ペテロの手紙は自由人として、一方で神の奴隷として生きる生き方が実際の人間関係の中に表されるように、その最も近い夫婦、とりわけ、ここでは「夫たちよ」と教えます。
ペテロはここに「わきまえること」、つまり理解することについて教えます。誤解を恐れないで言うならば、祈るだけでは解決しない問題があるのです。いわば異星人ならぬ異性人、これは神が人をお造りなったときから違うのです。とりわけ、女性の弱さ、それを思いやり、理解するように勧めます。
そして、ともに生活することを教えます。男性にとって結婚生活は自分の生活プラスアルファです。一方、女性の多くは結婚生活、家庭生活がすべてです。そして、男性は自分の都合のよい、男本位の考え方をするのです。マタイ19章には、自分の思い通りにならない結婚なら、結婚しない方がマシだとまで言う弟子たちが出てきます。しかし、ここでペテロは心一つにともに生きることを勧めるのです。
それは、「いのちの恵みをともに受け継ぐためです。」私たちの生きる意味、いのちの目的が問われています。何を、誰を第一として生きるのかを問うMaster, 何を使命とするのかを問うMission, 誰とともに生きるのかを問うMateの3Mの一致が大切です。それを一つに生きることこそ神の祝福です。
最後に、ペテロは「祈りが妨げられないため」と言います。それはありのままを受け入れ、受け入れ合うこと、互いをバカにしたりされたりと互いを責めやすい者たちが、互いのすべての恐れを超えて自由にされること、そのような生き方をしていくことです。ペテロが示す夫婦像、私たちには様々な欠けや破れがあります。しかし、回復をいただき、互いに補いあって喜びをともにしましょう。