「いつまでも残るもの、愛」1コリント13:1-13

 「あぁ、長生きしてよかった!」と言えるのは「今、生きててよかった」と同じでしょう。今を喜べること、過去を感謝できること、これから先に平安があること、それが幸せの3つの条件であろうと思います。長寿をいただくということは、生きた年数の分、多くを経験することです。その中で様々な感情に揺り動かされ、それをコントロールできないことがままあります。時に病み、年輪を重ねていきます。一方、聖書には、それを超えたもの、「信仰、希望、愛」によって生きるようにという招きです。

 この美しい愛の章が教えるのは、私たちの人生を測るのは、何をしたかしないかよりも、そこに愛があるかないかです。そしてまた、「愛は、すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」それができるのは、神が最善をなしてくださるという信仰によって生きることです。なぜなら、神ご自身が十字架において、この愛を全うしてくださったからです。そして、愛を全うしたイエスはよみがえって、すべての悪と罪とに勝利された。だからこその希望なのです。

 「愛の鬼才」という伝記的小説があります。三浦綾子さんがその愛を受けた素晴らしい生涯を記したものですが、そのような人も時とともに忘れられていきます。私たちの名もまた、やがて消えていくことでしょう。しかし、もし、この愛が伝えられるならば、それは人から人へ、また人から人へ、愛だけは必ず残っていくのです。それは、人の、私たちの気まぐれな愛ではなく、十字架の血潮をして著された完全な愛だからです。

 この地上に生かされている間、この愛に生きようと願うのならば、それは今、何かをする力がわずかであったとしても、いやもう残っていなかったとしても神の愛を周りの人たちに伝える器として、残していくことができるのです。それを喜びとして今を感謝し、過去にとらわれず、永遠に希望を持とうではありませんか。