礼拝説教: 過去のすべての投稿

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「罪の赦しときよめ」レビ4:1-2, 27-35, ヘブル9:11-14

 ここに命じられているのは、罪が罪とわからず罪に陥り、後から責めを覚えるときのことです。常に罪を薄めてしまう私たち、自分の心を見張ることは大切なことです。まず、その罪とは何か。確認をしておきましょう。  罪とは第一に、い Continue Reading →

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「神との交わり、いのちのパン」レビ3章、ヨハネ6:35, 51-58

 私たちは交わりということばをよく使います。そしてしばしば暖かいとか冷たいとか、そういう言葉遣いをします。教会本来の交わり、一致の基はどこにあるのでしょうか。教会とはキリストのからだです。からであるということは、切り離す Continue Reading →

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「目が開かれた人の歩み」ヨハネ9:1-7, 24-39 N神学生

 主イエスは道すがら生まれつきの盲人に目を留め、目に泥を塗ってシロアムの池で洗うように言われました。その道のりは急な坂や階段も多く、盲人の彼にとっては簡単なことではありません。信仰なくしてできないことです。彼は主イエスの Continue Reading →

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「感謝をささげる」レビ記2章、マタイ6:11

 出エジプトの民、奴隷として烏合の衆であった彼らを神の民として整えるために、神は彼らをシナイの荒野で訓練します。エジプトを出てちょうど一ヶ月、食糧は底をつき、パンがないとつぶやき始めます。神はマナを与えて彼らを養いました Continue Reading →

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「いつまでも残るもの、愛」1コリント13:1-13

 「あぁ、長生きしてよかった!」と言えるのは「今、生きててよかった」と同じでしょう。今を喜べること、過去を感謝できること、これから先に平安があること、それが幸せの3つの条件であろうと思います。長寿をいただくということは、 Continue Reading →

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「すべてをささげる」レビ記1:1-17

 エジプトで奴隷であったイスラエルの民は神の輝かしい救いのみわざによって自由の民となりました。彼らが神を礼拝する民として生きるために与えられたのが律法と幕屋での礼拝です。それを繰り返す中で、彼らは神の民として整えられてい Continue Reading →

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「幕屋、神の聖さと栄光の前に」出エジプト40:16-38

 族長時代に続くのは、出エジプトです。出エジプト記の前半には奴隷の地エジプトからの救い、後半には救われた民がどのように生きるのか、どのように礼拝するのかが扱われています。19章には、「私の宝、祭司の王国、聖なる国民」とな Continue Reading →

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「祭壇を築く」創世記22:1-14

 礼拝という言葉、旧約聖書では元来「ひれ伏す」ことを指す言葉です。アブラハムやロトが御使いを迎えたとき、ヤコブがエサウに再び会うとき、エジプトのヨセフの前に出る兄弟たち。十戒の偶像を拝んではならないと言われること。礼拝の Continue Reading →

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「祭壇を築く」創世記22:1-14

 礼拝という言葉、旧約聖書では元来「ひれ伏す」ことを指す言葉です。アブラハムやロトが御使いを迎えたとき、ヤコブがエサウに再び会うとき、エジプトのヨセフの前に出る兄弟たち。十戒の偶像を拝んではならないと言われること。礼拝の Continue Reading →

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「平和の器に」コロサイ3:1-16

 平和を願うところ、難しいことばは必要ありません。私たちが互いにあいさつを交わし合うことです。ヘブル語の挨拶はシャロームですが、その意味は多様です。平和、平安のみならず、繁栄、健康、充足、救い、勝利という神の祝福を祈るこ Continue Reading →

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「礼拝の心、献身」ローマ12:1-2

 この箇所、「ですから」という言葉で始まっています。ローマ書は、1章から11章まで、神がなしてくださった救いのみわざ、教理をパウロは語り、この12章から、信仰者の生活その適用を教えているのです。その最も重要なことは「神の Continue Reading →

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「救いの目的」エペソ1:3-7

 礼拝についてしばらく一緒に学んでいきます。私たちは礼拝というとどうしてもプログラムであるとか、形を考えますが、礼拝とは何ですかと問われたとき、明確な答えを持っているでしょうか。礼拝の心、姿勢、神のみこころを聖書の中に確 Continue Reading →

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「私の兄弟、姉妹、母、父」マルコ3:31-35

 家族に働く「均衡」という力学、イエスの家族も同じように「気が狂ったのだ」という声に連れ戻しにやってきます。ところが、イエスに近づくことすらままなりません。イエスはその呼びかけには答えず、まったく別のことを言います。「わ Continue Reading →

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「それでもなお拒むのか」マルコ3:20-30

 イエスの宣教の始まり、それは神の国の到来を知らせる祝福のわざが行われました。一方そこには反発・拒絶が起こります。  イエスを連れ戻しに身内の者たちがやっています。マリヤは処女降誕から始まって、神のなさる不思議なわざをそ Continue Reading →

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「イエスの弟子たち」マルコ3:13-19

 イエスは弟子たちを選び、任命するのですが、「山に登り」とあります。日常の喧噪から離れて祈りに集中なさったのです。イエスはしばしば、そのように寂しいところ、何もない、静かなところに退き、祈りの時を持ちました。そして、神と Continue Reading →

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「みんななのか、私なのか」マルコ3:7-12

 ガリラヤから始まって、続々とイエスのもとに人々が集まります。その目的はいやしです。この群衆、イエスのところに行くなら、病がいやされる。みんながイエスを自分たちにとって都合のいい、願いを叶えてくれる存在にしようとする。い Continue Reading →

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「心貧しき者の幸い」マタイ5:1-9

 人は生まれ育ちを選ぶことができません。N兄の生まれ育ちは過酷でした。寂しさ、不信、 信じられるは自分だけ。強く生きようとすることで自分を守ってきました。しかしその強さも、酒の力を借りなければならなかった。それが破綻して Continue Reading →

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「安息日の主」マルコ2:23-28

 新しいぶどう酒は新しい皮袋に。そのように新しい皮袋に自分を変えるため、やわらかな心を持つためには、伝道者7:16にある一つのことば「あなたは正しすぎてはならない」を覚えます。自分の正しさ、知恵に頼る古い頑なな皮袋です。 Continue Reading →

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「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」マルコ2:18-22

 「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」ということばはよく知られたことばで、何かを全く新しくするときに使われることばです。最初の弟子たち、彼らはイエスの招きに自分の持てるものを捨てて従いました。しかし、人は持てるものが多ければ Continue Reading →

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「罪人を招くために」マルコ2:13-17

 イエスの時代、この地はローマの支配下にある属州にされていました。ローマは1/10税を属州に課しましたが、その徴税は徴税請負人たちに任せました。その税に加えて属州のための税、それに請負人の「経費」、つまり不正な取り立てに Continue Reading →

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「この方のところにさえ行けば」マルコ2:1-12

 中風という病気、それはからだの麻痺、脳出血や脳梗塞などの病気のゆえでしょう。その人のいやし。この箇所が問いかけることの中心は「罪の赦し」、そして、もう一つは「自由」です。それをキーワードに神の語りかけを聞きたいのです。 Continue Reading →

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「お心一つでという信仰」マルコ1:40-45

 ツァラアトという病、それは長い間「らい病」と訳されてきましたが、それは同一ではありません。それが「らい病」と訳されたのは社会的偏見と差別のあり方が類似しているため、あえてそう訳されてきたのです。「傷を与える方は、忘れて Continue Reading →

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「さぁ、出ていこう!」マルコ1:29-39

 シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネの兄弟、彼らは船も網も、父も雇い人も残してイエスに従ったはずでした。しかし、ここでは彼らの家に行きます。後にペテロは妻について家族について、愛と尊敬に溢れた温かな教えをします。一方で、イ Continue Reading →

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「イエスの権威」マルコ1:21-28

 カペナウムの会堂でイエスが教え始められると、人々は驚きました。「律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたから」です。彼らは律法に加えて、口伝のミシュナーやその解説であるタルムード、高名なラビのことばな Continue Reading →

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「人間をとる漁師に」マルコ1:14-20

 イエスの宣教の初め、それは「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」ということばから始まります。それは、今、その招きにどのように応えるのかということが迫られることばです。  の宣教の開始とともに記さ Continue Reading →

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「喜ぶ者と喜び、泣く者とともに泣く」ローマ12:15-21

 東日本大震災から丸7年となりました。災害が起こることは自然のサイクルです。しかし、大きなインパクトのある出来事をして、私たちは本当に必要なもの、なくてはならないもの、なくてよいものが問われ、また、心の向きがどこへ向いて Continue Reading →

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「荒野の誘惑」マルコ1:9-13

 イエスは荒野で3つの誘惑を受けられたことはマタイの福音書に記されています。一方でマルコの福音書には触れていません。別の意図があるのではないでしょうか。  イエスが誘惑にあわれたのは荒野です。荒野は原野とは違います。元々 Continue Reading →

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「イエスは誰なのか」マルコ1:9-13

 ヨハネは「罪の赦し」のバプテスマを人々に迫りました。それはバプテスマのヨハネだけではなく、異邦人の改宗者に、あるいは修道生活をする集団への入会などにも行われました。ヨハネのバプテスマはヨルダン川に出て行かなければなりま Continue Reading →

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「キリストの道備え」マルコ1:1-8

 マルコの福音書はバプテスマのヨハネのことから「キリストの福音」を語りはじめます。彼は使徒であるパウロやペテロと行動をともにし、その目撃証言をもとに事実を吟味して簡潔にそれを記しました。それは、旧約聖書から続く約束の成就 Continue Reading →

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教会の悩みと信仰と

 先日訪問した父の従兄弟から自身の属する荻窪教会の50周年記念誌、80周年記念誌を頂戴しました。送ってくださったのです。ザッと目を通しただけでも、そこには長老・執事として記録に名前がずっと刻まれていることがわかりました。 Continue Reading →

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「キリスト者の成長」2ペテロ3:16-18

 新しい天、新しい地を待ち望みながら地上を生きる者たち、そこにペテロは「無知な、心の定まらない人たちは…それらの手紙を曲解し」と言います。「曲解」とは「バランスを欠く、極端である」という意味です。  きよめ派の教会ではき Continue Reading →

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「キリスト者の成長」2ペテロ3:16-18

 新しい天、新しい地を待ち望みながら地上を生きる者たち、そこにペテロは「無知な、心の定まらない人たちは…それらの手紙を曲解し」と言います。「曲解」とは「バランスを欠く、極端である」という意味です。  きよめ派の教会ではき Continue Reading →

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「しみも傷もない者として」2ペテロ3:14-15

 新しい天、新しい地を待ち望む信仰、そして、それがゆえに、地上にあっても、今、すでに聖い生き方をする敬虔な人となるべきことを教えたペテロは、さらに、「しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。 Continue Reading →

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「しみも傷もない者として」2ペテロ3:14-15

 新しい天、新しい地を待ち望む信仰、そして、それがゆえに、地上にあっても、今、すでに聖い生き方をする敬虔な人となるべきことを教えたペテロは、さらに、「しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。 Continue Reading →

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「新しい天と新しい地を待ち望む」2ペテロ3:8-13

 日本人の死生観、そして終末観はあいまいです。「ゆく河の流れ絶えずして、しかももとの水にあらず…うたかたの」と謳われるように、生まれ、死に、また浮かび、また沈む。そして、終末などは意識の中にありません。ですから、今を生き Continue Reading →

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「霊に燃え、主に仕える」ローマ12:4-12

 このみことばの中心にあることは「主に仕える」ことです。そして「勤勉で怠らず」ということばは「熱心」とも訳されます。私たちがそのようにするときは目標がハッキリしているときです。そのためにはいのちの目的を確信して握りしめて Continue Reading →

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「古い人を脱ぎ捨てる」コロサイ3:1-17

 この年、一年を振り返ってみると、新しい命の誕生、天に送った兄姉、病やケガ、それぞれのところを通ってきました。限りある命を生きているのが私たち。日常に埋没することしばしですが、年の終わりにその命を振り返ってみたいと思うの Continue Reading →

