「でも」と言いたくなる私たちですが…

 「1分の1という命の重み」という話を少し前にしました。毎日報道に上るコロナの感染者数。そこには顔も名前もありません。私たちも連日の報道に「多かった」とか、「少し減ったか」とか、一年もコロナ禍が続くと、コロナ慣れというか、コロナ疲れというか、「まぁ、山梨はごく少ないから、大丈夫だろう」などと思ってしまうこともあります。
 一方で、国内の感染者数は約50万人、死者数はまもなく1万人という数になると、直接ではなくとも、感染した、亡くなったという話が聞こえてくるようになりました。そして、それは決して遠くの出来事ではないのです。もし、それが自分の家族だったら、もし、それが教会の兄弟姉妹だったら、もし、それがご近所の親しい方だったら…それは心深くをえぐられることになりましょう。私たちが切迫感を感じるのはそういうときです。そして、濃厚接触者となっていたら、自分の身もまた案じる恐れを覚えることでしょう。
 私の祖父は1902年生まれです。スペイン風邪が1918-1919年(T7-8)で、16,7歳の時、「大勢死んだ」と言っていたとのことです。関東大震災が1923(T12)ですから21歳のとき、上野の山に逃げたと聞いています。戦争は1941年(S16)、39歳のときです。父が生まれたのが翌年。震災にパンデミック、戦争を若い時にくぐり抜けてきました。身近に起こった出来事も、空襲で家を失い、事故で妻を失い…生涯何もない時代を生きることの方が珍しいのかもしれません。
 今日、この日を喜び、明日を煩わない。不平をつぶやくことよりも感謝を見つけ、受けることよりも与えることを喜びとする。そうできたら、何が来ても恐れることはありません。「でも」と言いたくなる私たちですが、「いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。」(ピリピ2:16)とみことばに慰めと力をいただいて進もうではありませんか。