師さんの話。それが心に留まること、わずかでも、人生の Continue Reading →

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賛美の心と奏楽者の奉仕

 先週は、奏楽者研修会が行われてS先生から、様々なことを教えていただきました。その中から、そして、普段心に留めたいことも含めて、いくつかのことをお分かちしたいと思います。  まず、第一に賛美をささげるのには大きな歌で歌う Continue Reading →

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教会は中身で勝負

 先日、修養会の時、S師をお連れしてほったらかし温泉に行きました。休日ということもあって、スゴイ人出です。駐車場には県外ナンバーの車がズラッと並び、入場券の券売機は長蛇の列、中に入ってみると脱衣場のかごは満杯、広い風呂も Continue Reading →

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「TEA」を改めて考えた

 修養会では、S先生を通して、「神の期待される民」になるために、私たちが覚えるべきことについてみことばの説き明かしをいただきました。4つのメッセージをいただいた中で、私は先生がお話くださったTEAという私たちの人間理解に Continue Reading →

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生活習慣病とその処方箋

 先週の長野山梨区域の聖会、K先生が大変分かりやすく、私たちが陥ってしまう教会の生活習慣病についてお話くださいました。生活習慣病というのは、今すぐ命に関わるような問題ではありません。どこかちょっと調子が悪いなぁとか、疲れ Continue Reading →

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平均寿命と死、「生」の意味

 聖書には「人の齢は70年、健やかであっても80年」と言われます(詩篇91:10)。2015年の日本人の平均寿命は男女とも80歳を超えています。平均寿命というのは、その年に生まれた人が何歳まで生きられるかを示したもの。で Continue Reading →

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災害時に最も必要なこと

 ここのところ、災害が増えたように感じています。それも毎年。今年は東北豪雨で記録史上初めての東北への台風上陸。それも迷走した台風でした。過去5年を追ってみると、 2015年、関東東北豪雨:茨城県常総市の水害2014年、広 Continue Reading →

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段取りと片付けと心と

 昨日、婦人方が夏の大掃除をしてくださいました。きれいさっぱり整った台所、礼拝堂のカーテンや椅子のカバーの洗濯など、洗い物が乾きやすい夏の日、ご奉仕下さり、心から感謝しています。教会はそうやって多くの兄姉の奉仕の積み重ね Continue Reading →

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今、この一点のみ

 ここのところ連日、オリンピックの競技から目が離せません。我が家で最も応援していたのは白井健三選手。なぜって、我が家のケンと名前が一緒。そして、どことなく、顔つきが似ているから。彼が決めたのは、跳馬の新技である「伸身ユル Continue Reading →

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頂に至る道

 富士山に登ってきました。前回は28年前、雨霧の中。今回はピーカン。雲一つない快晴、日焼けがヒリヒリと痛いところです。さすがに世界遺産になって、その整備状況はとてもよくなりました。ゴミ一つ落ちていませんし、トイレはバイオ Continue Reading →

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職人さんの知恵、急がば休め

 お医者さんのT兄に聞きました。「どうして患者さんと毎日接しているのにカゼや病気がうつらないのですか。」「気合いだよ、気合い(笑)。」病は気からと言いますが、私たち人のからだというのは不思議なもので、なすべき務めの使命感 Continue Reading →

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牧師の継承のために

現在、JECAの牧師の平均年齢は60代前半、日本の平均はもう少し上のようです。しかも、ボリュームとしてはやっぱり団塊の世代が多いのです。あと5年後、10年後、一斉に牧師を続けられなくなり、次の牧師が起こされる祈りは急務で Continue Reading →

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熊本訪問記(2)

 激しい地震の被害がでるところでは、普段の生活がストップします。私たちも雪に閉じ込められたときに経験しましたが、陸の孤島となると、物資の流通が途絶えます。私たち現代社会は物流社会です。生活必需品、それらのはいつでもどこで Continue Reading →

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2年間の感謝

 皆さんに心からの感謝を申し上げます。先週のJECAの全国総会で私は運営委員長の働きを終えて、次の方にお委ねすることができました。この2年間、時間も心も多くの部分をそれに使わなければなりませんでした。それがゆえに教会員の Continue Reading →

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熊本訪問記(1)

 「遠慮なく言ってください。訪問して励ましになるなら行きます。疲れていておじゃまになるようだったらこっちで祈っています」そうお伺いしての熊本訪問でした。  地震以来週に2回、3回と奉仕を続けている久留米聖書教会の渡邉英治 Continue Reading →

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天気まかせ、季節まかせ

 桜の花でやってきた春はあっという間に行き過ぎて、初夏の季節がやってきました。教会の庭もセンターの花壇も、私の畑も放っておけば、雑草だらけになってしまいます。庭仕事、畑仕事は切りがありません。花を見たいし、収穫もしたい。 Continue Reading →

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子どもたちのために祈ろう

 感謝なことに、ここのところ毎年結婚式があり、若い夫婦が教会に加えられました。その兄姉は両方があるいは片方がクリスチャンホームの育ちです。この教会での教会生活が30年を越えた私は思うのです。「あぁ、あのかわいかった子ども Continue Reading →

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聖霊の「静と動」と「拒か従」か

 「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)これがイエス様の地上の最期のことばでした。また、 Continue Reading →

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すべての結婚の原点は

 先週はI兄とW姉の結婚式が祝福のうちに行われました。私たちは恋愛・エロスによって世に生まれ、愛情・ストロゲーの愛によって育まれ、友情・フィリアの愛によって生きがいを見いだす。そういう者です。  夢のない話で申しわけあり Continue Reading →

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ケアストーリーは突然に

 横浜での会議の帰り道、母から電話があり、「お父さんおかしいの」と言うではありませんか。大まかに話しを聞くと、脳外科の関連の病気らしいことがわかりましたが、耳が遠く電話での話が難しい母に説明するのも簡単ではなく、とにかく Continue Reading →

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熊本地震その後

 地震発生から約1週間、現地ではいくぶん落ち着きを取り戻しつつあります。寸断されていた阿蘇・南阿蘇も道路が仮復旧して、孤立した場所はなくなりつつありますし、熊本周辺では物流も戻ってコンビニなどが機能するようになってきまし Continue Reading →

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熊本地震の情報

 4/14(木)の地震に続き、4/16(土)熊本で大きな地震があり、余震が続いています。阿蘇市にある北島さんの実家は無事だったものの、周辺では大きな被害が出ています。親しい方が近くにおられる兄姉もおられるかもしれません。 Continue Reading →

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死を見て、いのちを覚える

 先週、古くの教会員でありましたO姉のお母様Mさんが召されて、家族葬をしました。97才という長寿をいただいてのことでしたので、よくここまで生かされたとの感謝が、そして、それを看取ることができた感謝と安堵が、別れの悲しみよ Continue Reading →

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球が走った、球が切れる

 先週、五味姉の企画でボーリング大会が行われました。考えてみるとイースターと何の関係もありません。でも、主にある兄弟姉妹が楽しみをともにすること、それもまた、神の家族としてよいことだなぁと思うのです。教会は勉強会でもなく Continue Reading →

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中関東から西関東へ

 明日、JECA中関東地区の第25回総会が行われます。最大の議案は地区の分割です。中関東地区は東は茨城の水戸・那珂湊。そこから千葉・東京をまたいで山梨、そして松本に至る広い地域に46教会、6伝道所が交わりを持っています。 Continue Reading →

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私の3.11、あなたは?

 2011年の東日本大震災、その前の年のこと、阪神淡路大震災で被災したS聖書教会のH牧師に「松村君、キミいくつ?」と聞かれ、「43です」と答えると、「ボクね、震災の時44やったから、今度はキミの番ね」と言われた。奇しくも Continue Reading →

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あの時聞いた迫りを忘れずに

 今週、あの東日本大震災から丸5年を迎えます。激しい揺れの記憶、ニュースに流れた目を疑うばかりの津波の惨状、原発事故の緊迫した決死の作業、故郷を追われる人たちの悲壮、混乱する首都圏の様子や物流の停滞、暗く長い夜の停電。こ Continue Reading →

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春を待つ心とイースター

 梅がほころび、暖かな日差しを感じるようになると「もうすぐ春!」と気持ちが前向きになりますね。「越冬」ということばがあるように冬を越すのは容易なことではありません。もっともその感覚は四季がある国だからのことで、赤道直下の Continue Reading →

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牧師がやめるとき、変わるとき

 1月の終わりに香川の教会訪問をしてきましたが、その一番大きな目的は二つの教会の牧師招聘のサポートです。一つは無牧になったところに招聘、もう一つは牧師の交代。188あるJECAの加盟教会では、毎年十数人の牧師の辞任・招聘 Continue Reading →

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香川の宣教と祈り

 四国4県の中で香川県は玄関口として、かつては宇高連絡線、今は瀬戸大橋で結ばれ発展し、その中心が高松です。戦後、極東福音十字軍の宣教師たちが山梨で活躍したように高松を拠点に香川県で宣教したのはTEAM宣教団、その中でもK Continue Reading →

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うまくいかないとき、恵みの年輪

 先週の日曜日、我が家の台所の水道が凍り出なくなりました。それから月曜日、火曜日と最低気温がマイナス7.4度と記録的な寒さ。私は出張中でしたので、どうにもすることができず、こうしてああしてと電話で言うことくらいしかできず Continue Reading →

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雪、神の創造のみわざの不思議

 今年も雪に悩まされる季節になりました。踏み固められて溶けて再び凍り、危険な雪、また、そのために雪かきをしなければならない面倒さと体力を奪う雪。やっかいなことばかりに思えますが、美しい真っ白な白銀の世界は心洗われるような Continue Reading →

