「あなたは高価で尊い」第一テモテ2:4-6

 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」のみことばはよく知られています。ところが、私たちは自分のことに置き換えてみないと、その愛の大きさがわからないものです。

 ホセア書は自分の結婚を通して神の愛を伝えるように導かれたストーリーです。かつては繁栄を誇ったイスラエルも今や見る影もない。そういう時代です。人は時代の影響を色濃く受けて、その渦の中に生きています。しかし、時代が悪い、国が悪いと言っても、一人一人が変わらなければ時代もまた国も変わりはしません。ホセアはゴメルを妻としますが、彼女は裏切り、他の男のもとに走り、さらには奴隷となっている。それをホセアは買い戻すのです。世はバカな話だ、何もそこまでしなくてもと言うでしょう。彼にも大きな葛藤があったはずです。裏切りの過去に忌々しい思いや記憶がよぎるでしょう。彼がそれを受け入れるには、過去をスッパリと思い出さない、問い直さない、忘れるという決断なくしてできないことです。

 私たちは罪の言い逃れをする達人です。十字架のもと、ピラトは責任放棄をしました。律法学者・パリサイ人たちは自己正当化します。群衆はみんながしていることじゃないかと相対化し、弟子たちはちりぢりバラバラになってあきらめました。だって罪人しょうがないと。それはまた私たちの姿です。

 しかし、神は尊い十字架の血潮、主イエスのいのちの代価をもってそれらを買い戻し、贖って下さいました。どれほどの大きな犠牲でしょう。それこそ神の愛のあかしです。だから、私たちは「私たちの負い目をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある人たちを赦しました」と祈る度に、神の愛を確かめ、それに生きることを新たにするのです。

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