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「神はひとり子をお与えになった」ヨハネ3:16

 聖書が語りかける主語はいつも「神は」です。そして、神は私たちのところにおられます。残念なことに私たち人間にはそれがなかなか見えません。神が人となって来られた。それは、いまだかつて聞いたことがなく、受け止めることすら難し Continue Reading →

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「いのちのパン」ヨハネ6:23-40

 人はカツカツの生活をしていると心が卑屈になります。一方で、豊かになると知らず知らず人を見下す高ぶった態度になる。それらはみな、生きること、パンと深く結びついています。実に私たち人間というものにとっては、たかがパン、され Continue Reading →

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「小羊の救い」黙示録7:9-17

 白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立つ人たち。私たちの心のシミ、罪や汚れ、傷や痛みはなんと消しがたく、なんと癒やしがたいことでしょうか。ところが、イエス様の十字架の血潮によって私たちの罪は洗われ、白 Continue Reading →

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「心の目を開くなら」ヨハネ9:1-15

  人は生まれを選ぶことができません。いくら憎んでも変えることもできません。生まれつきの盲人。彼もまたそうでした。人はそこに不幸の犯人捜しを始めます。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人 Continue Reading →

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「滅びではなく、悔い改めを」2ペテロ3:1-9

 ペテロはこの手紙で今一度問いかけるのは「純真な心を奮い立たせる」ことです。キリスト者生活を続けていると、恵みのありがたみを忘れ、惰性で歩み、喜びを失うような歩みになることがあるのです。離散のキリスト者が圧倒的な世の力の Continue Reading →

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「神を愛し、隣人を愛す人に」ルカ10:25-37

 「塩狩峠」のストーリーを知っているでしょうか。暴走列車を自らの身を投げて止めて乗客を救った話です。私は小学二年生の時に映画で見ました。同じようなことがあったら自分もと思いますが、機会はやってきません。大きな愛の行為は歴 Continue Reading →

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「元の木阿弥にならないために」2ペテロ2:17-22

 「犬は自分の吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、またどろの中にころがる」というたとえ、日本のことわざならば、「元の木阿弥」というところでしょうか。木阿弥というのは、戦国時代の大名、筒井順昭が死んだとき、まだ、幼い息子を Continue Reading →

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「バラムの道とろば」2ペテロ2:11-16

 この2章では、偽預言者、欲に引きずられる人の姿について教えられています。そしてそれは12節で、「自然に生まれついた、理性のない動物と同じ」と表現されています。新しい訳では「本能に支配されて」と訳し直されました。いったい Continue Reading →

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「救いとさばきと」2ペテロ2:5-10

 この箇所のテーマはさばきです。私たち人間にとっての問題の一つは恐れの欠如ではないでしょうか。ダビデの息子アムノンは異母姉妹であるタマルを犯します。ダビデはそのことをに憤りを感じながらも何もしませんでした。正しくさばくこ Continue Reading →

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「最期のときの迎え方」創世記50:12-26

 「老い」、それは人の宿命でしょうか。ポール・トゥルニエは老いを受け入れる諾、それは人生のすべてにおいて、生まれた時代、親、家族、兄弟、場所や国、それをありのままに受け入れる諾こそが、鍵だと言います。ヨセフの最期にそれを Continue Reading →

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「偽預言者、偽教師」2ペテロ2:1-4

 偽預言者、それがイスラエルの中からでたことが書かれています。1列王18章のアハブ王の時代のことを見てみましょう。彼は国内外において政治的に成功を収めます。外交的に友好関係を結び、そして、経済的にも上手く行きます。王とし Continue Reading →

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「みことばを灯火として」2ペテロ1:19-21

 私たちの世界は暗やみに覆われています。争い合う世界は知恵を尽くします。しかし、すべてのこと、私たちの身の周りから世界大に至るまで、すべての暗やみの原因は人の罪であり、それを誘う暗やみの支配者であるサタンに覆われているの Continue Reading →

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「キリストの目撃者」2ペテロ1:16-18

 人はことを「見たいようにしか見ず」、「都合のよいように聞く」という習性ががあります。それがゆえに尊い神の教えをねじ曲げ、作り話を付け足し「うまく考え出した作り話」にしてしまうことがあります。なぜでしょうか。  それは、 Continue Reading →

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「私の務めと残すべきもの」2ペテロ1:12-15

 この箇所で、注目したいことは二つのことです。第一はこの「幕屋」とペテロが呼んだこと、もう一つは、「私のなすべきこと」として努めたい彼に与えられた使命です。  幕屋はエジプトの奴隷から救い出されたイスラエルの民に与えられ Continue Reading →

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「召されたこと選ばれたことを確かに」2ペテロ1:4-11

 恵みによって救われた者たちの歩みは「神のご性質にあずかる者になる」という聖化に招かれています。私たちは、どこから救われて、どこに向かい、今、どこを走っているのか、広い視点で見渡し、それを常に覚えていなければ、目先のこと Continue Reading →

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「神のご性質にあずかる」2ペテロ1:5-8

 私たちに与えられた救い、それは私たちが「世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となる」こと。それがゴールです。だからこそ、「あらゆる努力をして」とペテロは言うのです。  努力ということばは、力を尽くして Continue Reading →

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「すばらしい約束」2ペテロ1:1-4

 第一ペテロの手紙、それは世の流れの中にあって苦闘する各地に散ったキリスト者を励ます手紙でした。一方、第二ペテロは、純正な信仰に留まることを教える手紙です。今年は宗教改革500年です。いつしか、信仰が変質してしまった。そ Continue Reading →

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「ここに立つ」1ペテロ5:12-14

 長く学んできたペテロの生涯、福音書に読む彼の生涯と重ね合わせるときに、その教えは重みを持って私たちに迫ることばです。  「愛の口づけをもって互いにあいさつをかわしなさい」という勧め、それは1:22にでてきた「あなたがた Continue Reading →

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「神のご支配」1ペテロ5:10-11

 圧倒的に世の流れの中で、小さく力のないように思えるキリスト者。しかし、「選ばれた人たち」(1:1)です。天にある救いの完成のお約束をいただきながらも、今、この地上を生きる者たちはさまざまな試練を通る。狭間を生きている者 Continue Reading →

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「悪魔に立ち向かう」1ペテロ5:8-9

 依存症の回復グループには「今日一日」ということばがあります。依存する生活にやらずに過ごせる自信もなければ、約束もできない。ただ、今日の一日だけという積み重ねによって今を生きるということです。同じように、悪魔に立ち向かう Continue Reading →

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「イエスの弟子に加えられる恵み」使徒2:36-42

 ペンテコステのその日、御霊に満たされた人達にいくつかの「しるし」が与えられました。しかし最も大きなしるしは3,000人が弟子に加えられたことです。彼らは何を与えられたのでしょうか。  第一に罪が示されたということです。 Continue Reading →

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「思い煩いをゆだねる」1ペテロ5:7

この前でペテロが語った「謙遜」と「ゆだねること」は裏表です。謙遜でなければゆだねることはできません。また、ゆだねることができなければ謙遜ではありません。  私たちの毎日の生活には思い煩いが尽きません。イエス様も山上の説教 Continue Reading →

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「謙遜を身につける」1ペテロ5:5-6

 身に着けるという概念は新約聖書の中ではよく使われる表現です。私たちは実に様々なものを身に着けますが、身に着けたように振る舞い、あるいは生きます。私たちが謙遜を身に着けるとはどのようにしてでしょうか。  黙示録3章には、 Continue Reading →

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「牧者の務め」1ペテロ5:1-4

 ペテロは教えを委ねる長老について書き送ります。ここで言う長老という務めは必ずしも明確ではありませんが、2節で「神の羊の群れを、牧しなさい」と言われていますから、教会の指導者たちを指すのでしょう。  ペテロはまず、自分を Continue Reading →

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「復活のいのちを得る」ヨハネ20:19-31

 復活の日の夕方、弟子たちが集まっているところにイエス様はお顕れになりました。そこで、イエス様が弟子たちにかけられたことばが、「平安があなたがたにあるように」ということばです。復活の後に最初にかけられたことばであるがゆえ Continue Reading →

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「十字架のイエス」ヨハネ19:17-37

 イエスの罪状書きとして掲げられた「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」。それは、ダビデの再来、メシヤの到来の待望でした。ダビデの時代、それは周囲の国々を従え、最も栄えた時代です。復活の後ですら、弟子たちは「主よ。今こそ、イス Continue Reading →

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「自分のたましいをゆだねる」1ペテロ4:17-19

 キリストの名のゆえに受ける試練、それとともにペテロは罪のゆえに苦しみを受けることがあってはならないと言います。そしてここに、「さばきが神の家から始まる時が来ている」と迫るのです。旧約時代に神がなさったさばきに着目してみ Continue Reading →

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「恥じることなど何もない」1ペテロ4:12-16

 クリスチャンになれば、キリストを信じるならば、何もかも解決し、すべてがうまくいく。必ずしもそうではありません。むしろ、キリスト者になったがゆえの苦しみや試練を経験するようになる。何のためでしょうか。  ペテロは、その試 Continue Reading →

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「賜物は誰のために」1ペテロ4:7-11

 「親切にもてなす」と訳されていることば、それは英語ではホスピタリティー、それは人を喜ばせること、人の喜びのために自分をささげることです。  ところが、私たちに「つぶやき」は少なくありません。私たちの心に何が働いているの Continue Reading →

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「今は終わりのとき」1ペテロ4:7-8

 「万物の終わりが近づきました」ということばは私たちに「心を整える」べきことを迫ります。一方で、私たちの心には「正常化への偏見」なるものが働きます。それは自分に都合のよい情報は大事にするが、都合の悪い情報を無視し、あるい Continue Reading →

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「何のために生きるのか」1ペテロ4:1-6

 ペテロはここに「地上の残されたとき」という言葉を使います。キリスト者は「やがてと今」の狭間に生きています。イエス様は山上の説教で「神の国とその儀とをまず第一に求めなさい」(マタイ6:33)と教えました。天と地はつながっ Continue Reading →

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「武装宣言」1ペテロ4:1

 「武装宣言」とは、ものものしい題をつけました。キリスト者生活には戦わなければならないことがあるのです。3章ではそれは外から来るものでした。この4章では、目に見えない戦い、外部から来るものよりもむしろ、自分自身の内側から Continue Reading →

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「救いは神のもの」1ペテロ3:17-22

 「もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。」それは「いのちよりも大切なことがある。いのちをかける価値がある。」からです。また、キリスト者に与えられている救いが、この Continue Reading →

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「心の確信」1ペテロ3:13-17

 ペテロの手紙のキーワードの一つは「選び」です。神のあわれみによって選ばれた。その生き方は「互いに熱く愛し合え」。それはキリストの足跡に従うことです。それは一方で義のための苦しみを受けます。  ハドソン・テーラーは中国奥 Continue Reading →

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「新しい人を着る」コロサイ3:1-17

 「着る」ことは、とても象徴的なことです。人が最初に身に着けたもの。それはイチジクの葉。人が堕落した途端、裸を知り、覆い始めるのです。まったく隔てのない交わりの中にあった彼らの間に壁ができてしまいました。神は彼らに皮の衣 Continue Reading →

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「捨て去るべきもの」コロサイ3:1-10

「師父ポイメンが師父ピオールについて語ったところでは、彼は毎日をまっさらに新しく始めていた。」荒野で修道生活をした4,5世紀の教父のことばです。この箇所、「こういうわけで」と始まっています。大切なのはこの前で語られている Continue Reading →

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「救い主が来られた」黙示録3:15-22

「救い主が来られた」黙示録3:15-22 15        「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わた Continue Reading →

