八紘一宇(はっこういちう)とは、『日本書記』に由来し、元来、「天下を一つの家のようにすること」、「全世界を一つの家にすること」を意味する。これが、第二次世界大戦中、日本の中国・東南アジアへの侵略を正当化するスローガンとして用いられていった歴史があることばです。
1940年(昭和15年)8月に、第二次近衛内閣が大東亜新秩序を掲げた際、「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(ちょうこく、建国の意)の大精神に基」づくと述べました。ときに1940年は皇紀(神武紀元)2600年に当たり、「八紘一宇」は政治スローガンに変化します。「大東亜共栄圏の建設、延いては世界万国を日本天皇の御稜威(みいづ)の下に統合し、おのおのの国をしてそのところを得しめようとする理想」、つまり天皇の名の下に大東亜共栄圏という一つの家の元に集め、そのために滅私奉公せよ。そうでなけば国の中では非国民、それを妨げる鬼畜米英という体制=国体と戦時体制を造ったのです。
宮崎の市内を見下ろす丘の上に巨大な「八紘一宇の塔」があり、そこにはアジアの占領地の石が埋め込まれています。まさに「名を上げよう。散らされるといけないから」です。戦後、その文字は一時消し去られましたが、再び新たに刻まれています。歴史に刻まれたことばは、2015年衆議院議員の三原じゅん子氏が引用し、物議を醸しました。
日本のこのバベルは崩されましたが、世界中至るところに新たなバベルは築かれ続けています。神抜きの力は傲慢にも自らの力を振り回して多くの人たちを傷つけています。しかしそれがわからないのです。あるいはマモン(富)というバベルも、テクノロジーというバベルも、その偶像をグローバルスタンダードというスマートな装いをして独占的に巨利を搾取し続けています。その中で惑わされることなく、神を愛し、人を愛する道をと祈り続けましょう。