私たちは心のどこかで誰かが守ってくれる、どうにかしてくれるという漠然とした思いを持っています。しかし、それは本当に信じるに値するものでしょうか。沖縄のひめゆり学徒隊は有名な話しです。軍部が南部撤退を決め、軍民別なく避難するも、そこで解散命令が言い渡されるのです。これからは、自分の判断で行動するようにと。信じてきたもの、守ってきたものはいったい何だったのでしょうか。原発事故も同じです。安全だ、クリーンだと信じてきたことが突然、裏切られたのです。何を誰を信じるべきでしょうか。
危機の時には今までやってきたようにしかできません。また、危機の時には一人一人自分の決断が迫られるのです。本当に信ずるべきもの、信ずるべきお方は誰でしょう。
さて、ここに出てくる百人隊長。立場のある人でしたから、そのしもべのために医者にもかかったでしょう。できることなら何でもしたでしょう。でも、死にかけている。危機が迫っています。彼はイエスに使いを送ります。そして、おことばをいただけば、しもべは必ずいやさますとその信仰を言い表すのです。イエスには力があり、イエスには権威があることを信じたからです。そして、その信仰の通りにしもべはいやされるのです。
マタイ28章には復活のイエスが弟子たちに「私にはいっさいの権威が与えられている」と語りました。そう、死に打ち勝ってよみがえられたお方に、おできにならないことなどひとつもないのです。このお方を信じるならば、すべてのことが益とされる。私たちが揺るがされることなく信ずべきお方なのです。
あなたが頼りとしているものがなんであるのかをもう一度問うてみましょう。どんなことが起ころうとも、決して裏切ることのない力の主を信じようではありませんか。
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