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「神のなさることを受け入れるなら」マタイ1:17-25

 イエス誕生のストーリーの中で、ヨセフという人は控えめに出てきます。彼はただ、二つのうちどちらを選ぶかを突きつけられました。それは、目に見えることだけを信じるのか。それとも、目には見えないことを信じるのかの二つです。   Continue Reading →

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「救いの喜び、王か来られる!」ゼカリヤ9:9-17

 ゼカリヤ書は、捕囚の民がエルサレムに帰還し、神殿を再建している前後のことです。彼らは故国に帰還し、まず神殿を再建します。いわば復興の足がかりを得た。そういう時代です。ところが、神殿再建から、70年ほど経ったネヘミヤ記を Continue Reading →

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「嘆きは慰めに」哀歌5章

 哀歌の背景、それは預言者エレミヤの時代、「エレミヤの哀歌」とも呼ばれ続編に近い嘆きの歌です。それは涙の預言者と呼ばれた彼の預言にもかかわらず、それに従わなかったユダが滅ぼされたからです。  彼が委ねられた預言のことば、 Continue Reading →

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「善に熱心であれ」1ペテロ3:13-15

 悪か善か、キリスト者生活はいつも二者択一です。ここでは「もし、あなたがたが善に熱心であるなら」という言い方がなされていますが、それは意訳をするならば、「善に熱心であるあなたがた」という意味です。そこで問われるのは、この Continue Reading →

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「御霊の人に」ガラテヤ5:22-23

 大人になったら何になる?それは子どもにとって職業を意味します。しかし、もっと大切なことは、どんな人になるのかです。「御霊の人になる。」それを学び、祈りとしたいと思います。  御霊ってどんなお方なのか。ヨハネ14章ではイ Continue Reading →

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「悪をもって悪に報いず」1ペテロ3:8-12

 私たちの世界、「悪をもって悪に報いず」あるいは「右の頬を打たれたら、左の頬を」そんな生き方ができるんだろうか。それは、理想であって、理想は持ちながらも現実に対応するべきだと考えるキリスト教現実主義という神学があります。 Continue Reading →

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「心を一つにする」1ペテロ3:8-9

 ペテロは王に従い、主人に従い、夫に従い妻を愛する生活を教え、さらに教会という交わり、周囲の関係に表すべきことを教えています。ここで「…祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」と教えられ Continue Reading →

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「いのちの恵みを共にする夫婦」1ペテロ3:1-9

 ペテロの手紙は自由人として、一方で神の奴隷として生きる生き方が実際の人間関係の中に表されるように、その最も近い夫婦、とりわけ、ここでは「夫たちよ」と教えます。  ペテロはここに「わきまえること」、つまり理解することにつ Continue Reading →

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「心の中の隠れた人柄こそ」1ペテロ3:1-9

 ペテロはここにキリスト者の生き方として夫婦の問題について教えます。「妻たちよ。夫に服従しなさい」とは、時代が違うと受け取られるような教えに見えるかもしれませんが、そうではありません。表向きの男女、夫婦の関係が変化したか Continue Reading →

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「十字架こそすべて」1コリント15:1-5

 洗礼式を前に、ともに私たちが信じている信仰をともに確認したいと思います。福音、それはよき知らせです。新聞の号外が出るとき、それは勝利の喜びを知らせるときです。私たち人は「ありがとう、ごめんなさい、ゆるします」という3つ Continue Reading →

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「お墓のはなし」創世記23:1-20

 この箇所は、アブラハムが妻サラのために墓地を買った話です。私たちはやがて死に、葬られます。どのようにこの世の命を閉じ、どのように平安をもって天に帰るのか。この世で生きた意味は何だったのか、何を残していけるのか。お墓の問 Continue Reading →

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「すべてがキリストのもとへ」1ペテロ2:18-25

 私たちは絶えず何かしら解決したい問題を抱えています。おおよそ、人が考えられる解決は、力や仕組み、社会を変えれば、状況を変えればことが動く。そのような向きに向かいます。ところが、ここでペテロが語るのは、「キリストの模範に Continue Reading →

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「苦しみを耐え忍ぶ」1ペテロ2:18-21

 ペテロの手紙で私たちの人の関係、そのキーワードとなるのは、1:22の「互いに熱く愛し合いなさい」という言葉です。ところがそれは兄弟姉妹の間、実際には、そういかない一方通行の世界が私たちの生きる世です。しかも、ペテロの勧 Continue Reading →

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「世の権威と自由」1ペテロ2:13-17

 この箇所はキリスト教会の歴史の中で様々な解釈と理解がなされ、教会は何度も揺さぶられてきました。宗教改革者のルターは次のように解釈しました。神は世界を支配するために二つの剣をお与えになった。ひとつの剣は信仰の世界を治める Continue Reading →

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「旅人であり寄留者」1ペテロ2:11-12

 「旅人であり寄留者」、それはヘブル人への手紙11章でも信仰の先達たちについて語られています。アブラハムはまだ、その約束を見てはいません。空の星、海辺の砂のような子孫を見てはいません。しかし、もう生まれることも期待できな Continue Reading →

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「やみから光へ」1ペテロ2:9-10

 私は何者か。ペテロは「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」だと言うのです。「選ばれた種族」それはアブラハムから始まります。アブラハムの召命を意味するところは第一に、今までのあり方を捨てること、第 Continue Reading →

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「尊い礎石キリスト」1ペテロ2:3-10

 「生ける石として霊の家に築かれる。」それはキリストの教会の一部として、一人一人がなくてはならない大切な存在だということです。ペテロは家と石というたとえを使いましたが、パウロは「からだと器官」というたとえを使って同じこと Continue Reading →

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「ゴールを目指して」1ペテロ2:1-4

 キリスト者の成長、それは何によって測ることができるでしょうか。それは愛です。この2章のことばは「ですから」ということばで始まっていますが、1:22の「互いに愛し合え」ということば、新しく生まれ、生き方の向きを変えられた Continue Reading →

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「朽ちない種、神のことば」1ペテロ1:23-25

 ここで一章が終わります。その内容を簡潔に言い表すとすると、次のように言うことができます。「神の恵みによって選ばれた人たち、あなた方は世にあってはごく少数派、様々な困難と試練に今はおかれている。でも、十字架と死に復活をも Continue Reading →

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「本当の神頼みとは」1ペテロ1:20-21

 世の始まる前、永遠から永遠の中にキリストは三位一体の神でした。そのお方が、人となって世に降り、「終わりのとき」、いよいよ救いのご計画を成し遂げるこのとき、私たちのところに来てくださったのです。処女マリヤから赤ちゃんとし Continue Reading →

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「霊の父の愛の訓練」へブル12:1-11

 著者は、信仰者が通される「主の訓練」に触れます。私たちが間違いを犯すときに主の懲らしめを受け、また、あらゆる訓練を受けているということは、神が私たちを子として関わっておられる神の愛の現れなのです(5-7節)。  肉親の Continue Reading →

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「互いに熱く愛し合え」1ペテロ1:22

 私たちのいのち、それは互いに愛し合い、一つになることによって神の御栄えを表すために造られました。ですから、そのことに一番の喜びを見いだすのです。しかし、そこに罪が入りました。神に従うことを喜ぶ、別の言い方をするならば、 Continue Reading →

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「キリストの血によって」1ペテロ1:17-19

 この節は「また」で始まります。それは先の勧めが神に対してのわきまえであるとすると、もう一つ、私たちはどうしても、周りとの関係、人との比較の中でものを考えるからです。私たちの歩みのもう一つの側面と現実を教えます。  人類 Continue Reading →

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「聖なる者に」1ペテロ1:13-16

 聖書の「聖」とは、取り分けること。一般に聖人と使われるような清らかなイメージとは結果的にそうであっても、元々は違う言葉です。聖別ということばも使われます。旧約聖書に出てくることばで考えてみましょう。  イスラエルの救い Continue Reading →

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「幸せと不幸せに生きる幸せ」ルカ11:27-28、ゲスト説教

 私たちが願う幸せとは何でしょうか。ある人にとって、それはたくさんのお金だったり、尊敬される地位だったり、良い関係だったりします。それは確かに幸せを感じさせるものでしょう。しかし、それで満足しきった人はいません。それら地 Continue Reading →

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「再臨を待ち望む」1ペテロ1:13

 短い一節、テーマは「再臨」です。初臨であるクリスマス、復活のイースターは常に祝われていますが、再臨がクローズアップされることは多くありません。  聖書の死生観・終末観は明解です。キリストが再臨してこの世をさばき、この世 Continue Reading →

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「聖霊が導く救い」1ペテロ1:10-12

 たましいの救い、何ものにも代えがたい喜びをいただいている私たち、一方で地上の歩みの中にはどうにも越えがたい壁が立ちふさがります。  預言者たち、彼らも壁がありました。その一人、エゼキエルは捕囚の地で預言した預言者です。 Continue Reading →

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「栄えに満ちた喜び」1ペテロ1:8-12

 喜びの秘訣、それは「信仰の結果である、たましいの救いを得ている」それがペテロの伝えるメッセージです。  私たち人は、ちりで形造られ、神がいのちの息を吹き込まれて生きる者となりました。神がご自身のかたちに人をお造り下さっ Continue Reading →

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「試練は金よりも尊く」1ペテロ1:3-7

 私たちは神の恵みによって選ばれ、天に約束された永遠のいのちの恵みをいただくものとされている。それが生ける望みであることを確認したペテロは、一方でこの世にあっては様々な試練に遭うことを語ります。  初代教会の歩み、使徒の Continue Reading →

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「生ける望み、確実な資産」1ペテロ1:3-5

 「生ける望み」、それは「新しく生まれること」。聖書の中ではペテロもともに聞いたであろうヨハネ3章のニコデモのストーリーを思い出します。イエスがニコデモに告げたのは「肉によって生まれた者は肉、御霊によって生まれた者は霊」 Continue Reading →

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「選ばれた恵み」1ペテロ1:1-2

 山上の説教を順に学び、次にご一緒に学ぶように導かれたのは1ペテロです。イエス様の最も身近で教えを聞き、みわざを見た一人がペテロです。彼が何を示され、それを生きるように導かれたのか。ご一緒に読み進めたいと願うのです。   Continue Reading →

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「いのちの木への道」創世記3章、李宣教師

 この箇所にある「取って食べた」という簡単な行動で人は罪に陥って、死に至る道を歩み始めた。ヘビは人に罪を犯させるため、神様の言葉、権威、力をはじめ、愛、恵み、知恵、きよさなどの性質を疑わせ、人に自分が神様と同等になれると Continue Reading →

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「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに」ピリピ2:1-18

 春を迎え、それぞれ新しい務めをいただいきます。「精一杯がんばります」と私たちは思い新たにスタートしますが、上に立つと、急にえらくなったような振る舞いをしたり、抱え込んで疲れたり、燃え尽きたり。神から離れては、周りとの比 Continue Reading →

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「あなたがたとともにいます」マタイ28:1-20

 カルバリの十字架。受難週を過ごした私たちは、それにふさわしい歩みをしているだろうか。それにふさわしからざることがあるならば、それは愛の不在。それはカルバリの愛から離れているしるしです。さて、復活の記事は福音書によって異 Continue Reading →

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「身代わりの十字架」マタイ27:26-54

 イエス様の十字架への道、そこに関わる人たちを5つに分けて考えてみましょう。  弟子たち。彼らは逮捕の直前まで決して裏切らない。「たとえ死ななければならないとしても」と誓ったにも関わらず、みな逃げ去ります。最後までついて Continue Reading →

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「私の願いではなくあなたのみこころを」マタイ26:36-56

 受難節を迎え、ゲッセマネの祈りからその格闘を心に留めたいと思います。  十字架の苦しみ、その極みは「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」という叫びでしょう。一つであるものが引き裂かれるという痛み。私た Continue Reading →

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「主イエスさまの招き」マタイ9:9-13、ゲスト説教

 取税人マタイにイエス様は「私についてきなさい」と声を掛けました。取税人は不正な取り立てのゆえ、ローマの手下になるゆえ、人々から罪人と見なされていた人。それがイエスの恵みをいただくのです。  ルカの福音書を見るとそこには Continue Reading →

