パウロは2節にあるように、「この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け」る歩みをしていくこと、それこそ、パウロが苦闘していることですが、その妨げになっているものが入ってくる。その中でどのようにキリストにある素晴らしい恵みを保ち、守り、成長していくのかを教えます。
まず、私たちを惑わすもの、「まことしやかな議論」とか「 あの空しいだましごとの哲学」というものが入ってきます。一つはユダヤ人キリスト者にある律法主義です。別の言い方をすると、ユダヤ人の選民意識、もう少し拡げて言うとエリート意識です。自らの義を自らで立てるあり方です。二つ目は活動主義です。何かしていないとおさまらない。それは、何かをすることで認められ、何かをすることで満足することです。三つ目は物質主義です。神にお委ねしお仕えすることよりも自分でどうにかしようとするあり方です。
それらに対してパウロは、私たちにあるべき姿として語っているのは、「キリストこそがすべて」だということです。キリストこそ宝。その宝をしっかりと握りしめて歩んで欲しい。聖歌に「キリストにはかえられません。世の宝もまた富も」と歌うように、生きることです。
そのためにはキリストに根ざし、建てられ、堅くし、あふれるばかりに感謝する。あふれるばかりに感謝とは、直訳するなら「あふれなさい」です。水を入れる、満たす。それ以上にあふれるというのは、それを越えてキリストを注ぎ続けるということです。そのときに初めて、私たちはキリストの恵み、キリストがすべてというものに感謝する者となる。それがキリスト者の生きる秘訣なのです。そうでないと、私たちは容易にだまされるのです。惑わされるのです。
私たちを惑わすもの多くある中、キリストこそすべて、それを力としていきましょう。