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ハレとケ、食と恵み

 私たちの国には季節に応じた年中行事があります。お正月から始まって、節分、ひな祭り、お彼岸、節句、七夕、お盆、秋の彼岸、七五三、冬至と大晦日、それに併せた祭りごと、その他にも春夏秋冬さまざまな文化をもっています。それらの Continue Reading →

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毎日をまっさらに新しく

 「砂漠の知恵」(ヘンリ・ナウエン監修)という本があります。これは4~5世紀のキリスト教の隠遁者たちが砂漠(荒野)で祈りと断食の修道生活する中で語られたことをまとめたもので、それは修道院の中で語り継がれてきました。世間か Continue Reading →

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思いに任せないことこそ感謝

今年のクリスマスは、その前から、熱を出し、体調がいまいちスッキリしないまま迎えました。人によって受け止め方は違うと思うのですが、私の場合、根を詰めてことをして思わぬケガをしたり、熱を出したりすることがままあります。子ども Continue Reading →

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思いに任せないことこそ感謝の源

 今年のクリスマスは、その前から、熱を出し、体調がいまいちスッキリしないまま迎えました。人によって受け止め方は違うと思うのですが、私の場合、根を詰めてことをして思わぬケガをしたり、熱を出したりすることがままあります。子ど Continue Reading →

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クリスマス考

 キリスト誕生の正確な日は誰にもわかりませんが、クリスマスの祝いは四世紀半ばからローマで12月25日に祝われるようになりました。ローマ人たちはこの日を「太陽の誕生日」として祝っていたことに関係しているという説が有力です。 Continue Reading →

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世の光、主イエスの到来

 いったい自分はどこにいるのか、いつになったら出口が見えるのか、進んでいるのか戻っているのか、何が向こうにあるか、一歩先がどうなっているのかもわからない。暗やみでは何もわかりません。私たちにはどうしても光が必要です。   Continue Reading →

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私の栄光、神の栄光、互いの労り

 先週、60周年の記念会をしました。様々な奉仕をしてくださった兄姉、ともに参加した兄姉、お疲れ様でした。心から一人一人に感謝を申し上げます。 スライドショーをして振り返ると、とてもすべてを網羅することはできません。あの時 Continue Reading →

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教会の今昔、そして今

 キリストの教会、それはいつも「信じた者の群れ」(使徒4:32)です。そして、それは絶えず人の出入りがあります。新しく生まれた者、天に送る者、加わる者、送りだす者、一時を共にする者、長く交わりをつくる者、しばらく離れる者 Continue Reading →

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子どもが分かるためには

 教会学校の子どもたち、毎週、主のいのりを祈るのですが、その意味がいまいちよくわからないまま、習慣のように唱えている。もう一度、子どもたちが分かることばで主の祈りを教えようということになり、私が3回にわたって、お話するこ Continue Reading →

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建物の乱れは、使わないから

 「服装の乱れは心の乱れ」とか「部屋の乱れは心の乱れ」とはよく言われることです。私たちが生きていくということは、必ず、衣食住が伴います。そして、それは放っておいて保てるものではありません。絶えず、手入れが必要ですし、傷ん Continue Reading →

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瀕死の民衆〜ヘボンの熱意

 今年はヘボン式ローマ字で知られるヘボン生誕200年です。調べてみると、彼はもともと医師。医療伝道を志して幕末に来日し、同じ志を持つシモンズとともに横浜で活動しました。バラやブラウンら同時期の宣教師たちとともに活躍し、横 Continue Reading →

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パウロとテモテ、バルナバ

 先週の教職者研修会、牧会ととに北海道聖書学院の学院長の奉仕もくなさったY師が「神の協力者への警告と励まし」というテーマでメッセージをしてくださいました。その中で、若い頃、「あなたはパウロとテモテの関係を持ちなさい。バル Continue Reading →

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片付けと祈りと頭の整理と

 「整理術」だとか「断捨離」だとか、モノがあふれる現代社会ではどのようにものを整理するのかというのは大きなテーマです。定期的に引っ越しでもすれば、その度にリセットがかけられるのかもしれませんが、明日やろう、明日やろうと思 Continue Reading →

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教会の宝は人。顔と顔を合わせて

 先週は中部地区の13教会を訪問してきました。その教会には伸びている教会があり、一方でぐっと人が少なくなってしまった教会もあります。開拓伝道から長い時間が経っているのに一向に前進できないでいる教会もあれば、不思議と前進を Continue Reading →

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JCFNの働きと信仰の継続

 Japnese Christian Fellowship Networkは海外で信仰を持ったクリスチャンをフォローするネットワークです。月曜日、そのカンファレンスに招かれて参加してきました。私たちの教会では五味姉、宮原 Continue Reading →

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雨が降って洪水が押し寄せ…

 川の水、くるぶしの高さまでは比較的楽に歩けます。膝下になったら、歩くに難儀し、股下で精一杯、腰まで浸かったら立っているのが精一杯で、流れが速ければ流されます。プールの水とは大違いです。水の力の恐ろしさ、次から次へと止め Continue Reading →

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文書伝道といのちのことば社

 戦後の福音宣教で大きな役割を担ってきた一つは「文書伝道」でした。「読み書きそろばん」は日本の教育のキホンのようにされてきました。義務教育以前にも寺子屋で学び、幕末期、武士はほぼ100%、庶民層でも50%前後が読み書きで Continue Reading →

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松本平の宣教とJ師

 松本での宣教は1957年、TEAM宣教団のJJ師のお父様、CJ師によって始められました。最初の教会が松本聖書福音教会、その最初期の実の一人はI姉です。今は同盟基督教団に属する松本中央教会、豊科で始めた豊科聖書福音教会は Continue Reading →

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西日本地区の教会と課題

 JECAの西日本地区の諸教会、西日本地区とはいえ、教会には偏りがあり、四国の香川と神戸・西宮の諸教会はTEAMの宣教師によって開拓されました。他は京都と広島、九州の福岡、熊本、宮崎に点在する教会が加盟しています。今回は Continue Reading →

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壊れることは当たり前

 私は様々な修理をしますが、機械は必ず手入れが必要で、またヒューマンエラーが起こります。先日のこと、洗濯機の掃除をしました。分解して中の洗濯槽を外して水洗いするだけなのですが、台所のシンクの水切りや風呂場の排水口のような Continue Reading →

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戦後70年、教会の課題(3)

 国体の基である神道の神と聖書の神を結びつけて神国日本と混淆するあり方として、他にあるものの一つが日ユ同祖論です。日ユ同祖論は日本人とユダヤ人が共通の先祖を持つ兄弟民族であるとうい説です。  それはすべて推測というか都市 Continue Reading →

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戦後70年、教会の課題(2)

 聖書に従い、国体に従うというダブルスタンダードを持った戦時中のキリスト教会。教師たちはその統合をしようと試みます。1944年の復活節に教団は、「日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書簡」を発信します。その内 Continue Reading →

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戦後70年、教会の課題(1)

 先月、JEA(日本福音同盟)の総会では、「戦後70年にあたってのJEA声明」を採択しました。そこで問うたことを説明加えてお話したいと思います。  戦争直前の1939年、国は宗教団体法を制定しました。その目的は宗教団体を Continue Reading →

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福岡開拓伝道の報告と祈り

 JECAが1992年に設立されたとき、その願うところは宣教協力でした。まだまだ、宣教するべき場所、教会が届かない地に教会を建て、福音を宣べ伝える。JECAの大半の教会は宣教師たちの働きによって生み出された教会です。そし Continue Reading →

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結婚式において大切なこと

 昨日はW兄とY姉の結婚式が祝福のうちに行われました。二人に申し上げてきたことでもあり、また誰にでも同じことですが、結婚式において最も大切なこと、それは神と会衆との前で誓約するということです。結婚の基はこの誓約にあるので Continue Reading →

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失しものをしたとき

 いったいいままで何回失しものをしただろうか。そして、捜しものにどれだけの時間を費やしてきただろうか。むだな時間を過ごしてきたんじゃないだろうか。そんなことをときどき思うのです。  先日、S兄と登山をしました。こともあろ Continue Reading →

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JEA(日本福音同盟)の役割

 JEA(日本福音同盟、Japan Evangelircal Association)は、聖書信仰に立つ福音的諸教会の交流・協力機関です。聖書信仰を育み、福音宣教の協力をなし、社会的責任を果たして、日本と世界における福音 Continue Reading →

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JECAとペンテコステ

 使徒たちの宣教の始まり、そのスピリットは、「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません」(使徒4:20)というものでした。イエスが与えてくださったご命令に従ったとか、そのための計画を練ったと Continue Reading →

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原発事故が起こると

 昨日の新聞に「核燃料搬出19年度以降、カバー解体、多難の一歩、地元、飛散に不安」との記事がありました。福島原発1号機の建屋カバーの解体作業です。3号機の解体作業時には、飛散防止の液剤散布にごまかしがあって、一時的に放射 Continue Reading →

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神に立たせられる牧師という務め

 今年も奉仕神学生を迎え、その研修と成長をともに担い祈ることができることを感謝しています。牧師になるということ、それはどのようにして導きを確認するのでしょうか。  「私、神から召しをいただきました。献身して牧師になります Continue Reading →