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「イエスの権威」マタイ7:28-29

 山上の説教の最後の2節は付け足しのように見えるところですが、聞いた者がどのように受けとったのか、イエスの教えに対する反応が記録されています。それはまた、あなたはどのように受け取るのかという迫りです。  群衆はイエスの教 Continue Reading →

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「人生の嵐に遭うとき」マタイ7:24-27

 私たちの人生に起こる雨、洪水、風。それは岩の上に建てた家にも、砂の上に建てた家にも同じように起こります。それは信仰を持つ者も、そうでない者も、同じように嵐に遭うのです。3つのエピソードから嵐にどう向き合うのか、考えてみ Continue Reading →

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「砂の上か、岩の上か」マタイ7:24-27

 主イエスはここで家を建てるたとえをしてどんな人生、いのちを生きようとしているのかを問うておられます。私たちは尊いいのちをいただいています。しかし何を建てているのか目標を定めることより、日々のことに追われていることが少な Continue Reading →

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「天国に入る条件」マタイ7:15-23

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「ニセモノにご用心」マタイ7:15-20

 山上の説教、神の国を生きる教えを生きることは狭き門。厳しい要求が求められていることをご一緒に学びました。続いて主が語られたのは、偽預言者に気をつけよ。ニセモノにご用心!ということです。それは主の教えを曲げてしまう異端、 Continue Reading →

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「狭い門から入れ」マタイ7:13-14

 長く学んできた山上の説教、その教えは実質的にこの前の12節で終わり、ここからその教えを生きるための奨め、適用、迫りです。3つのたとえでそれを問いかけます。  もう一度、山上の説教全体を振り返ると、それは神の国を生きる者 Continue Reading →

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「人には、自分がしてもらいたいように」マタイ7:12

 黄金律と呼ばれるこの「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」という主イエスの教えは、聖書以外にも様々な宗教の教えにもあります。相手の立場に立ってものを考えるか否か、小さなことの積み重ねで Continue Reading →

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「王の王、主の主を讃える」黙示録19:1-16

 新しい年を迎えて年間聖句を掲げました。キーワードは賛美。この黙示録では「主の主、王の王」として勝利を讃えます。救いの完成の時です。一方、私たちの今はまだ未完成。その狭間を生きる私たちが主の祈りを鍵に賛美するべきことを覚 Continue Reading →

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「捨てるべきもの、慕い求めるべきもの」1ペテロ2:1-9

 このペテロの手紙、一章の初めを読むと、宛先が書かれています。各地に散った少数派のキリスト者たちが励まし合って信仰生活を送っている。今も昔も、場所が変わっても同じなのです。  「すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな Continue Reading →

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「王の誕生」マタイ2:1-23

 私たちは自分の人生の王様、別の言い方をすれば自由に喜びもって生きたいと願っています。しかし、それが許されない世界が私たちの世界。誰かが自分の人生に君臨して虐げられたり、痛めつけられたり、またその逆であったり。修復しよう Continue Reading →

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「救いは悔い改める者のところへ」イザヤ59:1-20

 暗やみで人は道を失います。目の前を一生懸命に照らしては行くべき道、帰るべき道を探しますが見つかりません。「私たちは光を待ち望んだが、見よ、やみ…」そして、手探りでどうにかしようとうめきます。最も必要なことは、動かぬ確か Continue Reading →

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「求め、捜し、叩け!」マタイ7:7-11

 どうにもならない時、私たちはなりふり構わず求め、捜し、叩きます。このことばは、そのようなときに私たちの願いが叶うとか、あるいは心くじけないことだとか、道が開けていくものだとか、キリスト者でなくても使われることのあること Continue Reading →

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「見分ける力」マタイ7:6

 「○○力」という言葉がよく使われるようになりました。それは生き方を示すことばですが、私たちクリスチャンにとって、それは「見分ける力」です。「聖なるものを犬に…豚に真珠」、そんな生き方になってはいないか、神に喜ばれるみこ Continue Reading →

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「一番大切なこと」ルカ10:25-37

 大人になったら何になる?という質問をすると、子どもは職業を思い浮かべ、夢を話します。でも、もっと大切なことは永遠に関わること、永遠に価値あるものです。この箇所では、それを求めた律法学者が律法には何と書いてあるかと問われ Continue Reading →

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「ちりと梁」マタイ7:1-2

 「さばいてはならない。」その理由は、さばかれないためです。それは、いつも批判ばかりして人のあら探しをするような人は、同じように人からさばかれるという当然のことだけではありません。神のさばきを受けるものであることをわきま Continue Reading →

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「さばく人の心の狭さ」マタイ7:1-2

 主イエスは6章の終わり、この直前で、「神の国とその義を第一に求めなさい」という信仰者の目指すべきことについて明らかにした後、新しい区分を始めます。神を愛することと隣人を愛することは不可分です。その隣人を愛する第一は「さ Continue Reading →

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「神の国とその義」マタイ6:25-34

 二つの問いかけを聞いてきました。あなたの宝は何ですかという問いと、心配ごとに揺さぶられていませんかという問いです。何を第一にするのか、何を支えとするのか。それはすべてを知っておられる神の他ない。「だから」と一連の教えを Continue Reading →

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「神はすべてを知っておられる」マタイ6:25-32

 あなたの宝は何か?という迫りに続いてイエス様は私たちの心配する心についてチャレンジを与えます。心配と訳されることばは、思い煩い、思い悩みとも訳されています。心が定まらずグラグラと揺り動かされていることです。その心配とは Continue Reading →

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「別れの時が来たなら」使徒20:32-38

 老いとは何か?「老いとは神様からいただいたものを一つずつお返しして、天に帰る備えをすること。」ある姉妹の定義です。一方で若い日には覆い隠していたことも、その力がなくなって露わにされるようなことは少なくありません。不平不 Continue Reading →

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「あなたの宝はどこですか」マタイ6:19-24

 私たちは阪神淡路大震災、東日本大震災、二つの大きな大震災を経験しました。かたちあるものは必ず失うときがあり、本当に必要なものはわずかであることを見聞きしてきたはずですが、私たちは地上の宝に目を奪われ、心を奪われる愚かな Continue Reading →

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「あなたのいのち誰のため?」マタイ6:13

 主の祈りの最後、私たちが誰のため、何のために生きているのかを問いかけられる祈りのことばです。この部分、注には最古の写本には欠けているとあります。聖書が書かれた時代、他にも類似の書物がいくつも書かれました。聖書とされるに Continue Reading →

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「聖さを求める」マタイ6:13

 「私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。」この祈りは私たちが誘惑から守られ、引きずり下ろす闇の力に打ち勝つことができるようにという祈りの向きとともに、もう一つの向き、聖さを求めることを祈る祈りでもあります。 Continue Reading →

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「誘惑の手は巧妙に」マタイ6:13

 主の祈りはルカの福音書にもありますが、その教えられた時の背景が違います。イエスが祈っておられたのを見て、弟子が祈りを教えてくださいと願うのです。人は一度では覚えられないし、大切なことは繰り返すものです。おそらくイエスは Continue Reading →

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「神のみこころ、神の思い」マタイ6:9-10

 祈り、それは「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です」(1ヨハネ5:14)とのみことばのように、私たちが神のみこころに沿った者に造り変えら Continue Reading →

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「赦され赦す、愛され愛す」マタイ6:12

 負い目、それはやがて神の御前に清算しなければならない罪であることを学びました。その赦しの土台はどこにあるのか。返しきれない負い目を赦されたゆえに赦しを祈る。2つのことを覚えたいのです。  赦しの土台、それは贖いです。贖 Continue Reading →

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「罪の赦し」マタイ6:12

 私たちの世界は決して難しいことばを必要とはしていません。「ありがとう、ごめんなさい、赦します」という3つがあれば、たいていの問題は解決します。しかし、私たちの心は「あたりまえ、そっちが悪い、顔も見たくない」と真逆のこと Continue Reading →

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「日ごとの糧を与えたまえ」マタイ6:11

 主の祈りの初めの3つの祈り、それは神中心の生き方を求め願う祈りでした。後半は私たちの必要を祈る祈りです。日ごとの糧、それは明日のための糧、必要な糧、日用の糧とも訳されます。それは、この語が聖書の中でここしか使われておら Continue Reading →

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「御国の戦い」マタイ6:9-10

 御国が来ますように。終末の完成を待ち望む私たちですが、地上ではそのための戦いがあります。イエスが来られたとき、悪霊からの解放がありました。御国のしるしです。一方、戦いは、悪魔、サタンとの戦いです。世には人を惑わす霊媒、 Continue Reading →

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「御国の拡大」マタイ6:9-10

 御国が来ますように。その祈りは、主イエスのご支配の拡がりを願う祈りであり、宣教の前進のための祈りです。イエス様は神の国とはからし種のようなものであり、またパン種のようなものだと教えられました。ほんのわずかなものが大きく Continue Reading →

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「御国が来ますように」マタイ6:9-10

 「御国」と訳されていることばの原意は「あなたの王国」、英語ではKingdomと訳されます。国は国でも、王政、立憲君主制、合衆国などいろいろありますが、王国とは王が支配する国のことです。旧約聖書の最初の王から考えてみたい Continue Reading →

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「輝かしい日が来る」使徒2:1-24 李宣教師

 ユダヤ人の七週の祭りの日に、聖霊が臨まれ、満たされた。風のような響きと炎のような分かれた舌のしるしで現れて120人の弟子たちは他国の言葉を話しだした。この出来事は、全世界にも、キリストの教会にも、そして人間の一人ひとり Continue Reading →

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「何のためのいのちなのか」マタイ6:9

 主の祈りは続いて「御名があがめられますように」と私たちが第一に願うべきことを教えます。御名とは何を意味するでしょう。名は体を表すと言われるように、関係を表し、あるいは内実を表します。  アブラハムに現れた主は「エルシャ Continue Reading →

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「誰に向かって祈るのか」マタイ6:9

 マックス・ルケードの「大切なきみ」という本があります。互いを評価し合うことに疲れた木彫りの小人が自分を造った彫刻家のもとで、造り主は大切に思っていることを教えるストーリーです。私たちのいのちも神に造られたいのちです。造 Continue Reading →

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「断食とお化粧」マタイ6:16-18

 私たちには断食の習慣はありませんが、聖書の中にはしばしば断食が祈りと組になって出てきます。「ネット断食効果あり」との新聞記事がありました。断食はいわばリセットです。大事なこととそうでないことの区別がわからなくなる。その Continue Reading →

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「祈りの心はどこに向くのか」マタイ6:5-8

 善行、祈り、断食という3つの「霊的生活」、本来それは私たちが心から神に向かうべきこと。しかし、その心の向かう先がおかしくなることがあるのです。  ユダヤ人は朝、昼、夕という祈りの習慣を持っていました。その時間になると「 Continue Reading →

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「人前なのか、神の前なのか」マタイ6:1-4

 山上の説教は6章に入ると、新しい区分が始まります。教えられているのは、施し、祈り、断食といういわゆる霊的生活、そして、お金、財産、時間という世の生活です。毎日の生活に密着してどのように生きるのかを問うのです。  ここで Continue Reading →

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「天の父が完全なように」マタイ5:43-48

 「完全なんてムリ、ムリ。だって、人間だもん。所詮、しょうがない。」私たちはそう思います。完全を求められても、私たちは言い訳をします。罪の思いは「思い通り」。そのため「いそぎ、いばり、いじけ」ます。イエス様の誕生のとき、 Continue Reading →

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「私たちの希望、復活!」ルカ24:13-53

 私たち人間はいくつもの困難を乗り越える様々な知恵を持っています。しかしながら、どんなことをしても乗り越えることができない壁、死だけは取り返すことができません。そして、その先がわからない不安から、生まれ変わりや霊の存在を Continue Reading →

