「お役人になるなかれ」使徒25:1-22

 ピラト、ペリクスという総督に共通する「お役人」気質について考えました。続く「お役人」がフェストです。彼にとっては前任者がやっかいな囚人を残し、しかも、彼のなすパウロの処遇はユダヤ人らの一大関心時であり、その如何によって自分の立場が決まるような問題です。ユダヤ人たちはこの交代劇に乗じてまたもやパウロの暗殺計画を図ります。ユダヤ人の歓心を買い、自らの立場を作ろうとする彼ですが、さすがに言うなりに譲歩すると彼の立場は劣勢になります。

 フェストは扱いあぐねます。これはユダヤ人の宗教問題であって、ローマの法的問題ではない。しかし、政治問題なのです。折しも総督着任の表敬訪問に訪れた隣国アグリッパに相談すると、一緒に話しを聞こうということになります。お役人仕事はこうして延々と続くのです。

 私たちは今月、震災から丸二年を迎えます。「絆、つながり」ということばが多く語られてきました。一方で、2年経つと次第に忘れ去られていくのです。そしてまた、つながっていながら向き合ってはいないようなことが多いことに気づかされます。お役人の仕事はきまりと前例と私の分はここまでという責任逃れ。いつか私たちもそんな生き方になってはないでしょうか。

 イエス様はヨハネ10章の羊のたとえで、「雇い人は狼が来ると羊を置き去りにして逃げる。雇い人は羊のことを心にかけていない」からだと言います。そうです。私たちも主にあって、ここに置かれ、果たすべき役割・使命・責任を委ねられている。「よい羊飼いは羊のために命を捨てます。」そうしてくださった主イエスが私にも足跡に従うように招いてくださっている。それを新たにしたいのです。

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