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バンドン会議と平和

 先週22日、インドネシアの首都ジャカルタでバンドン会議(アジア・アフリカ会議)60周年記念首脳会議が行われました。国際外交には疎い私ですが、ジャカルタはフィデリア姉、バンドンはオクタ姉とフェブリナ姉の出身地。いままで関 Continue Reading →

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福島中通りの汚染と反応

 前々から気になってはいたが果たせなかった福島訪問。神学校の同級生であるK牧師がちょうど一年前、何かできないかと移り住み、秋からは東北ミッションという小さなグループに属する福島聖書教会の牧師として奉仕を続けている。  東 Continue Reading →

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一つの病、一つの事故、一つの死

 先週は、一つの病の報せ、事故の報せ、死の報せを受け取りました。  病は米国にいる友人のお嬢さん。二十歳にしてガンがリンパ節に転移していることがわかった、祈って欲しいという報せでした。ごくごく親しい友人というわけではあり Continue Reading →

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春は一気にやってくる

 毎年、この時期に迷うことがあります。灯油をどのくらい買うか。うすら寒く感じている日もあれば、外に出れば汗ばむ日もある。春は一気にやってきます。そして、人の動きもまた急激な変化の時です。新年度が始まって、学校でも仕事でも Continue Reading →

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バングラディシュという国

 インドの東に位置するこの国は大河ガンジス川とブラマプトラ川を合わせる河口に至るデルタ地帯に位置します。デルタ地帯は肥沃で水に恵まれています。人口の62%は農業に従事し、二期作、三期作をも可能にする「緑の革命」によって、 Continue Reading →

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遠のく衝撃、愛は継続

 今週、震災から4年を数える。あの時の衝撃は日常を取り戻して遠のいている。一方で思い出すとよみがえってくる尋常ではない揺れ、次から次へと流れてくる被災状況。緊迫した状況の原発と決死の作業を続ける様子を見守った日々。続く地 Continue Reading →

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ムードに流される日本人

 2月27日の朝日新聞のオピニオン。フィリピン人作家F.ショニール・ホセ氏のことば。  「日本人は不可解な存在だ。変化に向けてムードが変わるとすべてを受け入れる。国民的雰囲気とでもいうか。しかも一夜にして変わることがある Continue Reading →

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いのちをかけるほどに

 後藤健二さんがイスラム国に殺害されました。世界で最も危険なところ。すでに何人もが人質となって殺害されている。どうして彼はそこへ行かなければならなかったのか。国はたとえ一人のいのちであっても最大限の努力をして国民のいのち Continue Reading →

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生半可な信仰では

 「生半可な信仰ではやっていけません」とおっしゃるのはK福音教会のK姉。先週、問安した教会の一つです。東広島市黒瀬町。広島市中心から車で約50分の田舎町。JECAに最近加盟したものの、飛び地のように離れた場所にあるゆえ、 Continue Reading →

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時代に動かされない結婚の基礎は

 毎年、成人の日に結婚家庭セミナーをしています。成人したら、一度は出て、聞いて置いてほしい話という趣旨です。私は奉仕の担当もあり、10年ほど毎年出ています。毎年講師は違っていて、そのカラーに違いは出るのですが、話の本筋は Continue Reading →

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阪神淡路大震災20年、忘れない

 今週の17日(土)、阪神淡路大震災から丸20年を迎えます。あの朝、一番に飛び込んでいたのは神戸の街が燃える様子。倒壊する家屋、傾いたビルや高速道路の高架橋。私にとってはちょうどその2年前、新婚旅行で訪れた思い出の地、大 Continue Reading →

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いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝

 一年間、ともにこのみことばを掲げて歩みをしてきました。喜びとはギリシャ語のカイロー、挨拶、Greetingとも訳される言葉でした。心から喜んで、どんな人にも、どんなときにも挨拶を交わしてきたでしょうか。喜びとは独り占め Continue Reading →

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あなたの王は?

 イエス様がお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムに来たのは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」という問いでした。「それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様」 Continue Reading →

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冬を越すこと、喜んで働くこと

 南こうせつの「お父さん」という歌、こうせつさんが20代ののときに64歳の応援歌として作ったものです。  汗をかいたのでひと休み  薪割は疲れますね おとうさん  もうすぐ日が暮れる カラスが飛んでゆく  一番星光るまで Continue Reading →

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ゴミ拾いが平和をつくる

 「ぼくの名前はヤン坊♪ぼくの名前はマー坊♪」で知られた『ヤン坊マー坊天気報』。そのメロディーに乗せて、次の文句を口ずさんでみてください。  「ボクの名前は環境♪キミの名前も環境♪ みんな揃って大掃除♪キミとボクとで大掃 Continue Reading →

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とりなし祈ること

 修養会では水草先生がアブラハムがソドムとゴモラの町のためにとりなした箇所から私たちに委ねられた祭司の務めについてお話くださいました(創18章)。それはとりなし祈ることです。  ソゴムとゴモラの町はそれに先立ってメソポタ Continue Reading →

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伝道とは伝えること!

 修養会では水草先生を通して、救いの全体像をもうひとたび確認し、キリストの三職とともに、私たちに委ねられた三職。その務めのそれぞれが大切な務めであることを覚えたことと思います。  その中でもとりわけ、私自身が示唆を与えら Continue Reading →

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あなたの、あなたがたの目標は?

 私たちが「めざそう百人教会」と祈り求めるようになっておおよそ一年半、どのようにして前進できるのだろうかといつも考え、そして祈っています。誰かがやればいいと思っているうちは決してそうはならないでしょう。大切なことは、ひと Continue Reading →

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M先生の紹介

 小海町、清里・野辺山から佐久に抜ける千曲川に沿って国道141号その中心にある人口約4,800人の小さな村、そこに小海キリスト教会があります。野辺山や川上村から佐久穂町まで周辺地域を含んだ南佐久郡の人口が2万6千人、そこ Continue Reading →

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霊的戦いの前進基地、軽井沢

 避暑地・観光地として知られる軽井沢町。人口18,000人の町ですが、約15の教会があります。軽井沢の始まりは明治19(1886)年、カナダj人聖公会のA.C.ショー宣教師が最初に軽井沢を避暑地としました。欧米の宣教師た Continue Reading →

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技術は誰のため、賜物は誰のため

 青色LEDの発明と製造法の開発により3人がノーベル物理学賞を受賞しました。LED電球は本当に多く使われるようになりました。街灯の蛍光灯が点いたり消えたり。そんな光景は珍しくありませんでしたが、この武田の町内も今年、すべ Continue Reading →

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救いの分かれ目

 突然の噴火、そこには逃げる猶予もないまさに降って湧いた出来事、一瞬にして見る間にわき起こり迫る噴煙。犠牲者たちは雨のように降る噴石に打たれ、倒れ、噴煙に埋もれてしまいました。間一髪助かった人たちも、目の前で倒れる人たち Continue Reading →

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人一人が救われる喜び

 先週、延ばし延ばしにしていた畑仕事、ようやく重い腰を持ち上げました。畑仕事の基本は土作り。よい土の条件は、1. 水はけがよく、2. 通気性がよく、3. 保水性がよく、4. 土壌酸度が適正で肥料分に富み、5. 病原菌や害 Continue Reading →

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成長に感激、そして祈り

 先週、中関東地区の聖会が行われました。講師のメッセージも感謝なことでしたが、青年たちの成長に感激しました。  何人か、古くから知っている青年たちがいましたが、会うのが初めてだと思った青年たちが、「先生のメッセージ覚えて Continue Reading →

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永遠に価値あるもの

 「老いとは、神様に一つずつお返しして、天に帰る備えをすること。」ある老姉妹の老いの定義です。人が老いを意識するのはいつくらいからでしょうか。肉体的なピークは25歳とはよく言われます。それでも、まだまだ成長できる、やれる Continue Reading →

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なくちゃならない場

 「いっぽいっぽはここになくっちゃならないんだよ。」山田町の漁師Kさんの訴えです。震災から3年半、三陸は釜石と宮古の昼間に位置する山田町、震災前19,270人が暮らす漁村です。震災で4割強の家屋が全壊し、商店街はほぼ全滅 Continue Reading →

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小さな大望を捨て、大志を抱け

 表題のことばは、ドナルド・E・ホーク、東京基督教大学(TCU)の前身である日本クリスチャン・カレッジ(JCC)の創立者であり初代学長の言葉です。  彼は母校、ホイートン大学で抱いた世界宣教の志をもってTEAMの宣教師と Continue Reading →

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日々守られている感謝を

 この夏も各地で豪雨を記録し、広島では土砂災害で死者が39人、行方不明者は52人、1,700人が避難しています。災害発生時は72時間が被災者の生死を分けるターニングポイントです。救出時24時間以内なら約90%、48時間以 Continue Reading →

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原発事故3年

 「ふるさとが恋しいって言うのは、年をとらなければわからねぇんだよ。」原発事故から避難生活を続けている福島県飯舘村の住人のことばです。若い世代は新しい場所で生活せざるを得ません。子どもたちを育て、糧を得なければ暮らしてい Continue Reading →

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なぜ戦争を選んだのか

 敗戦から69年、平和を願う思いは誰も変わることはないでしょう。私たちの記憶に残っているのは、南方に散った若い戦士の命、空襲や原爆の災禍、激しい沖縄戦での戦死者、劣悪な生活事情、満州からの引揚者など、生活に密着した経験。 Continue Reading →

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からだ休めて考えた

 それは、何か特別な原因があったというわけではないんです。ちょっとした拍子に「うわっ、来た」と腰に違和感を覚えたのです。いわゆるぎっくり腰です。たいしたことはないだろうと思っていましたが、徐々に痛みが増し、寝返りするにも Continue Reading →