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「イエスの裁判」ルカ22:66-23:25(李宣教師)

 イエスは十字架に架けられる前、ユダヤ議会、ピラト、ヘロデ王、群衆によって、四回の裁判を受けた。この四回の裁判でイエス様の身分の4つの側面を明らかにされた。  ユダヤ人指導者は議会で、「イエスがキリストかどうか」という争 Continue Reading →

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「敵を愛せ」マタイ5:43-45

 この5章の最後の教えは隣人との関係について教えるものです。「右の頬を打つような者には…」、それは徹底した赦しを、「下着を取ろうとする者には…」、それは求められた以上に与える愛を教えます。さらにこの箇所で問われることは自 Continue Reading →

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「欠けているからこそ」出エジプト記4:10-17、近藤宣教師

 エジプトの地で増えたイスラエル人は過酷な労働を課され、その民の叫びを聞いた主は、モーセを使って民を乳と蜜の流れる地に連れ出そうとします。でもイスラエルの民やパロのもとに行くように言われたモーセは、「私はことばの人ではあ Continue Reading →

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「愛はいつもそれ以上」マタイ5:38-42

 右の頬だけではなく左の頬もと徹底して赦すことを教えられた私たち。それは内なる獣に従うことではなく、御霊の導くイエスの足跡に従う歩みへの招きですが、さらに一歩進んだ教えを学びましょう。  「下着を取ろうとする者に上着も与 Continue Reading →

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「目には目、歯には歯でいいのか」マタイ5:38-39

 「目には目、歯には歯」、それは報復、復讐のことばとして知られています。聖書の中では、アブシャロムのストーリーがまさにそれです。腹違いの兄アムノンに妹タマルを犯された彼は復讐の機会を窺い、アムノンを殺します。父ダビデは愛 Continue Reading →

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「誠実に生きる」マタイ5:33-37

 私たちの日常生活に誓いは決して珍しいことではありません。別の言葉に置き換えて契約ならば、その責任について問われます。あるいは恩と情ならば、それが裏切られれば裏切り者になり、情けのかけらもないのかと憤慨したりします。古今 Continue Reading →

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「結婚のきよさを保て」マタイ5:31-32

 生きている限り男であり、あるいは女。それが私たち人間。そしてその結びつきである結婚は世代によって考え方が大きく違うでしょう。また、民族や国によっても違うでしょう。しかし共通する問題はそこに混乱があることです。神を知らな Continue Reading →

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「試みに勝つために」マタイ4:1-11・李宣教師

 イエスの受洗で「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と天から伝えられて、イエスの神の子の立場と救い主としての使命が確認された。それを知っていた悪魔は3、6節の「あなたは神の子ですから」という意味合いを持つ「あ Continue Reading →

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「捨てるべきもの」マタイ5:27-30

 姦淫ということば、日常で耳にすることはありません。淫行、セクハラ、ストーカー、それは毎日どこかで耳にします。汚いものにでも触れたような嫌悪感を覚えることもありましょう。従軍慰安婦、それはまた国の責任はどうかと問いかける Continue Reading →

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「仲直りすれば」マタイ5:21-26

 「殺してはならない」、その神の戒めは行いだけではなく、心の中の思いをも問うものでした。人の目には見えなくても、神は裁かれる。一方で十字架の血潮で赦しをいただいている者ならば、目に見える隣人との間に平和をつくること。それ Continue Reading →

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「殺すな」マタイ5:21-22

 「『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。」律法学者やパリサイ人、彼らはこの教えを表向きの型、あるいは行いの問題だけとして教えていました。人々もまたそ Continue Reading →

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「祈りに生きる」エペソ6:10-20

 新しい年を迎えました。思い新しくしても毎年同じところを回っているようにも思える私たちの歩み。しかし、それは天の都を目指すバニヤンの天路歴程のよう。螺旋階段のように回っているだけはなく、天に向かって前進しているのです。 Continue Reading →

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「一年の感謝をともに」ローマ16:1-16

 この一年、「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝」、このみことばを掲げてきました。喜びとはギリシャ語のカイロー、挨拶、Greetingとも訳される言葉でした。心から喜んで、どんな人にもどんなときにも挨拶を交 Continue Reading →

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「神の思いはキリストを通して」イザヤ53:10-12

 クリスマスということば、それはキリスト=救い主、とミサ=礼拝が合わさってできたことばです。救い主を礼拝する。その救いとは何を指すのでしょう。  ここに罪、罪過、咎ということばが出てきます。このイザヤ書の1章を開くと、「 Continue Reading →

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「自分を捨てる愛」イザヤ53:7-9

 「きよしこの夜」の歌の歌詞はどこかクリスマスの出来事の意味がぼやけた感がぬぐえません。実はオリジナルには、6番まで歌詞があります。それは罪からの救い主キリストがこの夜、人となって私たちのところに来られたというメッセージ Continue Reading →

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「身代わりの傷」イザヤ53:4-6

 人生、山あり谷あり。しかしながら、一番の問題はどこへ向かっているのか、人生の目的・目標です。  イザヤ書のこの箇所、「私たちは羊のようにさまよい」と言います。羊は群れでなければ生きていけない動物です。その羊がさまようと Continue Reading →

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「逃げても逃げてもついてくる」第1列王記19章1〜18節

<昭和町キリスト教会 福田和広師>  エリヤは神様から使命を頂いてアハブ王と対決しました。エリヤは勝利し、イスラエルの民は主こそ神であると応答しました。ところがそのことがアハブ王の妻イゼベルに知れたとき、イゼベルはエリヤ Continue Reading →

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「喜びの祝宴への招待」マタイ22:1-14

<インマヌエル仙台教会 細田恒太郎師> 1、このたとえ話の主要なメッセージ  このたとえ話の結論は前の21:43にあります。「あなた方」とはユダヤ人のこと、そして「神の国の実を結ぶ国民」とは外国人のこと。つまり神の国は、 Continue Reading →

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「義に餓え渇くなら」

 多くの人は夢が叶うことを「幸せ」と表現します。しかしながら、私たち人間の夢ははかなく、叶ったと思った先から崩れていくような脆く、はかないものであることが少なくありません。ここで語られる「幸い」とは自分で獲得するものでは Continue Reading →

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「柔和な者になるには」マタイ5:3-5

 心の貧しい者、悲しむ者、それは自分の内側に目を向けるものでしたが、柔和な者、それは他者との関係に関心が移ります。その対極にあるのは、力ずくの世界です。カインがアベルを殺したとき、「罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕 Continue Reading →

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「心底悲しんでいますか」マタイ5:1-4

 あなたにとってこれまで最も悲しかった出来事はどんなことでしょうか。  戦争の悲しみとは、単に命が失われたということだけではありません。その傷は多くの人に癒えることのない大きな悲しみをもたらしました。BC級戦犯。良心の咎 Continue Reading →

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「天国に入るには」マタイ5:1-4

 山上の説教、開口一番イエスは心の貧しい人は幸いです」言われます。世の教えは強い心、豊かな心、くじけない心。世の常識とは正反対の教えは何を意味するのでしょう。。  ルカの10章にはマルタとマリヤの姉妹の話が出てきます。マ Continue Reading →

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「三つの招き」ヨハネ21:15-25

<李載華宣教師>  ペテロはイエス様が十字架に掛かられる前に、自分がイエスの弟子だということを3回否定しました。復活のイエス様に再び会った時、ペテロはどんな心境だったでしょう。また、イエス様に3回「あなたは私を愛しますか Continue Reading →

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「新しい天、新しい地」黙示録21:1-5,22:1-5

 世の終わりの裁きの後、神は新しい天・新しい地を備えておられます。今、私たちに知らされているのは、1コリント13章にあるように、「鏡にぼんやり映るもの」です。その栄光は今の私たちには語られてもすべてを理解することなどでき Continue Reading →

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「世の終わりのとき」黙示録20:1-15

 私たちの世界には、どうしてこんなことが起こるんだろうか、どうしてこんなことが許されるのだろうか、善を行い、誠実に生きようとする者が苦しまなければならないのか。不公平ではないか。天災ならば受け入れざるを得ないにしても、人 Continue Reading →

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「再び会う約束のとき」1テサロニケ4:13-18

 人一人が亡くなるということ、それは私たちにとって大きなことです。宗教はそれぞれ様々な死生観を持っています。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は一神教で神の裁き。仏教とヒンドゥー教は輪廻転生。道教と神道は汎神論で生死にはっ Continue Reading →

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「恵みの下に入れられた」ローマ6:1-14

 「愛の不在」、それは私たちの関わるすべての問題の根です。高慢、利己心、臆病、それらを見て、人を責めても解決しません。むしろ受け入れること、愛の人に造り変えられることこそが大切ではないでしょうか。イースターの朝、もう一度 Continue Reading →

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「ゲッセマネの祈り」マタイ26:36-46

 受難週、その出来事を思い返してみましょう。ユダの裏切りからゲッセマネの祈り、逮捕やいなや弟子たちは散り散りになります。大祭司カヤパの元で深夜の裁判。夜が明けると総督ピラトにもとに引き出され、罪を認めないと判決をくだされ Continue Reading →

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「時が良くても悪くても」2テモテ4:1-8

 CIMの始まりはハドソン・テーラー。中国奥地伝道のパイオニアとして用いられた彼から始まるスピリットは、人知に頼らずして主に頼り、主が一切の必要を備えてご自身の働きを導いてくださることを信じるフェイス・ミッションです。そ Continue Reading →

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「愛すること、仕えること」ヨハネ13:1-15, 34-35

 最後の晩餐の席でイエスは弟子たちの足を洗います。足を洗うのはしもべの仕事。しかも夕食の間、わざわざ、イエス様はすでに洗った足を洗うのです。それはイエスが教えたへりくだって仕える模範、いやそれ以上の意味をもつ出来事でした Continue Reading →

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「ともにパンを分け合おう」マタイ26:17-29

 人にとって食べることと記憶、心に刻むことは不可分です。日本人も年中行事とともに食べることで季節や意味を覚えてきました。また、人が集まるところに食あり。交わりを表すものでもあります。一方で食べた食べない、美味しいまずい、 Continue Reading →

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「バプテスマの恵み」コロサイ2:6-15

 CIMの創設者、ハドソン・テーラーは中国の奥地への困難なパイオニア・ミッションに大きな苦労を強いられました。内線激しい中国で目の前に倒れて死んでいる人がいる。我が子も妻も病に倒れ、自身も病に伏し、肉体的にも精神的にも追 Continue Reading →

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「聖書の教える結婚」創世記1:26,27,2:18-25

 オスとメスではなく、男と女。人は結婚を制度だと考え、そのあり方は時代とともに変わってきました。ごく最近まで女性の立場は低く、同等とは考えられていませんでした。改めて聖書が教える性と結婚についてみことばに聞きましょう。 Continue Reading →

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「霊と真をもって礼拝する」ローマ12:1-2、ヨハネ4:19-24

 礼拝についてのみことばの中で、最も大切なのはこの箇所とマタイ28章の復活のイエスに出会った弟子たちの礼拝でしょう。そこでの礼拝はただ「ひれ伏す」ことでした。  「神のあわれみのゆえに」とは、「私たちの主キリスト・イエス Continue Reading →

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「キリストのからだは一つ」エペソ4:1-6

 教会とは何か?ひと言で言い表すなら、それはキリストのからだです。また神の家族です。しかもその家族は血縁・地縁によるのではなく、そこに加えられたのは恵みによることです。このことを理解するならば、私たちの問題のほとんどは解 Continue Reading →

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「休ませて下さる方」マタイ11:28-30

國分広士師 録音データを聞く

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「永遠のいのちは神とともに」ヨハネ14:1-14

 人が死を迎えるとき、根本的な二つのことを問いかけられます。死は終わりなのか、もう一つは、自分のいのちの意味は何だったのかという問いです。  この箇所は最後の晩餐の席、「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができ Continue Reading →

