「きぼうのひかり」ヨハネ1:1-12

 「きぼうのひかり」と今日のテーマをつけました。同じテーマの歌がいくつもあります。人は希望を求め、光を見いだそうとします。それがないと生きていけなきからです。しかし、そこに確かな揺るがない希望があるのかというと、心許ないのです。何が希望の土台となるのでしょうか。
 私たちの世界を神が創造されたとき、「すべてはよかった」はずですが、残念ながら闇があります。憎しみや恨み、争う心に赦せぬ思い、欺きと裏切り…。それは一人一人の心の闇から始まって、家族の中に起こる痛ましい事件、ニュースを賑わす不正や犯罪、身近にあるブラックな出来事やハラスメント、政治や経済の裏にある闇、国と国が争う戦争や民族の紛争、搾取や虐待など世界大に至るまで拡がっています。周りを責めることはできるでしょう。でも、最も解決しがたい闇は自分自身の心の闇です。それは光である神から離れた人の罪です。
 クリスマス、それは光である神のひとり子イエス様がこの世に来てくださったことを祝い喜ぶ日です。イエス様が与える光、それは勝利の光です。イエス様は人として、この世の暗闇に身を置かれました。そして、十字架という最も暗い闇、私たちの罪を負う身代わりに死を負って下さいました。しかし、それは死で終わることなく、よみがえられたのです。「闇はこれに打ち勝たなかった」、光の勝利なのです。
 それがゆえに、それを信じる者は神の子どもとされるのです。「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」すべてが赦され、死にも打ち勝った勝利という確かな希望を光として生きる。私たちの世界は闇に覆われていますが、神の子どもとして生きるいのちは、「すべてがよかった」を取り戻す希望があるのです。