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アナと雪の女王

 話題の映画「アナと雪の女王」を観ました。アニメと侮ることなかれ。なかなかの内容でしたので、ちょっと紹介。原案はアンデルセンの「雪の女王」です。  アナとエルサの仲良い二人の姉妹。エルサには触れたものを凍らせたり、雪や氷 Continue Reading →

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大切なのは調整

 先日、教会のピアノを調律していただきました。礼拝堂、遊戯室、センターの三台。それぞれ条件は違います。最も狂いの少なかったのは遊戯室。最も狂いの大きかったのは礼拝堂。実は調律、少々サボっていました。礼拝堂と遊戯室のものは Continue Reading →

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JECAの機構改革と祈り

 JECAの第11回総会が行われました。その中での大切な審議の一つはJECAの機構改革です。その柱の一つは全国総会を代表代議員制にすることとです。JECAは発足以来、各教会から教職と信徒各1名が総会に出席して総会をしてき Continue Reading →

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昼間のパパは光ってる

 糸井重里さんが作詞し、忌野清志郎さんが作曲して歌っていた「パパの歌」をご存じでしょうか。こんな歌詞です。  家のなかでは  トドみたいでさ  ゴロゴロしてて あくびして  時々ブーッとやらかして  新聞見ながらビール飲 Continue Reading →

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JEAと聖書信仰

 日本福音同盟(JEA)は、聖書信仰に立つ福音的諸教会の交流・協力機関で、教団・教派・教会、伝道団体から約100団体が加盟しています。日本のキリスト教界の中で大きな団体は日本キリスト教協議会(NCC)です。NCCは広くプ Continue Reading →

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インドネシアってどんな国?

 赤道直下に推計13,466の島嶼(とうしょ、大小さまざまな島)からなる国。日本は本土5島と6,852の島嶼です。東南アジアの国々は欧米の国々に比べてその姿を知る機会はあまり多くありません。しかし、人口は2億3千万人を超 Continue Reading →

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あぁ悲し、根深き罪よ

 庭仕事で最も困難な仕事は樹木の抜根。根は樹を支え、水分を得るために大きく伸び、見える樹冠に比例して拡がります。教会のマロニエの樹、毎年、初夏の季節になるとピンク色の優美な花を咲かせ、目を楽しませてくれました。ところが昨 Continue Reading →

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母の日に、ひと言の感謝を

 高校生以下の子どもがいる家庭に、親をどのように呼んでいるのかアンケートをしました(ベネッセ、2009年)。結果は4割が「パパ・ママ」、5割が「お父さん・お母さん」人前では「お父さん・お母さん」と6割が呼ぶそうで、TPO Continue Reading →

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心を合わせてささげる

 祈祷会で学んでいるネヘミヤ記はエルサレムと城壁再建のストーリー。城壁の総延長は3.5km、わずか52日で再建を果たします。  彼らは42の部分に分けて修理します。多く修理した者もあれば、少ない分担もあったでしょうが、単 Continue Reading →

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小さな畑で祈り考える

 今年、小さな畑を借りました。お隣さんに誘われたのです。O兄に「どうしたら、いい畑になるかなぁ」と訊くと、「よく耕すことさよぉ」と言われました。よい土、適切な肥料、雨と日光はお天気次第。そしてそれをカバーする経験と知恵。 Continue Reading →

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天にある希望、ゆだねる平安

 山路越えて ひとりゆけど  主の手にすがれる 身はやすけし    松のあらし 谷のながれ    みつかいの歌も かくやありなん  峯の雪と こころきよく  雲なきみ空と むねは澄みぬ  「この歌、わかりますか」って聞か Continue Reading →

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天にある希望、ゆだねる平安

 山路越えて ひとりゆけど  主の手にすがれる 身はやすけし    松のあらし 谷のながれ    みつかいの歌も かくやありなん  峯の雪と こころきよく  雲なきみ空と むねは澄みぬ  「この歌、わかりますか」って聞か Continue Reading →

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「わかっているつもり」の話

 先日、話しをしていて説教のテーマがわからないという話を聞きました。ここのところ「信仰告白」について第一条から順にお話ししてきた「つもり」でした。毎回確認をして、今日はこのテーマだと話している「つもり」でした。ところが、 Continue Reading →

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ワールド・ミッション

 世界がまだ小さかったとき、それは遠い昔の話ではありません。海外観光旅行が解禁されたのが1964年、オリンピックの年のことです。それからちょうど50年。ちょっと行ってくる、という感覚で往き来できる時代は私たちの時代になっ Continue Reading →

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シンガポールってどんな国?(1)

 シンガポールってどんな国?シンガポールは東京23区ほどの面積の島国。人口は約550万人の都市国家です。赤道直下に位置するため一年中同じ気候、海があるので、最高気温はお31-32度前後で甲府より涼しい(笑)。  マレー半 Continue Reading →

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震災3年と私たちのいのち

 表に現れにくく、口に言い表しにくいもの。誰かにわかって欲しいと願いながらも、うまく伝えられないもの。わかってくれるはずだと期待しながらも、裏切られてがっかりするもの。それが人の心です。  私たちの心を震撼させた東日本大 Continue Reading →

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観測史上最多の雪と心

 14日、15日と降り続いた雪。教会の周囲は14日の夜7時頃、人がすれ違える幅までしっかり雪かきをし、明日の朝、ひとかきすれば大丈夫だろうと思っていたが、それからの雪の方がもっと多かった!観測を初めて120年で最も多かっ Continue Reading →

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数えてみよわが栄光?リア充の誇り

 祈祷会では、エズラ記・ネヘミヤ記を学んでいます。70年の捕囚を解かれて故国の再建を導かれた民。その喜びと感謝はいかばかりであったことでしょうか。エズラ記2章、ネヘミヤ記の7章には帰還民のリストと総計が記されています。聖 Continue Reading →

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阪神大震災19年に思う

 1995年1月17日、朝一で突然飛び込んできたニュースに驚愕した。街が燃えている。 2年前に訪れた美しい街が燃えている。  当時、私は建設コンサルタントで設計の仕事をしていた。駆け出しとはいえ、鉄筋コンクリートと基礎の Continue Reading →

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自分の世界を確立するために

 ノーボーダー(NO BORDER)とは境界のない世界。カップラーメンのコマーシャルでいつも流れます。国境や民族、言語や慣習を越えてつながり合う世界への憧れを表しているのでしょう。現代はグローバリゼーションの時代だと言わ Continue Reading →

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愛するための一工夫

 先日H兄が教会に訪ねてくださってゆっくりお交わりをしていました。「こんな時間になっちゃたね、家に電話いれておくよ」と取り出した携帯電話。なにげなく目に入ったアドレス帳を見てビックリです。奥様の名前のところ、「愛する○○ Continue Reading →

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礼服とターバンを身につける

 御使いは、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った。「彼のよごれた服を脱がせよ。」そして彼はヨシュアに言った。「見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう。」私は言った。「彼の頭に、きよいターバン Continue Reading →

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再臨を待ち望む

 私たちの人生は短いようで長く、長いようで短いものです。楽しみは一瞬、一方で悲しみ悩みに耐え忍ばなければならないとき、出口が見えない暗がりを歩んでいるとき、終わりないことには永遠と思うほどに長く感じます。そう、人はゴール Continue Reading →

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歴史に学ばない強行採決

 「お父さん、おかしいでしょ!」何よりも自由が好きで、強制されることを嫌う息子、 「新聞読まないオレが、新聞読んでンだよ」 と秘密保護法案が衆院で強行採決された翌朝いったいどういうことかと問いかけてきた。  私の祖父の兄 Continue Reading →

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ウソ偽りを捨てて誠実に

 欺きのはかりは主に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる。箴言11:1  食品偽装が発覚して食に対する信頼が大きく揺らぎました。産地を偽り、あるいは牛脂注入など加工した物を本物だと偽りました。問題は見ただけでは見分 Continue Reading →

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心が動かない痛み

 フィリピンの台風被害。その規模は東日本大震災の津波に匹敵する。ところが、私の心は動かない。離れてしまうとそうなのか。身近な出来事には心揺さぶられるのか。狭い心の自分であることが悲しい。  死者は2,360人、負傷者は3 Continue Reading →

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2030年、大人になったキミたちへ

 今は2013年、17年後、どんな時代になっているでしょうか。リニアが開業して盆地の南端を走っているでしょうね。使っていますか?便利になりましたか?インターネットが普及して今はスマホの時代ですが、もっと新しい機械を使って Continue Reading →

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JECAの理念

 先月、JECAの全国教職者研修会を行い、委員長の奉仕をさせていただきました。テーマは「なぜJECAなのか~JECAの理念これまでとこれから」です。なぜJECAという交わりをつくり、交わりをしているのか、設立から20年が Continue Reading →

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今日、何食べた?

 シンガポール人の挨拶は、「今日、何食べた?」だそうです。L先生が日本に来て不思議に思ったのは、みんなの挨拶は「今日はいい天気ですねぇ」だったり、「今日は雨降りそうだねぇ」だったりと天気のことを毎回口にすることだったそう Continue Reading →

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敵か味方かを吹き飛ばせ!