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「あなたは高価で尊い」第一テモテ2:4-6

 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」のみことばはよく知られています。ところが、私たちは自分のことに置き換えてみないと、その愛の大きさがわからないものです。  ホセア書は自分の結婚を通して Continue Reading →

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「私たちは変えられる」第二コリント3:6-18

 喜びとはギリシャ語のカイロー、挨拶です。新約書簡それぞれの最後では、聖なる口づけをもって挨拶しなさいと勧められています。ところが、私たちの心には挨拶できない心、赦せぬ心や猜疑心、避ける思いなどが起こるものです。そのとき Continue Reading →

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「誤りを認める勇気はどこから」ヨハネ16:7-15

 アンデルセンの童話「裸の王様」は誰でも知っているでしょう。自分の姿がわからない人の愚かさを語った話です。人は聖霊が導くことなくして自分の罪の姿がわかりません。  聖霊は三位一体の一人格です。創造のみわざも救いのみわざも Continue Reading →

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「喜び、祈り、感謝」第一テサロニケ5:16-18

 新しい年、このみことばを掲げて歩みを始めます。喜びということばはギリシャ語ではカイロ―、挨拶、Greetingとも訳されます。私たちの心は挨拶に表れます。ですから処世術として人間関係は挨拶から始まるなどと言われるのです Continue Reading →

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「三位一体の生ける神」マルコ14:32-42

 三位一体の教理。それを告白することは、私たちの日々の信仰生活と結びついていなければ意味がありません。先に創世記1章の人の創造の箇所を読んでいただきましょう。ここには人が神のかたちに造られたと記されています。それを理解す Continue Reading →

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「私だけが唯一の神」出エジプト20:2-6

 八百万の神々の国日本に生きる私たち、日本の神は氏神、先祖の霊を祀ることがその始まりです。そして天照大神から始まる万世一系の皇族とその臣民は一つであるという教えです。それは仏教伝来とともに神仏習合しましたが、明治期、近代 Continue Reading →

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「あなたの罪は赦された」マタイ9:1-8(久島神学生)

 「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」友人の協力によって屋根の上からイエスさまの前につり降ろされた中風の人がいました。イエスさまは、その非常識と思われる行為の中に彼らの「信仰」を見られました。何より、言葉に Continue Reading →

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「聖書は私たちの道標」第二テモテ3:14-17

 神の霊感とは、「神の息が吹き込まれた」ことを意味します。それは「人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語った」(2ペテロ1:21)のです。  機会霊感説、自動筆記と呼ばれる Continue Reading →

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「神のことばである聖書」ネヘミヤ8:1-12

 「父から子どもたちへの29の手紙」という本があります。子どもの質問に答えるかたちで父の伝えたいことが書かれています。「このところ、やればやるほどうまくいかないんだけど、それはどうして?」あなただったらどのように答えるで Continue Reading →

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「積極的な人生」ヨシュア14:6-15(峡南キリスト教会、横森剛牧師)

 約束の地カナンに入ったイスラエルは領地分割を始めました。分割に先立って、ヨシュアと共に45年間イスラエル民族を率いてきたカレブは「どうか今、主があの日、約束されたこの山地を私にください」とヘブロンの地を要求しました。 Continue Reading →

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「あなたのからだは聖霊の宮」第一コリント5:1-13, 6:12-20

 「キリスト者の完全」という名著があります。英国リバイバルに用いられたウエスレーの説教集です。彼はその中で「キリスト者の完全とは、悪しき気質や愛に反するいかなるものも魂の内に残存していないこと。そしてすべての思いと言葉と Continue Reading →

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「誤解と迫害と悩みと」使徒21:27-40

 パウロは迫害を受けること、死の覚悟までしてエルサレムに来ました。そこでアジアからのユダヤ人はパウロが異邦人を宮に連れ込んだと思い込んで手をかけるのです。残念ながら真実は時間をかけて説明しても理解されるわけではありません Continue Reading →

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「しなければならないこと、どうでもいいこと」使徒21:1-26

 パウロは第三次伝道旅行の最後にエルサレムへ向かいます。ツロでは兄弟たちが、カイザリヤでは預言者アガボが捕らえられる預言をしてエルサレム行きをやめるようにと忠告をしますが、パウロは死をも覚悟の上どうしても行かなければなら Continue Reading →

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「御霊に導かれて進もう」ガラテヤ5:13-26

 私たちが救いをいただいたのは、「自由を与えられるため」です。最初の人アダムとエバは本当に自由でした。園の木の実を「思いのまま」食べ、互いの間は何一つ隠すこともなく、裸であっても恥ずかしくない「自由」がありました。それが Continue Reading →

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「福音の望みをかみしめて」コロサイ1:9-23

 一年の終わりに振り返ってみると、その時々で通り過ぎていった出来事も積み重なって神の恵みを覚えます。パウロがコロサイの教会に書き送った手紙を通して私たちに与えられている恵みに心を向けてみましょう。  パウロはエペソに滞在 Continue Reading →

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「赦しは世界を変える」マタイ18:21-35

 私たちのこの世界は「ありがとう、ごめんなさい、赦します」という三つのことばがあれば幸せに暮らせるはずです。しかし、私たち反対に「あたりまえ、そっちが悪い、顔も見たくない」などと平気で思い、あるいは言葉に態度に出してしま Continue Reading →

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「やり直せないことなどありゃしない」ヨハネ11:1-44

 ラザロが病気になり、使いが来ますが、イエスはなおそこに二日とどまります。そして「この病は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためだ」と言われます。イエスはユダヤで石打ちにあって殺されかけました。だからそこを避けてこ Continue Reading →

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「こんなはずじゃなかったと思ったときに」マタイ7:13-29

 私たちの身の周りには「こんなはずじゃなかった」と思うことが起こります。問われるのは、「あなたの立っているところがどこなのか」です。震災の時、隠れていたものが表にでました。見てくればかりのものは化けの皮が剥がれ落ちました Continue Reading →

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「ルーツに帰れ。いのちの喜びはここから」ルカ15:1-24

 男には5つの問題があるとは、私の恩師のことばです。お金のこと、それはどのように家族を養い生活するかという責任です。異性のこと、それは愛と絆を求める心です。プライドのこと、どこまでも男の価値観は「かっこいい」で、自らの存 Continue Reading →

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「礼拝をささげる生活」ネヘミヤ10:32-39

 ネヘミヤ記は捕囚から帰還した民がエルサレムの城壁を再建するストーリーです。ダビデの時代、国は祝福され、北はユーフラテス、南はエジプトの境までを従えました。しかしその繁栄もわずかな間で、国は傾き滅ぼされ、捕囚の憂き目に遭 Continue Reading →

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「困難を分け合う」ピリピ4:8-23

 ピリピの教会はマケドニヤ人の叫びを幻に聞いたパウロがマケドニヤで最初に伝道した結実として生まれた教会です。伝道の最初期からパウロが捕らえられ、町を去らなければならないところ、指導者を失い困難なスタートをした教会でした。 Continue Reading →

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「神とともに生きる幸せ」ルカ9:10-25

 この給食の奇跡はよく知られた出来事です。日暮れに大群衆。イエスは「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい」と言われます。どだい無理な話です。何を求めておられるのでしょうか。  イエスは主の祈りを教えられたとき、日ごとの Continue Reading →

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「それぞれの力に応じて」マタイ25:14-30

 佐藤守著「うんこのできるまで」という子どもの絵本は、からだの仕組みを大変わかりやすく書いてある好著です。食べて出す。きわめて単純なからだの営みがきちんと営まれることは健康の秘訣です。同じようにキリストのからだである教会 Continue Reading →

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「うわべでなく、心の中こそ」マルコ12:28-44

 「マクドナルド化」と呼ばれる現象があります。徹底してマニュアル化した中を生きることを言います。そうすると、考える必要がなくなり、言われたままをすればいいのである意味楽です。またそれさえしていれば、自分の責任を果たしたつ Continue Reading →

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「宝物は何ですか?」ルカ12:13-34

「本質における一致、行動における自由、あらゆることにおける信頼。」それは私たち人の交わりにおいて求められる真実です。その一致とは別のことばで言えば、あなたがたの交わりのおいて、宝だと考えるものは同じですかという問いです。 Continue Reading →

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「受けるよりも与えるが幸い」使徒20:33-38

 大切なことはいつもシンプルです。「受けるよりも与えるほうが幸い」という教えも実にシンプルです。ところが、私たちがそれを複雑にしてしまうのです。この主イエスのことばは福音書に直接書かれていませんが、主イエスがどのようにそ Continue Reading →

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「閉会礼拝」コロサイ3:1-17  2012修養会4 松村 識師

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「賜物によって生かされる」2012修養会3 藤本満師

賜物によって生かされる 録音データを聞く 1 ) 賜物は神の信頼 タラントのたとえマタイ2 5 : 1 4 – 3 1 2 ) 賜物を用いてくださるのは、イエスさま

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「賜物は価値なき者に与えられる賜物」2サムエル9:1-13 2012修養会2 藤本満師

賜物は価値なき者に与えられる賜物( n o t e ) 一一死んだ犬も同然の私が、王の食卓に招かれる Ⅱ サムエル9 : 1 – 1 3 録音データを聞く 登場人物は、主に二人  ・自分のことを、8 節「死ん Continue Reading →

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「賜物を喜べないサウル」1サムエル15:10-31 2012修養会1 藤本満師

賜物を喜べないサウル( n o t e ) 1サムエル15:10-31 録音データを聞く 序) 虎にしてネズミの心 1 7 節「あなたは、自分自身の目には取るに足らぬ者と映っているかもしれない。しかしあなたはイスラエルの Continue Reading →

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『救い』へのそなえ マタイ19:16-22 福田和広師

●金持ちの青年(1)真剣だった。パリサイ人の目が光る中、自分を晒すことをも恐れずに永遠のいのちを求めてイエス様のところにやってきた。(2)正しく求めた。青年は「永遠のいのち」を求めた。パリサイ人たちのように表面的な正しさ Continue Reading →

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「くしき恵みー信仰の土台」ルカ15:11-29、尾崎一夫師

 恵みというのは聖書の中心、信仰の土台です。きれいなことばですが、私たちの人生を左右する、非常のパワフルな言葉で、聖書には繰り返して使われています。恵みと言えばアメージング・グレース。作者のジョン・ニュートンは神の恵みに Continue Reading →

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「無からの有」創世記1:3-5, ヘブル11:1-3、溝口捷支師

 神は何も存在しない無から創造なさるお方です。人は材料があって何かを作り出す英語で言えばMakeはできても、何もないところから創造Createすることはできないのです。  ヘブル1:1には「神はいろいろな方法で語られた」 Continue Reading →

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「目をさまして歩む」使徒20:27-32

 信仰の道を全うすることは、決して容易なことではありません。パウロはエペソの教会にこれから起こる様々な困難について二つの大きな警告を与えます。私たちの歩みには戦いがあるのです。  第一は「凶暴な狼」が群れを荒らし回ること Continue Reading →

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「惜しみなく、走り尽くせ」使徒20:13-27

 私たちには必ず「現役引退」というときがやってきます。仕事であれ家庭であれ、一生懸命に走っているときには考える暇もなく、いわば強いられた世界を走ります。そこから自由な時間を手に入れたとき、いのちの意味、存在の意味、英語で Continue Reading →

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「交わりの喜び」使徒20:1-12

 私たちは様々な人間関係の中に生きていますが、それは大きく3つあります。一つは血縁。それは選ぶことのできない関係です。二つ目に経済・労働共同体である職場。目的主導の関係です。三つ目は地域。それは都市を中心に崩壊しつつあり Continue Reading →

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「偽りに踊らされ続けていいのですか?」使徒19:21-41

 原子力はギリシャ神話から未来の火として「プロメテウスの火」と呼ばれてきました。それを事故の後、朝日新聞は「罠」と名付けて記事を連載しました。私たちの多くは、原発の危険性を聞きはしてきたものの、このような重大事故が起こる Continue Reading →

