「アブラハム、イサク、ヤコブの信仰」創世記12:1-3, 27:27-29, 28:11-18

 ノア以後の世界、虹の契約をもって再び始まった世界ですが、人はバベルの偶像を築きます。それはことばの混乱によって散らされました。一方、同じ原理が働いて罪に染まる世界の中にあって、神はセツの流れ、セムの流れに一筋の信仰に立つ者たちを導き、選び契約を結ばれたのです。
 その始まりは信仰の父と呼ばれるのがアブラハムです。なぜ、神の選び、人の側から見れば召命はアブラハムなのでしょうか。彼も私たちと同様に様々な弱さを抱えた一人です。人の選びの基準は能力、努力、熱心などです。しかし神の御前には誰もが滅ぼされてもしかるべき罪人たち。その中で選ばれたのは一方的な神のあわれみと恵みゆえです。そして神の祝福の器とされ、地の塩、世の光となるべき大切な役割を委ねられたのです。
 彼から始まる信仰者に神は契約を結んでくださいます。契約とは責任もって必ず果たす関係です。人の契約は対等な関係で甲乙結ぶ契約、あるいは支配者と隷属者として命令・服従を求める契約があります。一方、神が結ばれる関係は、恵みと祝福を与える神様に喜びをもってお従いする契約です。
 そこに求められるのは信仰です。信仰とはただ、アーメンと告白することです。ここではそのしるしとして割礼が求められました。その契約はイサク、ヤコブへと受け継がれていきます。イサクは自分をモリヤの山で献げる父の信仰と神のご契約を間近でみました。ヤコブは狡猾なカイン的、バベル的な始まりでした。それがベテルで一人見た天のはしごに神の臨在と契約を新たに受け継ぎ、信仰の人に変えられ、やがて産まれた12人の息子たちがイスラエルの部族となって旧約の民として導かれていきます。そして、この契約のゆえに神はあわれみと恵みをもって民を見捨てることなく導いてくださった。新しい契約に生きる私たちにも神は御真実なのです。