 私にはここ3年来、モヤモヤとした思いがありました。「敵」と思えるような人がいました。震災時、私には大きな責任が委ねられていました。あらゆるところにアンテナを張り巡らして情報を集め、寝る間も惜しんでなすべきことが目の前に Continue Reading →

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私たちの宝

 A姉は48才で脳出血をし、半身マヒと言語障害が残りました。介護が必要になったご主人と一緒にできたばかりの尚古園に入り、尚古園で信仰に導かれたN姉も一緒に3人で毎週送迎されて礼拝に集っていました。ご主人が召され、N姉が召 Continue Reading →

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自分はどこに立っているか

 先週、全国の教職者研修会が行われました。全国、北は北海道の釧路から、南は沖縄まで約180人の牧師・伝道師・宣教師が集まりました。これを機に牧師の経験年数、年齢の統計を取りました。牧会経験10年までが1/3、20年までで Continue Reading →

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ウサギがカメかではなく

 ウサギとカメの寓話は誰でも知っているでしょう。一般的にはカメのように、急がなくてもいいからコツコツとやり続けるならば、報われる、あるいはウサギのように自分は早いのだからとタカをくくるなということを教えていると理解されて Continue Reading →

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反抗期と自立と葛藤と

 人の成長発達の過程で反抗期は二度来ると言われます。2~3歳頃の第一次反抗期と思春期の第二次反抗期です。最初のそれは自我の芽生えであり、自分でも覚えていない、なんでも「イヤ」、「自分で」と譲らない、親が忍耐を強いられる時 Continue Reading →

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人生のすべてに諾と言うこと

 ポール・トゥルニエの「老いの意味」という本をしばしば読み返します。精神科医として多くの人と接してきた彼が見聞きし、考えてきたことには多く教えられることがあるからです。その中にこんな話がでてきます。  ある人が老人ホーム Continue Reading →

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神から与えられた使命を明確に

~O栄光キリスト教会の場合~  7月に伺ったこの教会には、次のようなことばに言い表した使命があります。  「O栄光キリスト教会の使命は、主が再び来られる時まで、整えられた民を主のため に用意することです。この使命を達成す Continue Reading →

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トイレの壊れたマンションは?

 原発はトイレのないマンションと例えられてきました。原発は核燃料を燃やして(核反応させて)お湯を沸かし、蒸気で羽根をまわして発電するという単純な原理で動いています。お湯を沸かすのに油を使うのは火力、羽根を回すのに水を使え Continue Reading →

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当たり前のことには多くの労が

 先日、話題のIKEAという大型家具店に行きました。美しいコーディネートがされた部屋がショールームになっていて、こんなキレイな部屋に住めたらいいなぁと夢膨らませるような展示がしてあります。  新婚カップルがちょうど同じよ Continue Reading →

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敗戦の日に祈る

 八百万の神々の国日本に生きる私たち、日本の神は氏神、先祖の霊を祀ることがその始まり、お盆の時期になれば、迎え火を焚き、送り火で送り出す。彼岸になれば「会いに行く」。また、国は天照大神から始まる万世一系の皇族とその臣民は Continue Reading →

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ネズミも用いられる

 十勝産の小麦、豆類、乳製品、じゃがいもはよく知られています。北海道は苫小牧―千歳―札幌―旭川を結ぶライン上に人口が集中していますが、他に都市と呼べるのは、北見、釧路、網走、帯広で、10-20万人の地方中核都市です。帯広 Continue Reading →

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何一つ無駄な経験はない

 K教会のI先生は親しくお交わりするのが初めての機会だったのですが、稀に見るバイタリティー溢れた先生でした。M教会出身、北海道聖書学院を卒業後、OMFの宣教師が開拓伝道を始めて4年、信徒が10人にも満たない状態でこの教会 Continue Reading →

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ローランド・ビングハムの生涯(4)<スーダンを見ることは決してない>

 ローランドら3人はイギリスでも後援する宣教団を見つけることができませんでした。ならば、自分たちで作ればいい。彼らは自分たたちでスーダン奥地伝道団(SIM)と名付け、ゴーワンズ夫人が理事会となりました。  彼らはまずラゴ Continue Reading →

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ローランド・ビングハムの生涯(3)<神が導く出会い>

 カナダへの移住したローランドは、農場に職を得、救世軍に加わり、路傍伝道にいそしみます。そこで、ジョン・サモンという著名な牧師に出会います。サモンはローランドの働きを評価し、そして、訓練を受けることを勧めるのです。自分の Continue Reading →

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ヤコブとエサウ、なぜヤコブ?

ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となり、エサウの家は刈り株となる。 ・・・王権は主のものとなる。オバデヤ18, 21  早天祈祷会で読み進めている預言書。オバデヤ書にこのようなことばが出てきます。なぜヤコブの家は覚え Continue Reading →

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協力宣教師への期待(1)

 来春から、L宣教師が主に学生伝道のための協力をしてくださることになりました。数年来の祈りと願いが答えられて感謝をするとともに、その働きのために今から祈り備えたいと思うのです。  宣教師と言えば、キリスト教国から福音未伝 Continue Reading →

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ローランド・ビングハムの生涯(1)

 ローランド・ビングハム。彼は、SIMスーダン奥地宣教団(Sudan Inland Mission)の創始者。アフリカ奥地伝道に生涯を献げた主の働き人です。彼の伝記に触れる機会があり、その一部を何回かに分けてご紹介できれ Continue Reading →

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安定か停滞か、不安か平安か

 5/16の朝日新聞のオピニオンにあった山下惣一氏(農民作家)のことば。「自然を相手にする農業は成長してはいけない。去年のように今年があり、今年のように来年があるのが一番いい。私たちはこれを安定といい、経済学者は停滞とい Continue Reading →

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聖霊の導きは罪の悔い改めから

 日本宣教の現状は芳しくありません。過去5年、10年の約500教会の教勢の変化について調べる機会がありました。明かな傾向があります。会員数が200,300人の教会400,500人になっています。一方100人を超えてかつて Continue Reading →

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「母親指標」と我が母と

 子ども支援の国際NGOセーブ・ザ・チルドレンでは、毎年、保健、栄養、教育、政策決定への参加など、世界165カ国の母親を取り巻く状況を評価した「母親指標」を発表しています。その評価の指標は次の15項目。  1. 産婦死亡 Continue Reading →

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咲こう、ここで咲こう

 先日、山の中でひっそり咲く山吹を見て詩を編んでみました。 誰も見ていないけれど どこにも行けないけれど それでも、咲こう、ここで咲こう どこかもっと人目に付くところで きれいだねって言われたい そんな気持ちがないわけじ Continue Reading →

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苗床になろう

 昨今、日本のキリスト教会では牧師不足と言われます。牧師の平均年齢は61.6歳、団体によっては5割以上が65歳以上という教会も少なくありません。いつの時代でも、何の組織であっても、次の世代を生み出さなければその組織は衰退 Continue Reading →

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捨てることで考えた「選ぶ」こと

 K教会のS牧師が広~い家から小さな家に引っ越しをして物が収まり切らないと悲鳴を上げておられます。気がついたら私の家族も今の牧師館に10年。小学一年、幼稚園、2歳児だった子どもたちも高校生、中学生、それに小学生と生活も大 Continue Reading →

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みんなで相談?任せて安心?

 新年度を迎えて、少し遅れて新しい奉仕の体勢を始めます。日頃から奉仕のために時間を、労をささげてくださる兄姉には頭が下がります。人がともに生きる場所では、様々な必要が出てきます。飲み食いから始まって、片付けや掃除。誰でも Continue Reading →

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10年に思うこと

 私がこの教会の牧師になって丸10年が経過しました。この10年の間、兄姉が愛と忍耐と寛容とをもってともに支えてくださったことを覚えて感謝を申し上げます。  思うことにまとまりがついているわけではないのですが、第一に思うこ Continue Reading →

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気力・起力・生力はどこから?

 朝起きるコツ。しなければならないことがある時、あるいは心浮き立つようなことがある時には、そわそわと必ず目が覚めるものです。一方でどうでもよい時にはだらだらと布団から抜け出るのは難しいものです。また、しなければならないこ Continue Reading →

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徹底して赦す!

 父よ。彼らをお赦しください。  彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。ルカ23:34  このことばはイエス様が十字架の上で言われたことばの一つです。  イエスの受難。闇夜の逮捕。大祭司カヤパの官邸で一夜のうち Continue Reading →

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奉仕をささげるとは

 今教会では来年度の奉仕分担を申し出ていただいています。私たちが奉仕をするということは、キリストの器官として互いに賜物を献げ仕え合ってにキリストのからだを建てあげるためにあります。  まず誰にでも同じに与えられているのは Continue Reading →

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完全を目指す途上人、旅人

 キリスト教会の中には「きよめ派、ホーリネス」という流れがあります。その起源をたどると18世紀のジョン・ウエスレーに遡ります。英国オックスフォードで彼はホーリー・クラブを始めます。日々の生活を規律正しく行い、メソジスト・ Continue Reading →

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「あたりまえ」の人になろう!

見る、聞く、話す。 歩く、走る、登る、降りる。 つまむ、つかむ、離す、払う。 持ち上げる、運ぶ、積む。 読む、書く、数える。 足す,引く、掛ける、割る。 笑う、泣く、喜ぶ,悲しむ。 起きる、寝る。 食べる、排泄する。 せ Continue Reading →

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ひとことでいいのです

 「人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです」 ミヒャエル・エンデ  これは児童文学者のエンデが『モモ』という本をして問いかけた言葉です。私の友人の一人である吉川直美牧師が『ひとことでい Continue Reading →

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みことばを口ずさむ

 祈祷会では第一歴代誌を読んで来ました。歴代誌の最後の何章かははダビデの神殿建設の準備の記事が細かに記されています。神殿建設は単に建物を建てることだけではありませんでした。祭司や歌うたい、門衛らを礼拝の奉仕のために組み分 Continue Reading →

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会衆制と監督制、長老制?