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「自分をさらけ出すなら」使徒19:8-20

 私たちは無意識のうちに、ありのままの自分の姿を見ず、避ける傾向にあります。イエス様が「兄弟の目の中にちりを見つけながら自分の目の中の梁に気付かない」と例えたように、人のことはあれこれとよく見えて批判しながら、自分のこと Continue Reading →

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「人のつながりと拡がり」使徒18:22-19:7

 使徒の働きの中では、「人」が活躍します。それを今日は見てみましょう。  この箇所の夫妻、プリスキラはローマ人でしたが、ユダヤ人であるアクラと結婚しました。元の名はプリスカ。貴族出身者であったようです。アクラがユダヤ人だ Continue Reading →

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「宣教の主のみこころによって」使徒18:12-21

 コリントの町でパウロはユダヤ人に迫害され、地方総督ガリオの前に訴えられます。彼らが委ねられていたのは礼拝の民として生きることで、その中心は「献げること」です。いけにえを通して献げることに招かれていましたが、彼らは次第に Continue Reading →

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「腰を据えて」使徒18:1-11

 コリントの町はアカヤ州第一の経済・政治の中心として栄えた人口約60万人という大都市でした。一方、その豊かな富は乱れを生みました。新宿歌舞伎町、札幌すすきのと同じような歓楽に乱れた町の代名詞でした。そして、それは教会・信 Continue Reading →

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「すべての基である造り主なる神」使徒17:16-34

 マケドニヤからアカヤのアテネに来たパウロは町が偶像でいっぱいなのを見て心に憤りを感じます。アテネは豊かなローマ社会がもたらした学問の町です。日柄、目新しいことを聞いたり話したりすることだけで過ごしている人がいました。紀 Continue Reading →

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「みことばか感情か」使徒17:1-15

 パウロたちは、ピリピからテサロニケへ場所を移して伝道を続けます。そこではユダヤ人の会堂で聖書に基づいて語ります。安息日の礼拝に続いて彼は人々と論じるのです。彼らのうちの幾人かは「よくわかった」とあります。このことばは「 Continue Reading →

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「筋を通す生き方」使徒16:35-40

 この箇所は聖書の中でも異色に感じられる出来事です。不当な扱いを受けたパウロが不服を申し立てます。ここに聖書は何を語ろうとしているのでしょうか。  ローマ帝国は法治国家でした。多民族、多宗教、多文化の国を一つにするのは容 Continue Reading →

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「神の霊が臨んで」Ⅰサムエル19:18~24 佐々木弘幸師

 ダビデは王として油注がれながらも、サウルに追われ、命の危機さえ何度も経験しました。その度に不思議な助けの道が与えられました。身の置き所のない逃亡生活を強いられたダビデは忍従の時期を耐え忍び、サウルへの復讐心からも聖めら Continue Reading →

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「父の心を子に向けさせる日」マラキ4:1-6

 イクメンということばが、よく使われるようになり、父親の育児参加が当たり前の世相です。わずかな世代間で父親の存在や役割についての考え方は大きく変わってきました。しかしながら、それでも深いところで父親の心のありようというも Continue Reading →

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「家族そろって喜ぶ!」使徒16:25-34

 マケドニヤ人の叫びを幻に見たパウロは神が導いていると確信して第一の町であるピリピに渡ります。占いの霊につかれた女奴隷から霊を追い出し、儲けを得ていた主人たちに迫害されてむち打たれ、牢につながれます。  牢の中でパウロと Continue Reading →

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「新しい生き方がもたらす波紋」使徒16:11-24

 マケドニヤ人の叫びは神の導きだと確信したパウロは、すぐさまマケドニヤに渡り、ピリピで伝道を始めます。今まではユダヤ人の会堂が拠点となりましたが、異邦人中心のこの町では祈り場がある川岸から始め、ルデヤとその家族が救われま Continue Reading →

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「神のみが建て直すお方」エレミヤ33:1-16

 エレミヤが監視の庭に閉じ込められていたとき、それはユダが滅ぼされる直前のことです。カルデヤ人が都エルサレムを包囲し、どうにもならない状況にあるときのことです。こんな時こそ、一致団結して敵と戦わなければならないと体制は動 Continue Reading →

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「マケドニヤの叫び」使徒16:6-10

 パウロの第二次伝道旅行、それは先の伝道旅行で生まれた教会を問安し、力づけることから始まりました。当時の東地中海世界ではアンテオケ、エジプトのアレキサンドリヤ、アジアのエペソが三大都市と呼ばれ、パウロは続いてアジアに福音 Continue Reading →

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「働きをゆだねる」使徒13:1-3

 使徒の働きはこの13章から積極的宣教へシフトし、「地の果てにまで私の証人となる」聖霊の御力の現れについて記しています。初代教会がみことばと交わり、パン裂きと祈りを使命として始まってからすでに15年ほど。異邦人が救われ、 Continue Reading →

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「二つの死、二つのいのち」使徒12:1-25

 私たち人間には必ず死が訪れ、またそれがいつであるのか誰にもわかりません。この章には2つの死がでてきます。それはいのちの生き方について私たちに問いかけているのではないでしょうか。  ヘロデ家には何代かの王がいます。最も成 Continue Reading →

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「幼子のために祈れ」哀歌2:19(矢吹博師)

 私たちの国は今、猛烈なスピードで高齢化が進んでいます。約1億2千万人の人口が50年後には8600万人、戦後の人口と同じ。しかも人口構成は逆ピラミッドです。教会の20年後、50年後にはどうなっているでしょうか。子どもたち Continue Reading →

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「キリストのからだの器官として」Ⅰコリント12:18-27(伊東神学生)

 パウロは、教会を「キリストのからだ」(27節)、キリストにつながる私たちをその器官と表現しています。一人ひとりは、一つのキリストのからだの各器官なのだとパウロは強調しているのです。そして、教会とは、みなの益のために(7 Continue Reading →

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「力に応じて助け合う」使徒11:27-30

 世界中に大ききんが起こり、困窮しているユダヤの兄弟たちに救援の物を送ったのがここにある出来事です。私たちにとっては震災がまさにそういう時でした。誰しもが助けになりたい、役に立ちたい、そう思い、大勢のボランティアが被災地 Continue Reading →

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「私たちの宣教と主の御手」使徒11:19-26

 迫害によって散らされた人たち・・・わかりやすいことばで言うと迫害難民です。彼らにとって衣食住、それは大変なことであったと思います。私たち人間はそのために争ったり、人を殺したりまでするのです。そのような危機を通るとき、本 Continue Reading →

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「赦しが世界を変える」ヨハネ8:1-12

 この箇所は元々ヨハネの福音書にはなく、挿入された可能性が大きいです。なぜでしょう。「赦し」というメッセージは私たちにとって極めて難しいものです。イエス様は7を70倍するまでと言いましたが、私たちは「でも、だって」と思い Continue Reading →

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「救いは神から」イザヤ11章

 新しい年が始まり、日々まっさらに新しく始めたい、そう願うところです。昨年、私たちは大震災を経験し、本当に大切なものは何か、ゆとりのあるときには覆い隠されているものが露わにされる経験をしました。この年の始めに心に留めたい Continue Reading →

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「最もすぐれたもの、愛」1コリント13:1-13

 「愛は近きより」。カトリックのシスター渡辺和子さんのことばですが、とても大切なことを言い当てています。最も身近な人を愛することができずに愛を語ることはできません。1コリント13章は愛の章としてよく知られた箇所です。そう Continue Reading →

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「神は愛です」1ヨハネ4:7-21

 愛ということばほど多く使われることばはないでしょう。しかし、愛は愛でも様々な意味に使われます。わかりやすく4つに分けてみましょう。  第一は「情」がつく愛です。同情、情愛。それらは心が自然と動かされて行動する愛です。一 Continue Reading →

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「希望は愛によってのみ」ローマ5:1-11

 私たち人間は希望がなければ生きていけません。もうだめだと思った瞬間、前へは進めなくなります。今年、私たちは多くを失いました。再建・復興にどのように希望を持てるでしょうか。「ふんばろう!ガンバロウ!」というかけ声だけでは Continue Reading →

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「あなたは誰を信じますか」ルカ7:1-10

 私たちは心のどこかで誰かが守ってくれる、どうにかしてくれるという漠然とした思いを持っています。しかし、それは本当に信じるに値するものでしょうか。沖縄のひめゆり学徒隊は有名な話しです。軍部が南部撤退を決め、軍民別なく避難 Continue Reading →

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「鏡に映るもの」1列王記20:1-43

 鏡が映し出すもの。それは自分の姿です。一方で心の中や思いをありのまま見ることはとても難しいことです。旧約聖書はイスラエルの歴史の中で起こった様々な営みを描いています。それは読む者が自分自身の鏡のように見るためではないで Continue Reading →

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「船から出て、イエスのほうに」マタイ14:22-33(伊東神学生)

 岸から4.5キロ、夜中の3時ごろ、周囲は暗闇、そして荒れ狂う波が渦巻く状況。最悪の湖上でイエス様は「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と舟にいる弟子たちに声をかけられました。すると、ペテロが「主よ。もし、 Continue Reading →

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「実を結ぶ人になろう!」マルコ4:1-20

 4つの種のたとえ話はイエス様が話されたたとえ話のなかでもよく知られた話です。後から弟子たちにたとえの意味をお話になったように、道ばたに落ちた種のように耳を閉じることなく、岩地に落ちた種のようにうわべだけではなく、いばら Continue Reading →

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「神の恵みをともに喜ぶ」使徒11:1-18

 私たちのいのち、それは自ら進んで愛することを喜びとし、一つになるために造られたはずでした。ところが乗り越えられない壁がある。初代教会のキリスト者たちにとって最大の壁はユダヤ人と異邦人という壁でした。ペテロは夢の中に語ら Continue Reading →

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「リバイバル」使徒10:24-48

 初代教会は、一つ、また一つといままでの壁が打ち破られて前進が導かれました。この箇所ではペテロとコルネリオを通して主が異邦人との壁を取り払ってくださいました。その一つ一つのできごとを確認すると、聖霊がお下りになったという Continue Reading →

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「本当にそうですか」使徒10:1-23

 「使徒の働き」を読み解く鍵は、1:8の「エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、および地の果てまで」及ぶ聖霊なる神の働きです。その中で、地の果てまでというとき、その先駆けがこのコルネリオの救いです。  ノアの洪水の前、神は Continue Reading →

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「悲しみを乗り越えるために」使徒9:32-43

 一人の若い医師が、小さな子どもがの死を看取って、ただ泣いたことに家族が慰められたという話しを読みました。友人が女川町で津波の跡を訪れ、思いをことばにできず、ただ涙が止まらなかったと言います。悲しみはどのようにして乗り越 Continue Reading →

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「しもべの賛歌」マタイ20:1-16

 私は北海道で20年前暮らしてきました。北海道は農業王国です。その農業技術は格段に進歩しました。そこから考えると、この農家の主人はダメです。農家にとって一番大切なのは作物であり効率よい収量のはずですが、彼にとって収量は関 Continue Reading →

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「人を受け入れ、励まし、育てる」使徒9:20-31

 サウロはダマスコの途上で主に打たれ、劇的な回心をします。しかし、熱心な迫害者であった彼が簡単に皆に受け入れられたわけではありません。ダマスコではアナニヤが特別な導きによりそれをなし、また、ダマスコを追われた後のエルサレ Continue Reading →

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「主が成し遂げてくださる」1歴代誌28:20 佐々木弘幸師(峡南キリスト教会)

 峡南キリスト教会は、様々な経緯を経て、24坪、1200万円の教会堂を献堂しました。今それを振り返って主が成し遂げてくださったと心から感謝します。私たちが教会堂の建築を始めたとき、必要は満たされていませんでした。しかし、 Continue Reading →

