見る、聞く、話す。
歩く、走る、登る、降りる。
つまむ、つかむ、離す、払う。
持ち上げる、運ぶ、積む。
読む、書く、数える。
足す,引く、掛ける、割る。
笑う、泣く、喜ぶ,悲しむ。
起きる、寝る。
食べる、排泄する。
せきをする。くしゃみをする。
シャワーを浴び、風呂に入る。
脱ぐ、着る。
掃除、洗濯。
料理、片付け、お買い物。
なにやら「連想ゲーム」のようなことばの羅列ですが、私たちが毎日「あたりまえ」に意識もせずにやっていることです。「あたりまえ」ですから、ありがたいと思って特に感謝をすることもなく過ごしています。それは失ってみてしかわかりません。そのとき、それがいかに感謝なことなのか、はじめて気がつくものなのです。
介護の仕事は「あたりまえ」のことが「あたりまえ」にできない人、できなくなった人のお手伝いする「あたりまえ」のこと。介護の仕事をしている兄が子どもたちに教えてくださった介護の定義です。しかし、助けをするのが「あたりまえ」と言葉では言えても、実際には「あたりまえ」は難しいことです。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。(1ヨハネ4:11、5:3)
そうです。神が私たちにしてくださったこと。神の愛ゆえに「あたりまえ」と思えることです。常に心に問いかけ、祈りをもってこそ「あたりまえ」の人に成長するのです。