 教会を導くためのリーダーシップを教会政治と言います。教会政治には大きく会衆制と監督制、長老制があります。わかりやすく言うと、会衆制は話し合ってことを決め、監督制は上意下達、長老制は長老たちによる合議に委ねます。教会と言 Continue Reading →

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インサイダー?それともアウトサイダー?

 18年前の1月17日、私はアウトサイダーだった。神戸の町が燃えている。もくもくと立ち上る煙、無残にも倒れた高速道路の高架、一階がつぶれた市役所。どこも見覚えのある場所だ。ちょうどそれに2年先立って旅行で訪れていたからで Continue Reading →

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心を、思いを、知性を、力を尽くして

心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』マルコ12:30  このみことばがちょっと気になって調べてみました。心と思いと知性と力。どう使い分けられ、何が違うのでしょう。旧約聖書で Continue Reading →

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宝ものは何ですか?

 それを見た瞬間、私の心はすべて奪われてしまった。なんという輝き、なんという緻密さ。それでいて柔らかな曲線はどんな計算からも生まれてくるようなものではなく、一方で凛として力強い。こんなにも美しいものは生まれて初めてだ。そ Continue Reading →

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「壊れる」ということ

 先日、中央道笹子トンネルの天井板が崩落する大事故が起こりました。私のような元土木技術者は、道路のこととなるといつも気になります。説明を聞けば、その背後の技術的なことがわかるだけに、これはえらいことが起きたと思うのです。 Continue Reading →

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感謝の捧げ物をささげよう!

 教会役員 W  新年を迎え春になり、酷暑の夏が長々と続き、このままでは秋や冬が来るのだろうかと思われるような日々を過ごし、あっという間に今年も余すところカレンダー1枚となりました。この1年を振り返り、嬉しかったこと、悲 Continue Reading →

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喜びの知らせ〜アドベント〜

 毎年アドベントがやってきます。二千年の長きにわたって代々のキリスト者たちは救い主の現れを待ち望んできました。それはベツレヘムでの誕生であり、また、再臨の希望です。救いの完成を待ちわびているのです。  最初の知らせは野番 Continue Reading →

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ひとつのことに打ち込む幸い

 息子が六年生になり、六年間過ごしたスポ少を卒団しました。かつて野球やスポーツを始めるのはたいてい小学校高学年からと相場が決まっていましたが、今は少子化で人数が足らないスポ少は低学年からメンバーに入る子も少なくありません Continue Reading →

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「かっこいい」と「もてたい」

 先日、友人とギターを始める理由について話題になりました。すると行き着くところはこの二つ。「かっこいい」か「もてたい」(笑)。おおよそ、男の価値観というものはそんなに難しくはありません。たいていのことはこの二つに集約され Continue Reading →

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自分の足で立つ人に

 生まれたばかりの赤ちゃんは何もできずに生まれてきます。せめてできることといえばおっぱいを吸うということだけでしょう。保護され、世話をされなければ生きていくことすらできません。それが次第に自分でできることが増えていきます Continue Reading →

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会計と教会の財布

 人がともに生きるということは、財布を一つにするということです。教会は、主のために皆で献げて、その財布を一つにするところです。聖書は十分の一を一つの基準として喜びをもって献げること、また互いの生活を共有して支え合うこと、 Continue Reading →

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三位一体の神のかたちは

「本質における一致、行動における自由、 あらゆることにおける信頼」ということばの意味を先日来ずっと思い巡らしています。教会の本質を言い当てたことばだという紹介をしましたが、それは三位一体の神ご自身のお姿そのものであるとい Continue Reading →

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一致と自由と信頼

 「本質における一致、行動における自由、 あらゆることにおける信頼」という言葉と出会いました。アリストテレスに発し、初期キリスト教会の原則となった言葉だそうです。もっともアリストテレスは教会以前の人ですが、教会の本質を言 Continue Reading →

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手当たり次第何でも

 修養会では、藤本先生を通してサウルの生涯から学びました。神の霊が注がれたとき、彼は新しい人に変えられ、手当たり次第何でもしなさいと言われます。第一のしるしは彼は預言をしたときです。いわばペンテコステのときのように、特別 Continue Reading →

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遺伝病と人のいのち

 N姉が会長をしておられる日本遺伝看護学会の学術大会に特別講演として招かれて、「いのちの尊厳~ひとりひとりの人格と向き合う~」というテーマでお話しさせていただき、皆さんとても真剣に耳を傾けて下さいました。講演の後、表皮水 Continue Reading →

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短波ラジオ伝道〜アンデスの声

 インターネットの時代になってから放送やメディアの世界は大きく様変わりしましたが最も親しまれているのはテレビとラジオでしょう。音楽の世界ではCDが普及する以前、1980年頃まではFMの音楽番組は人気があって、若者は情報誌 Continue Reading →

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老いてもなおみずみずしく

 先日、初めてキリスト教老人ホームのさきがけである筑波キングス・ガーデンを訪問しました。お交わりのあります姉妹が入居したからです。姉妹は稀にみる「スーパーおばあちゃん」でした。気力・体力ともに壮健、ご主人を送って12年、 Continue Reading →

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豊かな命の条件は?と振り返る

 かれこれ30年以上も前になるでしょうか。教会で「友よ歌おう」という歌集がよく使われました。時はフォークソングの時代。ギター片手に若者が集まると必ずと言っていいほど歌われたものです。その中に「豊かな命の条件は?」という歌 Continue Reading →

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何をするかよりも大切なこと

 夏休み中に娘と大学の説明会に行ってきました。その大学は、私が「もし、まちがって共通一次で120%の力が出てしまったら」受けようと思っていた大学(笑)。もちろん実力はそのまましかでないわけで、実力相応の梨大になりました。 Continue Reading →

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一生懸命は素晴らしい!

 夏の高校野球が幕を閉じました。県大会から始まって、年に一度のチャンス。みんな懸命に投げ、打ち、走る姿、全力でぶつかる姿に心打たれます。オリンピックもそうです。晴れの舞台で全力で戦う姿は思わず応援する方まで力が入ってしま Continue Reading →

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働き手のために祈ろう!

 学生クリスチャンセンターが建てられたのは1966年。すでに46年前のことです。宣教団は学生たちへの伝道を志しました。若い人への伝道によって宣教が前進するとの祈りと願いをもってのことでした。当時の写真などを見ると学生たち Continue Reading →

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平和のために祈る

 「内閣総力戦研究所」という耳慣れない名を聞きました。開戦直前、平均年齢32才の各省庁や民間の若手実力者を集め、模擬内閣をして総力戦を想定したシミュレーションを繰り返しました。彼らは日米戦争日本必敗の結論に至りました。歴 Continue Reading →

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夕暮れには涙…朝明けには喜びの叫び

 義兄の弟が先週の日曜、家族に遅れて教会に向かう途中、「あとで教会でね」ということばを残して交通事故で突然召されました。42歳という若さ、夫人と中一、小五、四才の3人の子どもたちを残して先に天に帰りました。夫人は「神のな Continue Reading →

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九州豪雨後のために祈ろう

 7月初中旬の九州豪雨によって、福岡県にある久留米聖書教会のキャンプ場が被災しました。渡邉英治師からの情報をもとにまとめてみました。今回の豪雨は気象庁が「これまでに経験したことのないような大雨」と表現した雨の合計雨量はキ Continue Reading →

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あいうえおの法則5「お」

 あいうえおの法則もいよいよ終わりです。いままでとはちょっと毛色の違う「お」は、「おっと驚くような、相手を喜ばせることを一ヶ月に一回、互いにしましょう」という勧めです。  私たちの毎日のほとんどは、同じことの繰り返しのル Continue Reading →

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会話、対話、討論

 私たちは会話し、対話し、討論をします。劇作家の平田オリザさんが朝日新聞で日本人の言葉の使い方について興味深いことを言っていました。私たちの日本人としてのものの考え方、コミュニケーションについての理解を深めるに適切な表現 Continue Reading →

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あいうえおの法則4「え」

 結婚に必要な「あいうえお」の「え」は「選ばれたことを忘れない。選ばれた最善を信じる」ことです。  私たちは日々、様々な選択をしています。何を食べるか何を着るかということから選択の連続です。そして、その選択がやっぱり別の Continue Reading →

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あいうえおの法則3「う」

 結婚に必要な「あいうえお」の「う」は受け止め、受け入れることです。私たちはいつも幻想をいだいています。状況や周囲が変わればことは解決する。そして結婚関係、家族関係においても、相手が変わることを期待したり、変えようと懸命 Continue Reading →

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ITはit、人格が触れ合うことを

 IT技術(information technology)には、人格がない。そこにはI , you, he, sheという人格(person)は存在しない。ITはitだ。  デイヴ・ペルザーの「ITと呼ばれた子(A Ch Continue Reading →

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M先生の語る第一人称

 全国総会では、M先生が特別講演をしてくださいました。  初めてお目にかかりましたが、80歳にして知性と喜び溢れる、おちゃめなおばーちゃま(失礼!)。語ることばに惹きつけられました。その一部をご紹介します。  先生は空襲 Continue Reading →

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キリストのからだである教会

 「教会は、キリストをかしらとするからだとして一つである。この祝福された事実は地上の教会のいとなみの中で告白され、証言されなければならない。」  これは日本福音キリスト教会連合(JECA)の規約前文にある教会連合の理念で Continue Reading →