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「最も大事なこと」1コリント15:3-8、後藤茂光師

 かつて「キリストの処女降誕はウソ。キリストの復活はウソ。始めと終りがウソだから真ん中もウソ。聖書の言っていることは全部ウソ」と言われたり、「まさか、あなたは真面目に、キリストが甦ったなどとは信じておられないでしょうね」 Continue Reading →

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「目からうろこ」使徒9:1-19

 私たちはそこに真実があろうとも、心の目に覆いがかかっていてわからないことがあるものです。震災後、その対応を巡ってあきれた対応をした人たちがいました。そして残念ながらいまだそのままです。人が生きるか死ぬかというときに、自 Continue Reading →

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「みことばを通して救いに」使徒8:26-40

 ピリポはエチオピアの宦官を救いに導きました。「主の使いが、御霊が」とあります。それは、後から振り返ってそのように導かれたのだということを彼らが確信したのではないでしょうか。私たちは自分たちの足跡を振り返って、その時、そ Continue Reading →

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「お金で買えないもの」使徒8:14-25

 「原発マネー」ということばの意味がどれだけわかっているでしょうか。高度経済成長期、その成長から取り残された貧しい農漁村が舞台となりました。様々な人の動機が色・欲・カネと言われますが、それは共通して「思い通りにことを動か Continue Reading →

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「八方塞がりに見えても」使徒8:1-13

 ステパノの殉教から激しい迫害がエルサレムの教会を席巻し、使徒たち以外の者たちは街を追われます。いわば迫害難民です。住むところを追われ、仕事をなくし、生活の基盤を失い、今後の先行きも見えないような中、明日の食べ物、生きる Continue Reading →

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「責められても」使徒6:8-7:60

 教会は前進するととともに様々な問題に直面しなければならなくなりました。ステパノが用いられれば用いられるほど、イエスがそうであったように妬まれ迫害されます。とうとうそれが襲って捕らえ、偽りの証人によって議会に連れ出される Continue Reading →

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「私の役割は?」使徒6:1-7

 「生きることは食べること」です。しかも毎日毎食、私たちの生活に密着しています。それはまた、単に体のことにとどまらず、心や霊を含めた全生活に関わることです。物心をともにする初代教会の群れは男だけで五千人、その中で食べるこ Continue Reading →

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「主の足もとにすわって、みことばに聞く」ルカ10:38-42(伊藤神学生)

 姉マルタは喜んでイエス様を家にお迎えしました。妹マリヤは、自らの意志により「主の足もとに座った」のです。一方のマルタは、私は一生懸命に仕えているのに…と、妹に対するねたみが心の中に起き、主に対する不満ともなり現れてきま Continue Reading →

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「神は愛なり」ヨハネ3:16

 今日は洗礼式を迎え、新しいいのちの出発をする姉とともに、私たちがいただいている福音をもう一度確認したいと思うのです。  「神は」と言われるお方は、この世界を造り、私たち一人一人をこの世に生かしてくださるお方です。私たち Continue Reading →

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「道は必ず開ける」使徒5:12-42

 「非常時」、私たちはいままでやってきたようにしかできませんし、やってきたことがはっきりします。隠れいていたもの、わからなかったこと、見えなかったことに向き合わざるを得なくなるからです。自分の努力や願いで進むことが困難に Continue Reading →

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「ホントの動機は何ですか?」使徒4:32-5:11

 初代教会の交わりは、物心ともに支え合ういわば天国の先駆けのようでした。バルナバ(慰めの子)という名で知られるヨセフも畑を売り献げます。彼がそのように呼ばれるようになったのは、この後の彼の活躍からも窺い知ることができます Continue Reading →

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「恐れはいらない、必要なのは勇気」使徒4:23-31

 美しの門でのいやしの後、捕らえられたペテロとヨハネは祭司長、長老たちに脅されながらも「見たこと、聞いたことを話さないわけにはいきません」とのことばを残して釈放されます。彼らは仲間にことの次第を報告します。そのときに一同 Continue Reading →

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「この方以外に救いはない」使徒4:1-22

 私たち人間というものは保守的なもので、変化を望みません。昨日のように今日、今日の続きに明日があるように生きています。ユダヤ人たちは彼らのしきたりを続けたわけですが、そこに新しい教えが入ってきました。男だけで5千人、ただ Continue Reading →

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「子育てのゴールは子別れ」

小さないのちを守る会 水谷潔師 午前の礼拝に続いて、午後に行われた講演です。 録音データを聞く

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「教育パパのススメ」エペソ6:1-4

小さないのちを守る会 水谷潔師  今日はこの箇所が問いかけているメッセージを3つの点から聞きましょう。第一に「父たちよ」と呼びかけられています。それは使命感、意識が乏しい父親が明確な転換をしなければならない迫りです。日本 Continue Reading →

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「悔い改めよ!」使徒3:11-26

 美しの門でのいやしに驚いた人々がペテロとヨハネの周りに集まってきました。いやしは、「自分の力とか信仰深さ」によってではなく、「イエスの御名」によることをペテロはあかししました。復活からペンテコステまで50日、それから数 Continue Reading →

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「心の一新によって」ローマ12:1-2、三浦春寿宣教師

 クリスチャンの具体的な生き方について、その第一は自分自身を「神に受け入れられる聖い生きた供え物としてささげること」、第二は「心の一新によって自分を変える」ことが教えられています。ことばは簡単ですが、私たちは律法的になり Continue Reading →

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「不信仰なアブラハム」創世記11:27-12:9(福田和広師)

 アブラハムは信仰の父です。ヘブル11章によればそれは明らかです。しかし、聖書をみると、アブラハムはとても不信仰であることがわかります。  彼はカナンに導かれたときも途中で留まってしまいます。エジプトに避難したときは妻サ Continue Reading →

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「権威はここにある」使徒3:1-10

 初代教会には主に対する恐れがありました。それは主の権威に対する恐れです。そしてその権威ゆえの不思議としるしがなされたのです。この箇所はその実例です。  彼らの礼拝の場は宮でした。生まれつきの足のなえた人がその門の前に施 Continue Reading →

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「喜びの共有」使徒2:43-47

 初代教会が非常に生き生きと喜びに溢れていた様子がここには描かれています。その秘訣は何だったでしょうか。  第一は主への恐れです。それは人が主を本来おられるべき場所に置くことであり、主の権威と深く結びついています。ローマ Continue Reading →

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「母を敬う」エペソ6:1-3

 「母」を語れば、それぞれにたくさんの思い出があることでしょう。母の心は、いつでも子どもを思う思いであり、いくつになっても、年老いたとしても、天に帰るその日まで母であり続けるのです。聖書の教える母、親について考えましょう Continue Reading →

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「教会の使命iv-祈り」使徒2:42

 今、なすすべがない現実に「祈り」ということばが聞かれます。初代教会は祈りに専心していました。私たちは信仰をもって祈るとき、誰に、いつ、何を、どのように祈るのかをもう一度確認したいのです。  エペソ3:14-19のパウロ Continue Reading →

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「新しいいのちに生きる」第二コリント5:14-19

 私たち人間は、「得る」ことから学ぶことは少なく、「失う」経験をして「得る」ことがたくさんあります。受難はまさに「失う」できごとです。一方、神の賜る救いについて5つのステップを確認しましょう。  第一に、私たちのいのちは Continue Reading →

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「教会の使命III-パン裂き」使徒2:42

 交わりを指すコイノニアの意味には共有することにあるということを既に学びました。またこの語は同業組合、同好仲間などに使われることばでもありました。聖書で使われることばは、既存のことばに新たな意味を持たせる場合が少なくあり Continue Reading →

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「教会の使命II交わりに生きる」使徒2:42

 教会とは何でしょうか?多くの人にとっては建物を指す場合が少なくありません。しかし、教会は何より人です。キリストによって呼び集められた人なのです。人が集まるところには様々な関係が生まれます。この「交わり」とは何を意味する Continue Reading →

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「今問われる一致」エペソ4:1-6

 今、私たちは教会内外からも、一致団結してこの難局を乗り越えなければという流れの中に置かれています。一方で、その一致の土台がどこにあるのかということを改めて問わなければなりません。いままで、なにげなく過ごしてきたことが吟 Continue Reading →

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「それぞれの立場を尊重しよう」ローマ14:1-12

 私たちのキリスト者の行動原理は常に、十字架で命を捨ててくださったキリストの愛に基づいているかです。ところが、目の前にあることにそれが生きているかというと、それとはほど遠いことが少なくありません。  ここで食べ物のこと、 Continue Reading →

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「教会の使命〜喜び悲しみをともに〜」ローマ12:15

 地震以来、相次ぐニュースに私たちは心を痛め、主の御手の中にあることがわかりながらも、「主よ。なぜですか。主よ。どうしてですか。」と問いかける日が続いています。  私たちがその中で聞かなければならないみことばがこの一節で Continue Reading →

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「教会の使命II-交わる」使徒2:42

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「教会の使命I-教えに生きる」使徒2:42

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「福音の中心」使徒2:22-36

 ペンテコステの不思議なしるしに人々が集まってきました。この日はイエスの十字架、復活からわずか50日しか経っていません。いまだ町中はイエスのうわさでもちきりだったでしょう。ペテロはここで主イエスのみわざ、十字架と復活の意 Continue Reading →

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「神の力の現れ」使徒2:1-21

 私たちの意志決定の多くは理屈で説明しきれないこと、理性だけではなく感情で決めることが少なくありません。それは人は霊肉、また理性も感情も持った存在だからです。神を知る、交わるというときにも、理屈で理解したということだけで Continue Reading →

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「信仰を継承するために」使徒1:12-26

 ユダの裏切りは聖書の中でも異彩です。弟子たちは皆イエスに大きな期待を持っていました。復活の後にも「今こそ、国を再興してくださるのですか」とイエスに尋ねます。目に見える救いを彼らは求めていたのです。変貌の出来事の後からイ Continue Reading →

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「再臨の約束」使徒1:8-11

 クリスマスやイースター、ペンテコステ、降誕、復活、聖霊降臨に比べて昇天・再臨を意識することはあまり多くないかもしれません。教会歴の中では昇天日や公現日、受難週などをしてイエスのみわざを一つ一つ生活の中に溶け込む工夫もな Continue Reading →

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「聖霊の約束とイエスの昇天」使徒1:1-9

 復活の主イエスに弟子たちは「いつ国を再興してくださるのですか」と問いかけます。彼らの期待はいわば「私の救い、私たちの救い」というレベルです。イエスの答えは目に見えるこの世の国の再興ではなく、聖霊の御力によって「地の果て Continue Reading →

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「天での礼拝、顔と顔を合わせて」黙示録22:1-7

 代価を払って買い取られた私たちに求められていることは、恵みに応える礼拝です。その礼拝の本質は心から喜んでみこころにかなう生き方をすることであり、そのゴールは天での礼拝です。世界がどこに向かっているのかという聖書の世界観 Continue Reading →

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「心の一新によって」ローマ12:1-2

 ローマ書の中では、私たちを代価を払って買い取られた神の愛がどれほどのものであるのかが11章までで語られています。12章からは私たちがその応答としてどのように生きるかが具体的に奨められています。その始めに語られる原則がこ Continue Reading →

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「真の礼拝者」ヨハネ4:1-26

 サマリヤの女、彼女にはどうしても満たされない渇きがありました。対話の中にイエスは真の礼拝とは何かを教えておられます。井戸で水をお求めになったイエスは彼女に「生ける水」をお与えになると言われるのです。  彼女の渇きは相手 Continue Reading →

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「すべては神の栄光のために」1コリント6:19-20

 新しい年を迎え、心新たにこのみことばを掲げて前進したいと願っています。このみことばはコリントの教会の問題に対してパウロが書き送った一部です。コリントの教会には大きく3つの問題がありました。そこから私たちも「ささげる」歩 Continue Reading →

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「ありがとう!今年も喜べる毎日を」ヨハネ3:16(昭和町キリスト教会 福田和広師)

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