あなたは何を祈り願っていますか。別のことばで言えば、何を第一にしているでしょうか。主はマルタに問いかけたように、「あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」(ルカ10:41)と私たちにも迫っておられます。
第一にそれは知識です。パウロは神の一方的な恵みによって目からうろこのようなものが取り去られるまでわかりませんでした。人の努力や知恵によって、神の世界は見えないのです。霊的な知恵と理解力、それは、神が目を開いてくださるようにとまず祈る祈りです。
第二に、その知識が行動に導かれるようにと祈ります。注目していただきたいのは、「あらゆる点」、「あらゆる良いわざ」、それは「すべて」を意味します。私たちの本当の姿が最も現れる場は最も親しい人たちの輪の中です。裸の自分が現れる場にあって、ごまかしはききません。その生活、すべての領域において「主にふさわしく」行動するようにと祈ります。
第三に、私たちの心のありようについてパウロは祈っています。その鍵は「神の栄光の支配」です。私たちが自らの歩みを主のご支配のもとに明け渡すことが求められています。主ご自身もゲッセマネで、「この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに」と父のご支配に明け渡しました。
最後に、喜びと感謝に導かれます。いつも不平ばかり、文句ばかりの人がいます。一方で様々な困難を抱えつつも、喜びと感謝にあふれた人がいます。それは、神の恵みに生かされているかどうかの違いです。
静まって主の御前に一日を始めなければ、すぐにあれもこれも、私たちを押し流す力に流されて、大切なことを見失ってしまいます。朝毎に、何を第一に今日を生きるのか、主の御前に静まり祈って始めようではありませんか。