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何事にも時がある

天の下では、何事にも定まった時期があり、 すべての営みには時がある。伝道者の書3:1  時というものは不思議です。生まれてくる時代も場所も、家も親も兄弟も選ぶことができません。私たちは自分で選んだことよりも選択を迫られて Continue Reading →

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あいうえおの法則2「い」

 大先輩の牧師が長い奉仕の中で、「いそがない、いばらない、いじけない」という3つの「い」を心がけてきたと語っておられました。この3つに共通することは、自分の思い通りにならない心からでてくることです。  物事が自分の思い通 Continue Reading →

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霊の父と肉の母

 私が家を離れ、一人暮らしを始めてから、母は会う度、電話で話す度に「あんた、ちゃんと食べてる?今日は何食べた?」と必ず食べることを訊かれた。それは結婚するまで続き、結婚した瞬間、ピタリと止んだ。  そもそも、私の母は食べ Continue Reading →

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あいうえおの法則1「あ」

 先日、結婚式の祝辞を依頼されました。だいたいスピーチの内容というのは、忘れられていくもので、覚えられることは少ないのです。今回は新婚の二人にぜひ覚えていただきたいと頭をひねって考えてみました。「あいうえお」でいこう!と Continue Reading →

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地の果てまで福音を届ける

 九州訪問の旅の中で、宮崎のM教会と伝道所のK教会を訪問しました。宮崎は東国原前知事で有名になりました。日本の中のいわゆる地方の一つです。今回、九州をぐるっと約一周しましたが、福岡から熊本、鹿児島に至る西側は新幹線や高速 Continue Reading →

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イエス様が天から来られたなら

 F聖書教会を訪問した折、一人の姉妹の証しを伺いました。その姉妹、しばらく教会から遠ざかっていました。声を掛けて下さる牧師が、新しい教会が始まるから行ってごらんなさいと励まして下さり、F聖書教会に来られ、教会員として加わ Continue Reading →

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礼拝をいいかげんしない

 列王記には歴代の王たち、また国としてのイスラエルとユダのあり方が出てきます。その中で、「高きところを取り除かなかった」ことが度々記されています。なぜ、こんなにもそのことが強調して書かれているのか探られ、考えてみました。 Continue Reading →

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復活の希望

 私にとってこの一年間ほど泣いた年はありませんでした。日本中でこれほど涙が流された年はこの近年なかったことでしょう。私はといえば、物が壊れていくのはショックでしたが、涙はでませんでした。一方、人の話しを聞いていると、その Continue Reading →

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受難週を迎えて

 受難週、それは主イエス様が、最後の試みに遭われ、十字架の死を全うする、いのちを捨てる大きな悩みを受けられたことを覚える週です。それが誰のためであるのかを。  最後の晩餐で弟子たちの足を洗います。それは何のためであったで Continue Reading →

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牧師を育てる、牧師が育つ

 一年間よい交わりをいただいた伊東神学生を送り出しました。牧師の務めとは何でしょうか。若い牧師も牧師であり、経験を重ねた牧師も牧師です。改めて考えてみましょう。  牧師の務めに「牧会」ということばが使われます。羊飼いが羊 Continue Reading →

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カミングアウト

 先週はダルクの皆さんに招かれて、「依存症セミナー」に参加させていただきました。依存症の経験者がそれぞれお話しをしてくださいました。アルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症、摂食障害、買い物依存症、またその家族。そ Continue Reading →

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詩と賛美と霊の歌をもって、互いに語る

 「酒に酔ってはいけません。・・・御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」エペソ4:18,19  私たちははひとりひとりが御霊に満たされて、それぞれ違う Continue Reading →

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あくまで主に信頼する

 今、祈祷会では第二列王記を一章づつ読み進めています。イスラエルとユダという分裂王国時代の王の中には中途半端な歩みをする王がでてきます。イスラエルの王ヨアシュ(第二列王13章)もその一人でした。イスラエルは先代エホアハズ Continue Reading →

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地に平和を、視野を拡げる

 水曜の祈祷会に国際飢餓対策機構(JIFH)の田村治郎主事が来てくださいました。4年ぶりのことです。昨年来、私の頭の中は震災で震われて、この国の復興を、教会の復興をと考え、祈る生活が続いておりました。お話しをお伺いして、 Continue Reading →

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思いは見えるかたちで表そう!

 教会総会は私たちの教会にとって重要な会です。一年に二度、教会員一同で揃って主から与えられた使命を総点検し、思いを新たにするところだからです。とりわけ今回は、通常の予算案・行事案に加えて、中長期の「めざそう100人教会」 Continue Reading →

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天国に近い病室

 先々週、H教会のM牧師からB兄が危ないとの電話がありました。もしもの時には知らせて欲しいと言っていたのです。血栓から足先にあざができ、それが足全体に広がって壊死が進み、足の切断をしなければならないかもしれないということ Continue Reading →

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本と情報、混乱と識別力

 ジュンク堂書店が岡島に出店したと聞き、遅ればせながら覗いてみました。今風のことばでいえば「デカッ」。通販で本を買うことが増えた私はフロアを埋め尽くす本に圧倒されて思いました。「本って、たっくさんあるけど、読み尽くせない Continue Reading →

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夫婦という異文化体験

 毎年、成人の日には結婚・家庭セミナーを行っている。今年はOMFの菅家宣教師夫妻に「夫婦という異文化体験」というテーマでお話しをいただきました。  1994年にご結婚されたご夫妻は、1995年にカンボジア・プノンペンに派 Continue Reading →

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大人になること

 どうしたら人は大人になるのでしょう。どこが子どもと大人の境界線なのでしょうか。「実年齢マイナス10」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。カラダや体力、容姿、あるいは気持ちがそうありたいと思うでしょうか。精神年齢がと言え Continue Reading →

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毎日をまっさらに新しく

「師父ポイメンが師父ピオールについて語ったところでは、彼は毎日をまっさらに新しく始めていた。」  このことばは、4、5世紀、荒野で隠者として生きた人たちのことばです。彼らがそれを選んだのは、キリスト教迫害の時代が去り、と Continue Reading →

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地に平和を!主よ来たりませ!

 今年はリビア、チェニジア、エジプトと北アフリカ諸国に内戦・革命が起こった年でした。また、8年9カ月に及ぶイラク戦争に終結が宣言されました。それに先立つ同時多発テロ、アフガン戦争、湾岸戦争は1991年。その年にソ連が崩壊 Continue Reading →

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解決よりも大切なもの

 神であられるお方が地上に来てくださったのがクリスマス。イエス様の降誕です。そのイエス様が地上で受けられた最初の誘惑、それは荒野で受けた3つの誘惑でした。断食の後に石をパンになるように命じること。神殿の頂から身を投げてみ Continue Reading →

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八重山という離島と宣教

 石垣島出身で早稲田大の総長をした大濱信泉(1891-1976)という人がいます。彼が残したことばに「人の価値は、生まれた場所によって決まるものではない。いかに努力し、自分を磨くかによってきまるものである」ということばが Continue Reading →

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何を献げようか

 私の喜びであるイエスさま、今、宝の箱を開き、私の持っている最高のものをあなたに献げます。一つ、二つ、そして、三つ。 1.金。それはあなたが私たちを治める王であることのしるしです。金。それは私の富、財産、この世における所 Continue Reading →

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陸前高田の叫び

 陸前高田市には一つだけ教会があります。1965年、森田牧師夫妻が、東北でひとつも教会がない市に開拓伝道するという重荷をもって、身一つで働きを始めた教会です。ゼロから何の支援もなく、主を頼りとしてご夫妻は始めました。   Continue Reading →

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遠回りを見守ろう!

 私はコンピュータが好きです。若い頃は、なんだか機械に頼るようで好きではありませんでした。ですから、コンピューターを避けて、触らずに工学部を卒業しました。それでもそれはまだ計算機と呼ばれていた時代のことです。それがどうし Continue Reading →

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女川の仮設住宅を訪れて

 今回の被災地訪問では、すでに支援の働きをなさっている石巻キリスト教会の伊藤牧師と女川の野ノ浜仮設住宅を訪ねました。この日は、ストーブや毛布などを支援物資を届ける働きです。  仮設住宅の区長さんにお会いし、集会所に荷を運 Continue Reading →

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ホープみやぎの働き

 先週の訪問先の一つがホープみやぎ(塩釜聖書バプテスト教会)の働きです。この教会には厚木教会出身で、私が学生時代からOBCでともに奉仕した友人がいます。彼に言わせると、「うちの教会だいたい60人だけど、ただの60人じゃな Continue Reading →

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どんぐりと夢

どんぐり どんぐりがたっくさん実っているのを見た。 この木全体でいったいいくつのどんぐりがあるのだろう。 百?千?万? これが地に落ちて、いったいいくつの木になるのか? ひとつだろうか、ふたつだろうか? あるいは今年じゃ Continue Reading →

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ゆとりがない!「ムリ」ということばは?

 先週のある朝、鉄道員のおじさんと立ち話。「今、鉄道にはゆとりがない!だから、非常時、緊急時に対応できないんだ。」そして、「若いもんを育てなかったつけが回ってきた」と言います。  国鉄はJRへの民営化・合理化から新規採用 Continue Reading →

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足腰を強くするために

 先週の月曜日、久しぶりに山歩きをしてきました。すると、足首周辺の筋が3,4日痛みました。完全な筋力低下で、ここぞ!というときに動けないと痛感しました。  震災直後から自衛隊は私たちが未だかつて見たこともない大活躍をしま Continue Reading →

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続100名を目指しませんか?

