「すばらしい約束」2ペテロ1:1-4

 第一ペテロの手紙、それは世の流れの中にあって苦闘する各地に散ったキリスト者を励ます手紙でした。一方、第二ペテロは、純正な信仰に留まることを教える手紙です。今年は宗教改革500年です。いつしか、信仰が変質してしまった。それを「聖書のみ、信仰のみ」と正された。それは、いつの時代にも問わなければならないことなのです。

 「恵みと平安」、それは主イエスを知ることによって。それが思い起こす第一のことです。見ていながら、聞いていながらわからない、ということがあります。より深く知ること。それを祈るのです。

 「栄光と徳」、それは何を意味するでしょう。「父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。」(ヨハネ17:5)、それは三位一体の神が永遠から永遠にもっておられる一つであることです。それは「愛」によって見えるものになります。イエス様のこの祈りは最後の晩餐の後、十字架に向かう祈りです。その徳とは、十字架によって愛を現すことにほかなりません。それこそが栄光なのです。

 それは、私たちが「世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となる」ためです。世の欲、それはこの世における悩みです。ガラテヤ書にはそれが、肉なる人の生き方として描かれています。一方で、神のご性質にあずかる者のいただく御霊の実として「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」というすばらしい実を結ぶことが約束されています。

 イエス様を知ること、それが私たちのスタートです。見ていながら、聞いていながら隠れていることはないでしょうか。閉じた重いがないでしょうか。