 前回、週報に書いてから、先週の信徒会でこの趣旨についてお話しさせていただきました。教会員の兄姉が積極的にこのことを一緒に考えてくださって、心から嬉しく、主に感謝を献げています。とりわけ、「先生もいっぱい失敗しているけど Continue Reading →

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神学校今昔物語

 1988年秋、私は初めて聖書宣教会の見学に行ってみた。学校と言うには程遠い古い木造の建物。それもそのはず、来年には取り壊して移転が決まっていたからだ。見学した一年生の授業は10帖ほどの教室というよりは部屋に5人の神学生 Continue Reading →

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年輪が語ることに耳を傾けて

 からだのあちこちが傷み始めて、自分が中年ということをいやでも認めなければならなくなった今、でも心だけは若い日のままでいるつもりです。ところがお年寄りの話しを伺っていると、みな同じことを言うのです。 「18のとき、少年の Continue Reading →

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突然ですが100名を目指しませんか?

 私は、牧師になって以来、数での目標を掲げたことはありません。なすべきことが導かれていくならば、結果として数がついてくると考えていたからです。ところが、ごく最近になって考え方が変わってきました。震災以来、いままで少し先延 Continue Reading →

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戸羽市長のはなしから

 陸前高田市の戸羽太市長の「被災地の本当の話をしよう」という最新刊を読みました。新聞やニュースで断片的に伝わる話よりも、一人の人の向き合っていることを読むことで現実のありようをかいま見、震災直後以来久しぶりに涙が溢れてし Continue Reading →

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「わたしはキリストのものだ」というとき

「わたしはキリストのものだ」というとき 「わたしは救われた!」と叫ぶのではない。 「迷って、この道にたどりついた」とささやくのだ。 「わたしはキリストのものだ」というとき 胸をはって誇るのではない。 つまずき、導きが必要 Continue Reading →

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津波の跡地に立って(2)

 震災から5ヶ月経った石巻を訪れて不思議な違和感を覚えたのは、ファミレスで食事をしたときとホームセンターで買い物をしたときです。こっちと全く同じ店が、同じように営業していて、そこを訪れる人はごく普通の生活をしているいうこ Continue Reading →

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津波の跡地に立って(1)

 石巻キリスト教会での奉仕の合間を縫って早朝、石巻と女川を訪ねてきました。すでにガレキが撤去され、臭いもなく、直後の生々しい傷というより、かさぶたが残った跡地ということばが当てはまるような光景でした。しかし、残骸として残 Continue Reading →

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時代を見る目と私たちの願うこと

 建築家の安藤忠雄氏の講演を聴く機会がありました。その中で教えられたことがいくつかあるのですが、その一つは今の時代を見る目です。1980年代まで日本は戦後の復興から欧米に追いつけ追い越せと豊かな暮らしを夢見てきました。と Continue Reading →

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歴史認識と神からの語りかけ

 私の歴史知識は中学生レベル。卒業以来、歴史を勉強する機会がなかったからです。中学校の歴史も近現代史は最後のおまけ程度。その後、学んだことも歴史の断片に過ぎません。先日、近現代史が専門の元山梨大助教授、現東大教授の加藤陽 Continue Reading →

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嘆きに嘆かなければ

 早天祈祷会では、イザヤ、エレミヤ、哀歌と読み進んできました。不信仰によって国が攻められ、包囲され、滅亡していくその過程が赤裸々に綴られています。その中では、頼りにするべきものが何なのかを問われます。  北のバビロン、時 Continue Reading →

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食べることは生きること

 長い間、痴呆の進んだ舅の世話をしている姉妹から久しぶりに電話があり、ひとしきり話し込みました。痴呆が進むと、夫や妻のことがわからない。息子や娘のこともわからない。世話をしてくれる人が誰か、それが記憶の片隅にある人に入れ Continue Reading →

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まだいちじくの葉が必要ですか?

 最近つくづく思うことがあります。それは私たちが見聞きすること、表に表れることはほんの一部であって、隠されていて見えないことが少なくないといういうことです。表向きには体面を保っていること、あるいは体裁を繕っていることがあ Continue Reading →

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グリーフワークと時間

 スイス生まれの女医であるキュブラー・ロスは200人の末期ガン患者にインタビューを行い、「死ぬ瞬間」という本にまとめ、ベストセラーとなりました。彼女によると、ほんとんどの人が共通する5つの過程を通ると分析しました。第一段 Continue Reading →

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父であることは信じること

 自分が父親になってみて初めてわかったことがあります。母親はこどもを産んだ瞬間から、いや、それよりずっと前から母親なのです。こどもをお腹に宿したときから母親としての準備を始め、つわりから、徐々に大きくなっていくお腹。何を Continue Reading →

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救われることはただあわれみ

 宮城聖書教会の田中時雄師のお話しを直接伺う機会がありました。教会は東松島市。Aさんが救出されたところから約800m。ほぼ同じ経験をなさったようです。黒い壁が押し迫り、必死で逃げ上がったところで助かる見込みはなく、周囲が Continue Reading →

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大きなものほど精密なのです

 建造物は大きなものであればあるほど精密さが要求されます。明石海峡大橋の主塔は海面上約297mの高さがありますが、その建設は、大きなブロックを30段積み上げて作られています。一段の高さは約30m。そのブロックの合わせ面は Continue Reading →

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指示待ちは何も生み出さない

 中井久夫「災害がほんとうに襲った時~阪神淡路大震災50日間の記録」みすず書房(インターネットで無償公開中)を読みました。震災時に精神科医として働いた記録です。  『初期の修羅場を切り抜けおおせる大仕事において有効なこと Continue Reading →

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感謝を伝えよう〜母の日に寄せて〜

 母の日は1908年の一つの出来事に始まりました。米国のアンナ・ジャービスの母親は教会学校で献身的な奉仕をして天に召されました。記念会に呼ばれた娘は母を忍んでカーネーションの一束をささげ、年に一度母親への感謝を表すことを Continue Reading →

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洗礼に与る意味を確認

 先週はT姉の洗礼式が行われました。主がここまで導いてきてくださった恵みをともに感謝しつつ、私たちがいただいている洗礼の意味を今一度確認しておきましょう。  教会には洗礼(バプテスマ)と聖餐の二つ聖礼典がであります。この Continue Reading →

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失うことの悲しみと痛みと希望

 火曜の朝、教会へ来ると何かがおかしい。花壇のクリスマスローズがないのです。それは、私の育った家の庭で母が大切に増やしたものをもらってきたものです。2年ごしに可憐な花を咲かせ、毎日楽しみに見ていたのです。それが株ごと盗ま Continue Reading →

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ことばにできない

 私の友人であり同労者であるT教会のK師が津波の被害のある教会への奉仕に行ってきました。行ってきたら報告をして欲しいとお願いしましたが、一向に報告がありません。わかってはいたのですが、電話を掛けてみると、思った通りでした Continue Reading →

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ことばと心を理解しよう

 友人たちの会話。 「あの人は批判ばかりしている」と、批判ばかりしている人もいる。  動いてなんぼだと思います。動いてない人、結果出してない人は発言権はないかと。   みんな、言ってますと自分の言い分を言う人もいる。「み Continue Reading →

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苦しみもひとりひとり違う

 月曜日に教会連合の牧師たち2チームに分かれて茨城の教会を訪問してきました。並行して震災から3週間、被災地の教会の声、ボランティアや奉仕の報告、支援団体や支援者の声、教会員の声、様々な立場の人たちの話を伺いました。その中 Continue Reading →

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一番心が凹むのは

 「支援をしているときに、一番心が凹むのは、「名指しでの非難」だと感じます。 いま、一人一人が皆、「できる人が、できることを、できる限り」の心で動いていると思います。私も、金曜日以来、そのように考えています。  そのよう Continue Reading →

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もし「ドラ」知っていますか?

 もし「ドラ」とは岩崎夏海著『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』という本のことで、次のような内容です。  高校野球部の女子マネージャーの川島みなみは、ふとしたことで経営書の名作ドラッ Continue Reading →

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打ち込めることの幸い

 過日、音大を目指す高校生とお話しする機会がありました。彼は打楽器科を志望していますが、ピアノや声楽と違ってその中身を理解できる人はほとんどいません。私はかつてブラスバンドで打楽器をしていたことを彼は知っているので、話し Continue Reading →

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総会では献身を新たに

 人の集まるところには、それが家族であっても、学校であっても、会社であっても必ず組織が生まれます。どんな組織でも三つの機能があると言われます。まず、仕事機能。目的を成し遂げることであり、教会にとっては礼拝と交わりと伝道と Continue Reading →

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役員を選ぶ、委ねる

 初代教会最初の役員は次のように選ばれました。「兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。使徒6:3」ここには選ぶ人と選ばれる人と両方について書かれています。  選ばれる人には Continue Reading →

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成人の日に覚える3つのM

 成人を迎えられた若い兄姉にお祝いを申し上げます。また、ここまで育ててこられたご両親とご家族にお祝いを申し上げます。今に至るまで多くの人たちの祈りと助けによって育てられてきたということを忘れてはなりません。そしてこれから Continue Reading →

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トイレの神様?

 紅白歌合戦で初めて知りました。「トイレの神様」という歌が流行っていたことを。こんな歌詞です。  トイレにはそれはそれはキレイな  女神様がいるんやで  だから毎日キレイにしたら  女神様みたいに  べっぴんさんになれる Continue Reading →

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